東京都内の中小河川や用水路、それらの暗渠、ひっそりと残る湧水や池をつれづれと辿り、東京の原風景の痕跡に想いをよせる。1997年開設の「東京の水」、2005年開設の「東京の水2005Revisited」に続く3度目の正直?


by tokyoriver

野川に切り離された、入間川の本当の下流部~深大寺用水と入間川を紐解く(16)

「深大寺用水と入間川を紐解く」シリーズの最終回は、失われた入間川の下流部を辿る。まずは前回の記事でも取り上げた、入間川の河口。現在の入間川は、調布市入間町と狛江市東野川の境目で、野川に合流して終わっている。前回の記事では水の流れる2008年6月、涸れている2012年2月の写真を載せたが、今回の写真は2012年5月のもの。水はしっかり流れている。右側に見える別の合流口は、かつての合流式下水道の排水口らしく、今では使っていないそうだ。
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入間川と野川の流路の変遷

下の地図は、京王線以南から小田急線を挟んで二子玉川付近までの一帯の、現在見られる河川の流路を示している(一部暗渠)。野川が北西から南東に横切り、そこに入間川、仙川が合流している。また仙川は野川に合流する手前で丸子川を分け、そちらには途中から谷沢川が合流している。これらの川が現在のような流路となったのは1967年以降のことだ。
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1967年以前の流路は、下の地図のようになっていた。大きく異なるのは「六郷用水」の存在だ。また、狛江市内の野川は今よりも西側を流れていた。そして、小田急線喜多見駅付近の、現在野川が流れている辺りには、入間川が流れていた。この失われた入間川下流部が今回の記事の主題だが、その前に一帯の河川・用水の変遷について簡単に触れておこう。
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六郷用水

六郷用水は、江戸時代初期、1597(慶長2)年から1611(慶長16)年にかけて15年の歳月をかけてによって作られた、多摩川から分水した灌漑用水だ。開削を主導した小泉次大夫吉次にちなみ、「次太夫堀」とも呼ばれている。なお、多摩川を挟んだ反対側(川崎側)には同時期に二ヶ領用水が開削されている。
取水口のある狛江近辺の水路は1605(慶長10)年に開削が始まり、1609(慶長14)年には開通して現在の狛江と蒲田の間の本流が繋がった。そののち引き続き小堀(六郷領内の分流)が開削され1611年に完成した。その延長は23kmに及ぶ。当初は六郷領21ヶ村にのみ水利権があったが、のち1726(享保11)年に、世田谷領の14ヶ村についても利用が認められた。

六郷用水の廃止と野川の改修

300年以上にわたり、現在の世田谷区南部と大田区の田畑を潤してきた六郷用水は、流域の都市化に伴い1950年頃には使われなくなったという。そして取水口から狛江駅付近までの上流部は1965年に暗渠化された。
一方野川は、戦後相次いだ氾濫を契機に1962年に改修工事が開始し、狛江市内では入間川の流路への付け替えと直線化という大幅な改修となった。この工事は1967年に完成した。
取り残された水路のうち六郷用水の区間は1971年ころまでには暗渠化し、世田谷区内の区間は滝下橋緑道になった。そして、旧野川の区間も1974年から77年にかけて緑道化され、最初の地図に見られるような現在の姿となった。
なお、あわせて仙川の流末も野川に接続するようになり、取り残された六郷用水は丸子川として再出発した。

六郷用水開削前の入間川と野川

では六郷用水が開削される前の入間川や野川はどのような流路を流れていたか。下の地図がその想定図である。ルートは現在残っている関連する水路や水路跡をつなぎ推定で描いた。実際に必ずしもこのとおりだったわけではないだろう。
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これを見ればわかるように。六郷用水が開削される前、野川は現在の岩戸川(〜清水川・町田川・宇奈根川。いずれもほぼ暗渠化)の流路を経て多摩川に注いでおり、一方で入間川は現在の野川の流路を経て多摩川に注いでいて、それぞれは独立した川だった。
そこに六郷用水が開削されたことで、野川と入間川は、下流部を切り離されて六郷用水に取り入れられた。六郷用水が再び分かれた後の入間川の最下流部は、野川として扱われるようになった。六郷用水には、他にも仙川や谷戸川が取り入れられ、切り離された仙川の下流部は荒井吐、谷戸川の下流部は谷川として扱われるようになった。

段彩図で土地の高低差を見ると、かつての野川と入間川の流路が一目瞭然に浮かび上がる(国土地理院基盤地図情報5mメッシュ地図をカシミール3Dで加工)。野川の旧流路と岩戸川/清水川の谷筋は連続している。一方で入間川の谷筋との間には微高地があってはっきり隔たれている。
通説では野川は宇奈根付近で多摩川に直接合流していたとされており、図の流路描写はそれにあわせてあるが、地形の微高低差を見るとそこではなく、入間川に合流していた可能性もある(それらの低地は現在清水川や宇奈根川のルートとなっている)。
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こうしてみると、入間川は時代を追うごとにその流路を奪われ縮めてきたこととなる。まずは六郷用水の開通で下流部が六郷用水と野川に奪われ、流路が縮まった。そして1960年代の野川の改修にでは更に上流部で断ち切られたうえに、野川の支流扱いとなってしまった。現在入間川とされている流れは、かつての長さの半分くらいにすぎない。

六郷用水の開通から廃止、そして関連する河川の改修による水路の遷移は探っていくと面白い。また、かつての野川の流路を含む、清水川/岩戸川/町田川/宇奈根川とも呼ばれた川の流れるエリアは水路が複雑に交錯し、更に猪方用水や岩戸用水といった六郷用水からの分水路も絡んで複雑だが、詳細を記すとそれだけで数回分の記事となってしまうので、今回はこの程度で留めておき、主役の入間川を六郷用水開削後の合流地点付近まで追っていく。下の地図の紫色のラインで描いた水路跡・暗渠が、今回取り上げる区間である。
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野川右岸に残る入間川旧流路跡

野川にかかる「谷戸橋」を渡る道路を過ぎた地点から、はっきりとした水路跡が現れる。写真の箇所は左岸側のマンションの建設にあわせて整備されたようだ。
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その先の谷戸橋広場の脇には、草の生い茂る空き地となった水路跡が残っている。この辺りでメインの流路は二手に分かれていた。高低差を考えると東側の水路が本流で、西側の水路があげ堀的な傍流だったのだろう。その他にも水田の灌漑用に、幾筋かに分かれた水路が交錯していたようだ。
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まずは西側の傍流を辿る。空き地の水路跡を下流側から望む。これより下流は世田谷区に突入。いったん道路の歩道になる。
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だが少し進むと、細い水路跡の道が現れる。
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道端にはコンクリート蓋の溝渠が続く。処々で排水管の継手が突き出す。
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細い暗渠路地の終端から上流側を振り返る。右側の空き地にも実は水路跡が残っている。
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写真ではわかりにくいが、細長い窪地が写真左奥から右手前に続いている。これは東側の本流からの分水路で、前の写真の手前で、西側の水路に合流していた。
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窪地を上流側から見ると、水路敷の幅の分だけ空き地となっていてよく分かる。
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先ほどの細い暗渠路地の下流側は、再び道幅が広くなる。写真は下流側から上流方向を望んだところ。奥に見える草地がさきほどの合流地点。一段低くなっていて、護岸風の擁壁からは排水管の継手が突き出している。
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車止めのついた暗渠道は、喜多見駅の方に南下していく。
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ここで少し遡って東側の本流を。小田急線の車両基地でもあるふれあい広場の西側に沿って写真手前を右から左に川跡の遊歩道が続く。正面は西側の傍流との間をつなぐ水路跡だろう。下流側に進むと、先ほどの草叢の窪地を通る水路が分かれていた。
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川跡は遊歩道を抜けると、小田急の車庫に沿った道の歩道となって南下していく。微妙な曲がり具合が川を彷彿させる。
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何本かに分かれていた入間川の水路は、小田急線の線路の手前で一本に合流し、線路をくぐっていた。線路の南側、ちょうどかつて水路が通っていた地点には高架下に不自然な空間がつくられている。前後は一面の壁面となっているのだが、ここだけ高架下を抜けられるようになっている。だが、抜けた先に何かあるわけでもなく、通路ではなさそうだ。水路敷と関係あるのだろうか。
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小田急線を潜ってすぐ南側の地点にはかつて水車が掛かっていた。1878(明治11)年の設置で、直径は1丈5尺(約4.5m)あったという。その先の入間川は、現在の野川の河川敷の付近を蛇行しながら流れていた。
野川に架かる上野田橋の袂には石橋供養塔が保存されていた。側面には文化八年(1811年)と記されている。かつての入間川の流路に架かっていた橋の供養塔だろう。
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入間川流末の分流の暗渠

ここから先は、石橋供養塔の辺りで西側に分岐していた分流を追ってみる。歩道を写真手前から奥に。道路が細くなり歩道がなくなる地点から「歩行者自転車専用道路」との標識のある細い路地が分かれる。
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路地に入って行くと、入って行くとすぐに階段が現れる。降りた先はフェンスに囲まれたコンクリート蓋の暗渠となっている。
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写真は下流側から上流方向を望んだ様子。浅い谷の西側の縁に沿って暗渠が続く。
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川沿いの民家に出入りするための小さな橋も残っている。
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蓋暗渠はその先、世田谷通りに突き当たって消える。
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滝下橋緑道へ

世田谷通りを越えると、水路跡風のやや太めの路地。近くには「水車」の名がつけられたアパートがあった。ここより少し先のあたりにもかつて直径6mもある大きな水車があったそうだが、関係あるのだろうか。
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そして路地を抜けると、滝下橋緑道に出る。かつての六郷用水は、取水口から狛江駅付近までは道路になったり世田谷通りの歩道に取り込まれてしまっていて全く痕跡はないが、世田谷通りから分かれた後の世田谷区内の僅かな区間は「滝下橋緑道」として整備されている。

滝下橋の由来である字名「滝の下」は、六郷用水が世田谷通りから離れて緑道が開始する地点にあった「たんげいの堰」から落ちる水が滝のようであったことに由来するという。堰では六郷用水の北側に用水路が分かれ、入間川を掛樋で越えて国分寺崖線の直下を流れ、成城三丁目緑地からの現在も残る湧水を合わせた後再度六郷用水に戻っていた。
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緑道を100メートルほど進むと、とうとう野川に出る。のれんのかかった暗渠の口がぽっかりと開いている。ここの手前で、入間川は六郷用水に合流していた。90年代初頭までは野川のすぐ脇に並行して水路敷の窪地が残っていたようだが、今は歩行者道となっている。
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暗渠の出口の先には野川とその河川敷が広がる。かつて六郷用水が開削されるまでは、この先の流路も入間川として、多摩川まで続いていたわけで、少し下流側にある次大夫堀公園に残る六郷用水の水路もいってみれば入間川の流れだったのだ。
1960年代なかばの整備を経た現在の野川はほぼまっすぐに南東へと流れていく。河川敷は広くとられていて、空が広い。一時期は下水同然と化したその流れも今では澄んだものとなっている。それでも大雨の後は下水が流れ込み水質が悪化するし、雨が少ない年は瀬切れしてしまうといった問題は抱えている。

なお、野川の直線化改修には水路に並行して計画された外郭環状道路も関係していたという。こちらは1970年に大泉以南の計画が凍結されたのだが、近年になって地下道路として計画が復活していて、地下水脈や湧水への影響が懸念される。すでに白子川水系沿いの貴重な湧水群である「八の釜憩いの森」の湧水が外郭環状道路の整備で消滅することが明言されている。
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これより下流、六郷用水の開削やその後の河川改修に絡んだ野川、仙川、谷沢川、丸子川、谷川といった川の流路変更や、あるいはかつての野川流路(もっと遡れば多摩川の流路)だった岩戸川/清水川や町田川/宇奈根川といった川の複雑に残る暗渠も興味深いが、それらは別の話題となるるので、又の機会としよう。
そして、深大寺用水としての開削区間より上流側の砂川用水〜梶野新田分水についても、また機会があれば記したい。

半年、16回にわたっての入間川と深大寺用水のシリーズ、当初の構想よりもかなり扱う範囲やボリュームが増えてしまったが、これにてひとまずお開きとなる。深堀りしすぎたこともあり、「fragments」(断片)とはだいぶかけ離れてしまった。読みにくくなってしまったことはお詫びしたい。
最後に参考文献一覧を記す予定だったが、今回の記事が想定外に長くなりすぎたので、数日中にシリーズ全体の目次とあわせて別の記事としてアップすることにする。

(もう1回だけつづく)
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Commented by 猫またぎ at 2012-05-22 20:50 x
今回のルートは、部分的に、以前lotus62さんがブログに書かれていたところですね。
http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-16a8.html
(lotus62さん、勝手に引用して済みません)
旧入間川だったのですね。

長期にわたるご報告、お疲れ様でした。
面白そうなところがいっぱいあって、自分もたどってみたいのですが、地図がたくさん出てきたので、どの地図でたどればいいのか分からなくなっちゃいましたw
Commented by tokyoriver at 2012-05-22 22:56
猫またぎさん。
そうですね、以前そのlotus62さんの記事でもコメントさせていただきました。地図、次の目次と参考文献リストの記事に、全体のものを載せましたので、そちらをご参考にしていただければ・・・(笑)
Commented by okatan at 2012-10-15 11:52 x
はじめまして。
六郷用水に興味があり、とても参考になりました。
私は池上の六郷用水際に住んでいて、いろいろ知りたく今度六郷用水の会に入ろうと考えています。
これからも宜しくお願いします。
Commented by tokyoriver at 2012-10-16 00:20
okatanさん。
はじめまして。六郷用水の会、という組織があるのですね。大田区に入ってからの網の目の様に分かれた水路がとても興味深いです。
by tokyoriver | 2012-05-20 22:50 | 入間川と深大寺(砂川)用水 | Comments(4)