千川上水橋梁と地上に姿を現す千川上水
2011年 05月 23日
橋の名前からわかるように、この下には、千川上水が流れているのだが、前後の区間が暗渠化されているのに、なぜかこの鉄橋を潜る区間の開渠のまま残されている。
千川上水は1696年に玉川上水から分水された用水路だ。当初は小石川御殿や湯島聖堂、上野寛永寺、浅草寺などの飲料水を供給するための上水路としてひかれたが、後には現在の練馬区や豊島区のエリアの農業用水、そして明治以降は工業用水としても利用され、1971年に送水が停止されるまで、途中何度か中断をはさみながらもおよそ270年もの間流れ続けてきた。
1989年に玉川上水の清流復活事業が行われた際、千川上水のせせらぎも復活しているが、流れが見られるのは上流の5kmほどで、それより下流は、昭和初期から戦後にかけて暗渠化されたまま今に至っている。
千川上水は、青梅街道を越える関町一丁目交差点のところから千川通りの歩道の下を暗渠となって流れていくのだが、そこから1.2kmほどの西武新宿線を踏切で越えるこの場所で、再びヒューム管から顔を出す。
暗渠から流れ出す水は1日3000トンほどだという。清流復活により千川上水には1日1万トンの高度処理水が流されているのだが、そのうち7000トンは暗渠となる青梅街道交差点のすぐ先で善福寺川へと導水されており、残りがここを流れているというわけだ。
水路は西武新宿線が建設された際に、なるべく鋭角に川を渡るように、つまり鉄橋の長さが短くなるように付替えられたとのことだ。川底の幅は1mほどだが、V字型に深い水路敷となっていて、敷地の幅は5mくらいはある。
鉄橋の下を流れていく。
開渠の区間は35mほど。鉄橋を潜ってすぐの地点で、水路は再び地中に潜ってしまう。顔を出す地点とおそらく同じ太さのヒューム管に水が流れ込んでいく。
線路の北側に続く千川通り。不自然に幅広の歩道の下を暗渠が流れているが、知らなければ地上からはまったく判らない。
千川上水に流れる3000トンの水は、この先13kmあまりを再び暗渠で流れていく。そして、JR埼京線板橋駅の東側で、谷端川放水路の暗渠に接続され、北上した後石神井川に放水されている。ちなみに谷端川放水路の暗渠は、1924年に谷端川の氾濫対策としてつくられた水路で、現在では谷端川幹線の雨水幹線として使われている。
高度処理水とはいえ。せっかく水が流れているのだから途中の区間で水路を復活できないものだろうか、と思ってしまうが、現実的にはなかなか難しいようだ。それにしても、13kmもの距離にわたって比較的きれいな水が人知れず地下を滔々と流れていくさまは、まさに暗渠であり、なにやら秘密めいた感じがする。
千川上水復活に賛同される方よりの、ご連絡を頂きたく。
連絡先は、私のブログのプロフィールに掲載されております。
ずいぶん前に上水復活の機運もありましたが、予算等の関係で断念されたとか。せっかく地下を水が流れているのだから、うまく利用してできないものでしょうかね。