柴崎分水(立川分水)(3)奥多摩街道〜中央線付近まで
2010年 07月 12日
googlemapにプロットした柴崎分水流路図はこちら。
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奥多摩街道沿いに出て姿を現した柴崎分水は、街道沿いに暗渠と開渠を交えながら南東へと下って行く。道路の南側を通る区間では、微妙に街道から離れ、街道沿いの民家の敷地内を通っていたりする。下の写真の民家では庭の池に分水の水を引き込んでいた。
しばらく進むと水路は奥多摩街道から離れて北東へと静かな住宅街の中を進んで行く。古い民家の立派な門の前には、小振りだがしっかりした造りの石橋が架けられていた。
道路の脇を流れて行く用水路。一見ただの側溝に見えなくもないが、遥か羽村で多摩川から取水された水がここまで流れてきているのだ。
水路は中途半端に穴のあいた変な暗渠〜コンクリート蓋暗渠〜鉄板暗渠となって住宅地の中を回り込み、東へと進んでいく
そして、中央線の切通しにぶつかると、細長いコンクリート蓋の暗渠となって、線路に沿って南下していく。蓋は比較的新しそうで、道路にぴったりと嵌っていて中を流れる水の気配はまったく感じられない。
あまり暗渠の蓋らしからぬコンクリート板の先に、左に曲がる蓋が。
曲がった先には、中央線の切通しを鉄橋で越える水路があった。中央線は立川段丘の台地を日野方面に下るために、台地を切り開いて下っている。その台地の上を柴崎分水が流れているため、このように橋となっているわけだが、よくあるような送水管ではなく、水面が露出した状態で越えるのはそう多くはないのではないか。かつて恵比寿駅の西方で三田用水が旧山手通りを越えるところで同じような水路橋となっていた事例を思い出させる。
水は深さこそ浅いものの勢いよく流れている。雨で増水したときなど、溢れやしないのだろうか。
線路を渡りきると、玉石の護岸の水路が姿を現す。線路沿いに少し北上したのち、再び暗渠となり、個人宅の敷地内を東へと抜ける。
抜けた先は再び道路沿いに東進。水路端に説明板が設置されていた。今年の1月に建てられたばかりのものだった。
そばには洗い場の跡もあった。脇は駐車場になっているが、かつては民家か畑だったのだろう。
石でできた、丸みを帯びた欄干があった。かなり古そうだ。この少し先で水路は南へと向きを変え、再び奥多摩街道沿いに出ると今度は西向きへと流れて行く。
街道からやや離れて個人宅の中に入っていったり、建物の下を通ったりしたのち、奥多摩街道の脇へ。水路は少し深り下げたところを通っている。
街道沿いに熊手や簀の子、籠などの竹細工の店があった。もともと近隣の農家の農具を売っていたのだろう。店の前は鉄板暗渠となっている。
奥に見えるのは奥多摩街道が中央線を越える陸橋の欄干だ。少し先(西)にいけば、最初に紹介した池や石橋のあったエリアだ。流路がずいぶんと迂回してきたことを示している。
水路は竹細工店の敷地内を経由した後、再び中央線沿いに戻り、未舗装の道端を南下して行く。そして、写真の青緑の柵のところで中央線を離れ、東に曲がり住宅地の中へと流れて行く。
(以下次回)
こんなすごいの、教えてくださってありがとうございます!、ってお礼言いたいくらいです。見に行きますココ!
HONDAさんも大興奮なのであそこの写真が多めなのでしょうかw
周辺の田畑にまんべんなく水を補給していたのでしょうか。
水路橋のこと自体は知ってはいたのですが、どんな地図にも全く載ってないし、とっくになくなったものだとばかり思っていました。笹舟でも浮かべて流してみたいです。
そうですね、田畑に供給するためとか、有力な地主の敷地を通すためとか、理由があったんでしょうね。もしかすると水車の設置なんかも絡んでいるかもしれません。
鉄道、しかもあの中央本線の上を渡るとは!!それも現存とは!!「空を飛ぶペンギンを発見!」くらいのインパクトがあります(笑)。この前後のカックン蓋暗渠も見応えがありますし、洗い場のかわいいレイアウトもいいですね!
リバーサイドさんの指摘にあった、「なぜこんなに迂回しているか」ですが、柴崎分水沿いはもともと分水が開通する前から集落が形成されていて、それらの飲用水としての目的があったため、各家庭に水を届けるために迂回していたそうです。