渋谷川水系再訪(2)三田用水白金村分水
2009年 12月 21日
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白金分水についての詳細は「東京の水2005 Revisited」の以下の記事などを。
・「白金分水(1)白金御殿」
・「白金分水(2)長者丸と都電」
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長者丸踏切のあたりは目黒区内を山手線が通過する唯一の区間だ(目黒駅は品川区で、目黒区内に山手線の駅はない)。踏切の西側は台地となっていて、その上を三田用水が流れていた。白金分水は現在の日の丸自動車学校(赤い大玉のある不思議なビルが目印)のあたりから、この踏切の辺りに落とされていたようだ。このあたりの地名は目黒区三田。港区三田とは全然離れているが、もともとは両者とも武蔵国荏原郡御田郷(みたごう)に属していた。
目黒区と品川区の区境になっている谷底の道を下っていくと、恵比寿ガーデンプレイスの南側の道路に出る。少し進むと暗渠が突然姿を現す。谷底を暗渠が東に向かって伸びている。柵で囲まれており一見入れないように見えるが、途中に暗渠に通じる抜け道がある。そこから下流に向けて撮った写真。
暗渠区間の東端。山手線の内側でこれだけ暗渠っぽい空間も珍しい。このあたりは渋谷区と港区の境界線に、目黒区と品川区が食い込んだ複雑な区界となっており、そういったことも暗渠の残存に関係しているのかもしれない。
暗渠区間の先は砂利道になったり、民家の裏手を抜けたりしたのち、並行して来た道路に出る。道路に出る場所はアスファルト舗装の道路敷が不自然な形になっているが、ここが流路の跡だ(右側手前から暗渠が合流)。ここから首都高速目黒線までの間は渋谷区と品川区の境界線になっている。両区が接する唯一の区間だ。なお、暗渠の1本南側に並行して、戦前に廃止された都電恵比寿長者丸線の痕跡も残っている。
川は首都高速目黒線の下を抜け港区白金台5丁目に入り北東へ。ここでは白金の自然教育園からの流れがかつて合流していた。園内には谷頭の地形や湧水池、そこから流れ出る小川がかつての武蔵野の風景のまま残されている。詳細は「東京の水2005 Revisited」の以下の記事を。
・「白金分水(4)自然教育園の池」
・「白金分水(5)3つの水源と土塁」
川跡と思われる道をしばらく進むと道に沿ってコンクリート蓋の細い側溝が現れるのだが、今回そこに、途中で東から合流して来る側溝もあることに気がついた。
辿ってみると、道の真ん中に井戸があった。
本流のほうのコンクリート蓋の側溝の行き着く先にある排水枡(?)とそこから伸びる石蓋の暗渠もまだ残っていた。トタン板の塀を潜って民家の裏手に消えている。通りかかった近所の人に訊いたが、このあたりに三田用水(の分水)が流れていたことは知っているが、この石蓋の暗渠がそれなのかどうかは知らないとのことだった。
外苑西通りを越え白金6丁目に入ると、曲がりくねったいかにもな暗渠が出現する。暗渠の縁に沿った大谷石はかつての護岸の痕跡かもしれない。
戦前には暗渠化されていたようで、この辺りの暗渠は下水道白金幹線として利用されている。路面にはかなり立派なマンホールが点在している。
しばらくいくと暗渠は川跡らしい道から、直線の道路の下に移る。道路端のドブ板(「白金分水(14)道路沿いのドブ」参照)も健在だった。すぐ近くの路地に入ると、風情のある中華料理店が。あとで調べたらラーメン350円、老夫婦がつくる昔ながらの東京ラーメンとのこと。入ってみればよかった。
暗渠は旧白金三光町の白金北里通り商店街と交差する。商店街は戦前から残る看板建築の商店が並び下町風な風景が残っている。
商店街を越えた先は白金5丁目。この辺りの川は幾筋かに分かれ、湿地帯になっていたようだ。暗渠化され下水となった川はこの道の下を流れている。
川は狸橋の下流側で渋谷川(古川)に合流していた。民家の下の護岸に四角い合流口が見える。この辺りの渋谷川の護岸は戦前のものがそのまま残っているのだが、とうとう改修工事が始まっていた。合流口はどうなるのだろうか。
あと、都電恵比寿長者丸線の痕跡、中華楼、看板建築商店街あたり、かなりツボです!このエリアはぽつぽつ行っているのに、いつも最寄り駅と目的地の往復のみだったのだよなあ、と思うとちょっと残念。いつかここ、あるきたいです。
ぜひ中華楼レポート、お願いします!
はじめまして。ご指摘の暗渠、もしかしてちょうど5枚目の写真の高速を挟んで反対側から、北西〜西に向かって伸びる小さな谷の筋でしょうか?流れがあったかもしれないなとは思っていたのですが、暗渠が残っているのですね!機会があれば行ってみます。ありがとうございました。
区境の暗渠って、なんだかエアスポットみたいになってるところが多いような気がします。中華楼は反応されるかな、と思ってました(笑)商店街も面白そうですよ。