東京都内の中小河川や用水路、それらの暗渠、ひっそりと残る湧水や池をつれづれと辿り、東京の原風景の痕跡に想いをよせる。1997年開設の「東京の水」、2005年開設の「東京の水2005Revisited」に続く3度目の正直?


by tokyoriver

渋谷川暗渠、2度めの移設

諸般の事情で半年以上更新が滞ってしまいましたが、ぼちぼち再開していこうと思います。久々の記事は、最近一部で話題となっている、渋谷駅前の渋谷川暗渠のお話を。

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渋谷川やその水系の暗渠については、本サイトのもととなった1997年版の「東京の水」でとりあげ、その後2005年の「東京の水 2005 Revisited」でも詳細に辿った。また、暗渠本「東京「暗渠」散歩」でも1章を割いて記した。そんな風に個人的に馴染み深い水系だ。
一方で、近年のブラタモリや「アースダイバー」、地形ブームなどで、渋谷駅前、稲荷橋の下で暗渠区間から姿を現す渋谷川は、今や「暗渠」の代名詞とも言える風景として知られるようにもなった。
下の写真は2005年撮影の、渋谷駅南側のビルの谷間を流れる渋谷川。水はほとんど流れていない。
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■渋谷川の暗渠の中

2013年夏、テレビ番組の撮影で、この渋谷川の暗渠の中に少しだけだが潜入する機会があった。3月に東急渋谷駅が地下に移設され、6月には駅周辺の再開発事業計画が正式決定、いよいよ駅前の再開発が本格的に始まる時期。これを逃すともう中に入る機会は訪れないかもしれない、ということもあり引き受けた案件だった。

長靴を履き、稲荷橋の暗渠開口部脇から護岸を川底へと降りる。
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最初の写真でご覧のとおり、通常このあたりはほとんど水が流れていない(その理由は後述)のだが、この時は水かさが10cm以上はあった。前日の大雨の影響もあるだろうが、川底には藻も繁殖していて最近恒常的に水が流れていることを示している。渋谷駅周辺の工事の影響で地下水や漏水が出ているのだろうか。
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入り口から数十m進んだ暗渠内の様子。暗渠潜入自体が番組のテーマではないので、あまり奥までは潜入しなかったが、この先、宮益坂下のかつて「宮益橋」が架かっていた地点までは遡ることができるはずだ。
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暗渠内は蒸し暑く、暗く、そして少し下水のにおいがする。護岸や天井が比較的きれいなのに対して水路内はだいぶ荒れており、真ん中にはコンクリートの壁の残骸のようなものが残っている。これについても後述する。
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■蓋を外された暗渠

さて、その後渋谷駅前の再開発工事はいよいよ本格化し、旧東急渋谷駅の解体が進み、そして今年2014年1月、とうとう渋谷駅前バスターミナルの下を流れる渋谷川暗渠の一部の蓋が外された。
下の写真は渋谷駅とヒカリエを結ぶ通路の上から現場を眺めたもの。ぽっかりと穴が空いている。写真左奥、高速道路と歩道橋が画面から切れる辺りが、稲荷橋の暗渠の出口だ。
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穴に近づいてみる。川底には暗渠入り口と同じく水路をふたつに分ける壁の残骸が見える。下水の臭いが漂うが、水はあまり無い。
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この風景はtwitterなどでもかなり話題となり、実際に現地を訪れ確認する人も少なくなかったようだ。なぜ水がないのか、護岸は川が地上にあった頃のものなのか、といった話題もみかけた。渋谷川を知る者にとっては釈迦に説法になるだろうが、それらの解答を紐解いてみよう。

■渋谷の川跡と下水幹線

まず、あらためて、渋谷駅周辺エリアの渋谷川水系について見てみよう。下の地図は標高を表す段彩図に、かつての渋谷川及びその支流をプロットしたもの。青い線がかつて流れていた川、赤い線はかつての用水路、水色の線は現存する渋谷川だ(google earth経由「東京地形地図」にプロット)。渋谷はその名の通り谷底にあり、その谷底で宇田川と渋谷川(穏田川)が合流し南下していく地点となっている。
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これらの川は、一部は昭和初期に、そして大部分は1960年代に暗渠化され、下水幹線に転用されてしまった。ではなぜ下水の水が渋谷川の開渠区間に流れだしてこないかというと、暗渠から開渠に切り替わる直前で、別の下水幹線に下水が流されているためだ。

以下の図は、東京都下水道台帳より渋谷駅周辺の渋谷川に関連する下水幹線をgoogle mapにプロットしたものだ。
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図の右上から流れる渋谷川の暗渠は、現在下水道「千駄ヶ谷幹線」となっている。蓋を掛けられたかつての川には下水が流されているわけだが、宮下公園の北端で水路内に堰が設けられており、下水は明治通り下を流れる「渋谷川幹線」「古川幹線」へと迂回していく。なので、これより下流部の暗渠には、ふだんは上流からの水は流れず、大雨が降って下水の水かさが堰を越えた時だけ、あふれた水が雪崩れ込むようになっている。

一方で、渋谷川最大の支流、宇田川も、その暗渠は「宇田川幹線」として下水に転用されている。こちらも井の頭通りの入口付近に設けられた堰で公園通り〜ファイヤー通りの下に迂回し、同じく宮下公園北側で渋谷川幹線・古川幹線に接続されている。

こうして、通常は宮下公園以南の暗渠とそれに続く開渠区間では、地下で染みだした水や雨水だけが流れる、ほとんど水がない状態になっているわけだ(渋谷と恵比寿の中間、並木橋より下流は再生水が導水されていて、常時水が流れている)。

■2回めとなる流路の引越し

このように渋谷川の暗渠の大部分は下水道扱いとなっているのだが、宮益橋から稲荷橋までの区間240mだけは、最近まで開渠区間と同じく川として扱われていた。
宮益橋寄りの区間には1934年、東横百貨店(東急東横店東館)が川の上に建てられ、川は暗渠となった。一方、銀座線から稲荷橋までの区間は、上流部の暗渠化とほぼ同時期の1961年に暗渠化された。その際に東急渋谷駅の拡張や、首都高速3号渋谷線の用地を確保するため、流路の変更工事を行ったうえで蓋がかけられた。

実は、今回蓋が開けられたのはこの流路変更後の区間となる。したがって、そこはもともとの渋谷川開渠のルートではなく、暗渠用に改めて開削された水路だ。
近くからの写真に写っている、護岸縁のワッフル状の窪みは、おそらく暗渠の蓋の梁の接合部の痕跡だ。そして、水路の真ん中を分ける護岸は、最初の流路移設・暗渠化の際に、水の流れを制御していた仮水路の護岸の残骸なのである。

そして、53年ぶりに地上に姿を現したこの水路は、渋谷駅の拡張のため再び移設される運命にある。

下の地図には、(1)1961年までの流路、(2)現在の流路、そして(3)今回の再開発で付け替えられる予定ルートをプロットした。赤い矢印が今現在見られる開削地点となる。

数年前より検討されてきた渋谷駅周辺の再開発に関連する都市計画は、2013年夏に東京都により正式決定された。これにより渋谷駅東口には2020年を目処に、43階建て、高さ230mの駅ビルが建つこととなった。そして、現在の暗渠ルートはこのビルを横切ることとなるため、ルートの変更が行われることとなった。工事期間は5年ほど。1961年の移設区間だけでなく、東急東横店地下のルートもあわせて東寄りに移設され、あわせて地下には雨水貯留施設が建設されるという。
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この移設工事に先立ち、すでに2009年6月、暗渠の川扱いの区間がひそかに下水道扱いに変更されている。これは再開発をスムーズに進めるためだ(川扱いのままだと河川法が適用され、川の上部空間の利用に制約がかかる)。したがって、厳密に言えば現在では渋谷川は稲荷橋より下流の開渠区間だけとなり、「渋谷川の暗渠」は公的には存在しないこととなる。私が13年夏に潜入した時、そこはすでに下水扱いとなっていたわけだ。

■変わり続ける風景

明治通りを横切る歩道橋の上から、蓋を開けられた暗渠を見下ろす。目の前の東急東横店東館は2013年3月に閉店し、周りを囲まれ取り壊しを待っている状態だ。その下をくぐる戦前からの暗渠も、今回の付け替えで取り壊される。
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馴染みのある風景が変わっていくのは寂しいが、この風景もまた、その前の風景を塗り替えてつくられた風景であった。暗渠が駅の下に潜る付近の渋谷川には、大正時代末期まで「宮益水車」とよばれる大きな水車が設置されていた。18世紀末につくられたこの水車は、明治初期には「三井八郎右衛門」(おそらく三井財閥中興の祖、8代高福)らの所有となり、水車経営の利益を充てて1875年、渋谷区初の公立小学校が設立・運営された。
この小学校(のちの渋谷小学校)は、現在ヒカリエの建つ敷地付近にあった。それらは今は何の痕跡もなく、眼前の風景からはまったく想像ができない。

ひとつづきの歩道橋の南側からは、稲荷橋、そして開渠の渋谷川を眺めることができる。こちらの風景もかつては全く異なるものだった。
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歩道橋の架かる国道246号線が通っている敷地には、かつて橋の名前の由来となった「川端稲荷(田中稲荷)」があって、銀杏などの木々が生い茂っていたという。その風景は、大正期にこの近辺に住んでいた大岡昇平の自伝小説「幼年」では以下のように描写されている。

「当時は境内の鬱蒼たる大木が渋谷川の流れに影を落としていた。「川端稲荷」の名にふさわしい、水辺の社であった。殊に夏は涼しいから、鳥居の傍の茶店で氷を売っていて、荷車曳きや金魚売りが休んでいる姿が見られた」

現在の川は3面張りのコンクリートで固められ、大木の代わりに高速道路の高架と歩道橋、そして暗渠の蓋と幾重にも構造物が重なり、左右も細長いビルに挟まれていて、100年前の風景を再生するような手がかりはない。
ここの区間の渋谷川は、再開発に伴い再生水の流れる水景施設として整備されるという。もしかすると今よりも多少は100年前の風景に近づくのかもしれない。ただ、現在のこのある意味殺伐とした風景もまた、渋谷の一風景として今を生きる人の一部には懐かしい風景として記憶に刻まれるのではないか。そしてその風景は、徐々に忘れられていくのだろう。



主要参考文献:
・「下水道台帳」東京都下水道局
・「渋谷の水車業史」渋谷区立白根郷土文化館
・「「春の小川」の流れた街 ・渋谷」渋谷区立白根郷土博物館
・「渋谷駅中心地区基盤整備方針」渋谷区
・「幼年」大岡昇平
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Commented by WeekendOutdoors at 2014-02-08 00:23 x
こんにちは。
じっくりと読ませていただきました。
今昔とは言いますが、まさに人と水のかかわりのあり方がここにあるんだな、なんて思って読ませていただきました。
Commented by tokyoriver at 2014-02-08 20:41
WeekendOutdoorsさま。
ありがとうございます。時代によって川と人の関係はどんどん変わりつつ、それでも関わり続けていくのでしょうね。
Commented by としぞう at 2014-02-18 13:01 x
初めてのコメント失礼いたします。
前サイトから愛読しているものです。
上記の地図中にいくつもあるファミリーマートのマークがあるところのひとつに16年ほど暮らしたことがあるものです。
幼少のころの渋谷川と今の渋谷川の違いをちゃんと理解することができました。解説ありがとうございます。
川だけでなく、町も大きく変化してしまっていることに感慨深いものを感じております。
現在は渋谷から離れたところに住んでいますので、久しぶりに渋谷の現状を見にいきたくなってきました。
Commented by tokyoriver at 2014-02-18 22:41
としぞうさま。
コメントありがとうございます。旧サイトから読んでいただいているとは、有り難い限りです。渋谷で暮らされていたのは暗渠化前の頃でしょうか。渋谷の風景は、ここ10年だけ取ってもずいぶんと変化してしまったと思いますし、これからも変わっていくのでしょうね。
Commented by としぞう at 2014-02-19 11:03 x
いえいえ、そんなに昔ではないです。
昭和50年から平成10年くらいまでです。
ただ、祖父や親から昔の状況を聞いておりました。
今回の記事では、私の記憶にある開渠部分の流れはもっと多かったはずなのに、という疑問を今回の記事でとくことができました。
渋谷川はきれいな湧水を確認できる源流地点(新宿御苑、清正井、初台)を持っているのに、開渠ではその水が流れていないことに非常にもったいない気持ちを感じております。
Commented by tokyoriver at 2014-02-22 00:06
としぞうさま。
そうだったのですね。それは失礼しました。
渋谷川、確かに源流の水はそれなりにあるのに、全部下水に流してしまっているのが現状なのは勿体無いですよね。清流を復活したりするのなら、再生水ではなくそれらの水を何とか活用できないのかと思います。
Commented by としぞう at 2015-01-07 09:14 x
過去記事にコメント失礼いたします。昭和22年に渋谷で生まれて、その後50年近く渋谷に住んでいた親父にこの正月に昔話を聞いてきました。
その際にこれまで聞いたことが無い話があったので、何かご存じではないかと思いコメントしました。
現在、美竹公園や旧渋谷小学校がある渋谷1-18は、親父が少年時代のころ梨本宮の屋敷だったとのことです。旧渋谷小学校の南西部分には今でも池があるはずなのですが、その昔も本当に池があり、親父は屋敷に忍び込んでは宮邸の執事の息子だったはずという友達とその池で良く遊んでいたといっていました。そして、その池から渋谷川にそそぐ小川があり、親父は余って小川に落ちて危うく渋谷川まで流されそうになった、との昔話をしました。旧青山病院の池とは別、とのことです。
そのような池や小川があったという話を他で見かけることが無いのでちょっとこちらにコメントさせて頂きました。
西武百貨店の地下が実はつながっていたという話など、渋谷川にはまだまだ知らないことがあるのだなあ、と最近思っております。何かご存知でしたら教えて頂けますでしょうか?
Commented by tokyoriver at 2015-01-09 23:20
としぞうさま。
貴重な情報ありがとうございます。確かにあの場所は古地図を見ても長い期間、梨本宮邸となっています。また、地形的には台地の斜面にあたり、水が湧いていてもおかしくありません。ただ、池や水路については地図からは確認できませんでした。当時は川というよりも湧水や雨水を排水するための溝渠も数知れずありましたので、それらのうちのひとつかもしれません。機会があればまた調べてみたいと思います。
by tokyoriver | 2014-02-06 00:00 | 渋谷川とその支流 | Comments(8)