羽根と粘土のはざま。石神井川羽沢支流(下練馬分水)をたどる
2013年 05月 30日
羽沢支流にはその源頭部に、千川上水からの分水路が接続されていた。こちらの分水路は下練馬村分水とよばれていたため、羽沢支流全体を下練馬村分水、あるいは羽沢分水と呼ぶこともあったようだ。分水路は江戸中期には開通していたようで、羽沢の谷戸の底には細長い水田が拓かれていた。
「羽沢」は現在では「はざわ」と読むが、もともとの地名は「羽根澤」と書いて「はねさわ」と読んだ。下練馬村の字名の一つだ。昭和初期の板橋区編入時に消滅した地名だが、1962年に羽沢として復活したという経緯を持つ。どうせ復活するならそのまま羽根沢にすれば良かったのに、なにか思惑があったのか。
練馬区のサイトによれば、地名の由来としては鶴がたくさん飛んできて羽を落としていったからというよくわからない伝承があり、一方で「埴沢」つまり、埴輪の素材となるような、粘土質の土が採れる場所だったからだろうとされている。
羽沢といってまず思い出すのは、渋谷川の支流「いもり川」の流れていた「羽沢」だ。こちらには源頼朝の飼っていた鶴がここに飛来して営巣し、卵から孵った雛がはじめて羽ばたいたところ、と、やはり鶴にかこつけた由来が残っている。羽から鶴への連想・変換というのはひとつの型だったのだろうか。(いもり川の記事はこちら「いもり川再訪(1)」「いもり川再訪(2)」。)
おそらくもともとはどちらも粘土や泥を指す「はに」が語源なのだろう。古地図をみると練馬の羽根沢から続く台地のヘリには「羽根木」という字名があり、同じ地層の粘土が露出していたであろうと思われる。ちなみに「赤羽」の羽も同様に赤い粘土質の土がとれたことが語源とされている。
粘土が語源だとすると羽根のイメージとはまったく異なってきてしまうわけだが、それでもなおハネという言葉の響きにはなにか惹かれるものがある。そんなわけで羽沢支流を千川上水の分水地点付近から河口までたどってみた。
2013.7.15訂正
羽沢湯はふじ公園の場所ではなく、100~200mほど下流寄りの四つ角を右に曲がった所にあったとのことです。TAKA様、ご指摘ありがとうございました。
実際にたどってみると、何か取り立てて特徴や見どころのある川跡ではないが、何となく長閑でゆったりした空気が漂い、ふらと散歩するにはちょうどいい暗渠に思えたのはやはりその地名のもたらす感覚もあるのだろうか。宿湿化味の支流については前に記事にしているので、こちらもあわせてご一読あれ。
「水田のなかった谷戸。宿湿化味の谷の川跡を辿る。」
コメントありがとうございました。本文中に訂正を加筆しました
(せっかくのコメントですので、非公開を外したいところです・・・)。
この地に生まれ育った懐かしさもあって、
差し出がましくもコメントさせていただきました。
お差し支えなければ、
非公開は外して戴いても結構です。
これからも楽しみに拝読致します。
ありがとうございます。非公開はどうやら外せないようですので、
以下、いただいたコメントを写します。
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いつも楽しく拝読しています。
さて、記事中の羽沢ふじ公園についてですが、
ここは羽沢湯の跡地ではありません。
羽沢湯があった場所は100~200mほど下流寄りの
四つ角を右に曲がった所にありました。
大した差異ではありませんが、
いつも的確な記述をされておられる貴サイトの
お役に立ちたいと思いコメントさせていただきました。
なお、団地北側の土手状の土盛りですが、
昭和50年頃から全く変わっていません。
(川は暗渠になっていましたが)
以上、拙文にて失礼いたしました。
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暗渠好きで検索したら出てきました!
正直すげえ地元です!
特に12枚目の写真のすぐのところ実家です笑
そこの都営団地には地元の奴らも住んでます笑
思いっきり地元でみながら爆笑しました笑
めちゃめちゃ近所すぎて今書き込みながら笑ってます笑
コメントありがとうございます。暗渠、案外身近なところにあるものですね。