小沢川(2)上流〜中流 街の綻びのような暗渠地帯
2011年 02月 01日
環七通りの歩道から階段を下りると、先ほどまでの寺町や、絶え間なく車の行き交う環七通りとは全く別の空気が漂った暗渠道となる。そこは街の表皮の縫い目が綻びて、中身が露出しているような、時空のずれたような、独特の雰囲気のある場所だ。
一応舗装されてはいるものの、一見そうとは判らないくらい荒れた路上。右岸側には数メートルおきに異なる護岸。
つっかえ棒のある家。この棒を外すと家が倒れて来たりするのか・・・?
谷底らしく、苔むした一角も。
無造作に積み上げられた護岸、蔦、笹、そして壁にはよくわからないミラー。
あちこちに、暗渠沿いの家から、暗渠に降りる階段が見られる。
暗渠沿いで最もまともな部類の立派な階段。
道路との交差。路面の盛り上がり、マンホールを囲む格子、緑の車止め。暗渠は途中から、下水道和田本町幹線となっている。
右岸の木製の階段も気になるが、左岸側の路面のでこぼこもなにやら怪しげ。
でこぼこに接近。間隔を空けて、地中から何かが押し出ようとしている。何者だ!?
暗渠沿いで最も細い部類の貧相な階段。
暗渠に身を乗り出す擁壁。そのうち倒れそうだ。
ここで一旦幅広の道路に出て写真左方向へ。写真右方向からは蚕糸の森公園方面から支流が流れて来ていたと思われる(次回にとりあげる)。
鍋屋横丁から妙法寺へと抜ける古道を越える地点から、再び暗渠が始まる。迅速測図では、ここで2本の水路が1本にまとまるように描かれている。アスファルトの舗装が真新しく、なにやら違和感を覚える風景だったが、帰宅後2007年の写真を見ると、ここには以前、金太郎の車止めがあった(写真右側)。
小沢川とは「小沢」と呼ばれていた谷に流れていたことがその名の由来のようだ。高円寺村は江戸時代初期までは小沢村だったそうで、小沢の地名はその後も字名として昭和初期まで残り続けた。現在の和田3丁目が東小沢、中小沢、そして梅里1丁目が西小沢にあたる。ただ、この妙法寺道より下流側の和田1丁目は「小沢」ではなく和田本村であり、川の呼び名ももしかすると下流では別のものがあったかもしれない。
その先、和田中央公園の脇。古そうな大谷石の擁壁がアスファルトに埋まって頭だけ出している。
進んでいくと、だんだん擁壁が姿を現して来た。
いつのまにかこんな高さに。それだけ暗渠が下り坂になっているということだ。かつて水が流れていた頃は、早瀬だったのだろうか。この辺りから流路は東向きへと変わっている。
車道の脇を抜けていく。ポールやアスファルトに埋まった境界線がはっきり川跡を峻別している。
道は登り坂へ、暗渠は下りへ。
都営和田アパートの前は見事な蛇行暗渠。右岸側は崖となっている。
左岸側だけが、蛇行の形を残している。古地図を見ると小沢川沿いにはこの辺りを含めいくつも池があったようで、水の豊富な土地であったことを伺わせる。
十貫坂上からの道との交差点で、小沢川の谷筋は神田川の谷筋に繋がっていて、周囲の見通しが開ける。そして暗渠は再び道路と一体化して姿を消す。
次回は、神田川との合流地点まで、蛇窪と呼ばれた谷からの支流の暗渠、そして蚕糸の森公園のそばに残る、支流の暗渠らしき路地をとりあげる。
なんだかんだ言ってないで、早く行かなくちゃ、と思いました。
つっかえ棒のある家も面白いですねー。
1回行ったことはあるのですが、気がついてないものが多かったです。
さすがですね。
味わい深い見所、多いです。ぜひ。
そうですね、環七の脇のところは特別な感じがします。
他にも個人宅からの階段がいくつもありましたよ〜
たけのこだったりすると楽しいんですけどねー。もぐらが頑張ってるとか。いったい何が出てくるんでしょうかね。
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