神田川1985(4)谷端川合流点(JR水道橋駅前)
2009年 12月 14日
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・神田川1985(1)桃園川合流地点
・神田川1985(2)川の上の送電線
・神田川1985(3)神田川最上流
谷端川(やばたがわ)はかつて豊島区から文京区にかけて流れていた川だ。豊島区要町2丁目の粟島神社に現存する弁天池などを水源とし、そこから千川上水の分水を併せていったん南下したのち、西武池袋線椎名町駅付近より北上、JR埼京線板橋駅付近で向きを南東に変え、山手線大塚駅を経由し、小石川を流れて水道橋で神田川に合流していた。下流部では小石川、礫川、西大下水、また千川上水の水を引いていたことからか千川とも呼ばれていた。
中・下流部は戦前に、上流部も1970年代までには全区間が暗渠化された。現在上流部は遊歩道に、中下流部は大塚三業通りや千川通りといった道路になっている。最下流部は現在雨水幹線「千川幹線」となっていて、幅4.2m深さ4.7mの矩形暗渠が東京ドームシティを横切っている。
1985年当時、水道橋駅北側の神田川北岸に、河岸が十数メートルほどだけ凹んだ形で、谷端川の合流部が開渠で残っていた。感潮域であるためか河口にも水があり、鯉が泳いでいるのが見える。
2009年現在、河口は船着場となってしまった。「神田市兵衛河岸防災船着場」の看板が掲げられ、浮き桟橋が設置されていて、河岸には階段がつくられている。向かいに見える水道橋駅の駅舎は窓の配置まで以前のままだ。
駅のホームから見ると様子がよくわかる。凹みはずいぶん短くなってしまっており、河口も塞がれている。
谷端川の河口はどこへ行ってしまったのか?調べてみると、谷端川の暗渠(千川幹線)は、どうやら現在は神田川に平行して、北側の外濠通りの下に流れている暗渠「水道橋分水路」に合流しているようだ。神田川の下流部は川幅を広げる土地の余裕がないため、並行する道路の下などにバイパスの暗渠をつくることで洪水対策を行っている区間がいくつかある。おそらく水道橋分水路が出来た時点で、この合流口は用無しになりふさがれたのだろう。今ではここがかつて川の合流地点だったということに気がつく人はいないのではないだろうか。
谷端川(私は小石川と呼びたいところです、なんとなくですがw)、一部だけ歩き、河口ちかくの軍事スポットをたのしみに、いつか全区間歩きたかったのですが・・・上流部がずいぶんクネクネしてるんですね。一日じゃ難しそうですねぇ・・・。ともかく、河口へ立つ時の楽しみが増えました、貴重な写真ありがとうございました~。
こんばんは。私も小石川の方が馴染みが深い呼び方です。不忍通りが小石川を越えるところに「猫又橋跡」と「猫又坂」があって、子供の頃通るたびになんだかわくわくしました。後楽園のところ、そういえば軍事スポットでしたっけね。
貴殿のHPの正確さと、あったであろうかつての河川跡の微妙な面影が点と線でつながりました。実際に歩いてみると、消そうとしても消せない河川敷の面影が随所に残っていました。HONDA様の画像とコメントも衝撃(鯉がのんびりしているところ)でした。ありがとうございました。水道橋の河口には夜の9時頃の着でしたが川の透明度は高かったです(今でも堤防下部に河口の排水口が干潮のため残っているような気がしました。またフジツボが岸壁についており何とカニが何匹も歩いていました。夜だからでしょうか?)。
コメントありがとうございます。本ブログの中では谷端川は今のところこの記事でごく簡潔に記しているだけのですが、参考になったようであれば嬉しいです。フジツボやカニは、感潮域だから生息できるのかもしれませんね。