中野区南台/杉並区方南 忘れ去られた水路
2009年 11月 26日
家々に挟まれている上、区の境界線となっているために、エアスポットとなって残っているのだろうか。そういえば和泉川上流部も同じく渋谷区と杉並区、世田谷区と渋谷区の境界線だ。コンクリート水路の側壁に、無理矢理下水管のようなパイプが取り付けられているのが見える。
水路はここから東へ200mほど伸びている。空中写真をみると、家々の間を縫うように水路が残っているのがわかるが、その間横切る道路が全くないために、直接見ることは不可能だ。ようやく道路にぶつかる地点では、既に水路はなくなっていた。あたりはわずかに窪地となっているが、この先水源だったと推測できるような場所は見当たらない。水路自体は小さいとはいえしっかりした造りなので、かつてはそれなりに水が流れていたと思われるのだが、謎である。
こちらはまさに『忘れ去られた水路』ですね。
見つけたとき「開渠!」とはしゃいだ記憶。
さすがよくご存知で!え?こんなところに開渠!?という感じですよね。
リバーサイドさん。
地元でしたか。大きな見所はここしかないのですが、
ぜひ覗きこみに行ってみて下さい。
こういう水路は地元の人でも気づかなかったりするものなのでしょうね。東京には、そういった水路があちこちに残っているのではと思っています。
この水路ですが、昔(1947年)の航空写真を見ると、なんとなく水路が見えるような気がします。
それを見ると、東西に緩い弧を描くように続く道に沿った水路に合流しているようにも見えます。この道に沿った水路は、どうやら玉川上水の旧新水路のようです。今は埋められて、たしか水道道路という通りに変わってしまったと聞きます。
ということは、みつけられた水路は、玉川上水からの水路とも考えられなくはないでしょうか。
はじめまして。コメントありがとうございます。ご指摘の東西に緩い弧を描く水路は、神田川笹塚支流(和泉川)のことなのではないかと思います(水道道路=玉川上水新水路跡は、和泉の交差点からほぼ一直線に西新宿まで伸びている道です)。こちらは別の谷筋となっていて、今回取り上げた水路から行こうとすると、いったん丘に登った後に降りるかたちになってしまい、物理的に水を分けることができません。
今回の水路は神田川のつくった谷の中にありますので、あくまでその谷のなかの湧水なり雨水なり排水なりを集めて流していたものだろうと思います。
そうですね、空中写真だけだとちょっと浅い谷までは読み取れませんね。あとは以前の記事で紹介した東京地形地図が、地形を直感的に把握するのに便利かと思います。
これは大変助かっています。かなりいろんな地形が理解できます。
自宅のそばに窪地がありまして、窪地ではあるけど川が流れていた痕跡は無い、では何かと悩んでいたところ、おそらく縄文中期頃に涸れた河川だったのでは、というところまで調べられました。ここで紹介していただいた「東京地形地図」で、いろんなものが発見できます。感謝です。
「窪地ではあるけど川が流れていた痕跡は無い」というのはちょっと不思議な感じがしますね。遥か昔に完全に水が退いてしまったんでしょうね。
拝見し、懐かしくなりコメントさせていただきます。
ここも含めて近くで散々遊んだのでよく覚えています。
この入り口から100メートル行かないくらいで、「みなみ児童館」前のアパート(当時)と隣接する資材置き場の裏手を経て、キャベツ畑(当時。昭和60年くらいまでは少なくとも存在)までは、蓋がなかったはずです。
農業用排水に利用していたのかも知れません。
バブル期前は、中野杉並渋谷の区界にあたるこのあたりにも畑があり、春になればモンシロチョウが乱舞していたのですから、いまとなっては夢のようです。
はじめまして、コメントありがとうございます。30年前、あの場所にキャベツ畑があったのですね!驚きです。畑の排水路だった時期もきっとあったのでしょうね貴重な証言、ありがとうございました。