東京都内の中小河川や用水路、それらの暗渠、ひっそりと残る湧水や池をつれづれと辿り、東京の原風景の痕跡に想いをよせる。1997年開設の「東京の水」、2005年開設の「東京の水2005Revisited」に続く3度目の正直?


by tokyoriver

カテゴリ:呑川水系と荏原台の水( 5 )

原の水神池からと滝王子稲荷からの2つの小川は合流したのち、品川区と大田区の境界線を南下し、池上通りに出る。通りのところには、かつて「山王橋」が架かっていた。暗渠の上の構造物は遠近感を強調していて少し面白いが、ここが川だったというような表示が全くないのが残念だ。山王橋の名前もみあたらない。
c0163001_03457.jpg


暗渠は通りを越えると、綺麗なS字形に蛇行して東に下って行く。かつては左岸はお屋敷で、川は鬱蒼とした森の中を流れていたという。暗渠沿いに並ぶ大木はその名残だろうか。
c0163001_23534614.jpg

暗渠はJRの線路に突き当たっていったん行き止まりとなる。線路沿いに左岸の斜面を上がったところが大森貝塚だが、直接は行けないので、いったん池上通りに戻り、品川区の大森貝塚遺跡庭園から回り込むこととなる。

大森貝塚はエドワード・S・モースが1877年、東海道線の車窓から発見、発掘した縄文時代後期の遺跡で、貝殻のほか、土器や土偶、人骨なども発見されており、日本考古学発祥の地とされる。

長らく正確な場所がはっきりせず、そのため大田区側にも大森貝墟の碑が立っているのだが、最終的に1984年に品川区側だったと判明した。つまり大森貝塚は大森ではなく大井にあったということだ。公園内に、縄文時代の近辺の様子を描いたイラストがあるが、ちょうど鹿島谷のところに小川と泉が描かれていた。縄文時代ここに暮らしていた人々はおそらく鹿島谷を流れる清水を生活に使っていたのだろう。
公園南東側の斜面を下った線路際に貝塚碑が建っている。
c0163001_23541538.jpg


遺跡庭園の北側の道路を東側に向かうと、JRの線路を「桐畑地下道」で潜って線路東側の低地に出ることができる。地下道の出口はちょうど荏原台の東端となっていて、片隅に湧水が湧き出している。石組みの小さな池に金魚が泳いでおり、あふれ出した湧水は側溝へ流れ込んでいる。
c0163001_23544180.jpg


線路沿いに南に進むと、先ほどの鹿島谷のちょうど向かいに、暗渠の続きがある。ここからは谷を出て、平地となる。縄文時代は海だった場所だ。
c0163001_033252.jpg

暗渠はしばらく続いたのち、区画整理された普通の道路になる。この先、しながわ水族館のあるしながわ公園近辺で東京湾に注いでいたはずだが、痕跡はない。

これにて鹿島谷の流れを辿り終えるが、最後に近くの湧水ポイントに寄り道。いったんJRの線路沿いに戻り、線路沿いの水神公園を北上、先ほどの地下道の湧水を通り過ぎて、更に北上すると、マンションに囲まれた交差点の一角に「大井水神社」がある。この境内に、(かつての)湧水池がある。ここも荏原台の東端の麓に位置する。台地の地下を流れて来た水が、低地に出るところで湧き出していたのだろう。この湧水はかつて、「柳の清水」と呼ばれる名水で、1685年に水神社が祀られた。近隣住民の貴重な飲用水や農業用水として利用された他、歯痛に効果もがあったとか(原の水神池は眼病)。湧水は70年代半ばにほぼ枯渇し、以後、地下水の汲み上げで維持されている。

池は澄みきっており、循環ではなくいわば掛け流しで地下水を流しているのだろう。それにしても、今回まわった3カ所の池はいずれも柵で囲まれており、いくら安全上の理由とはいえ水辺に近づけないのがとても残念だ。
c0163001_2355095.jpg


溶岩石で組まれた水神社の祠の前には、石で組まれた自噴井戸があり、わずかに水が流れ出ている。これがかつての湧水だったのだろうか。
c0163001_2355175.jpg


以上で荏原台の最東端の湧水と川跡を辿るシリーズは終わり。あまりなじみのない土地であったが、暗渠も湧水も、予想外に見所の多い谷だった。


[PR]
by tokyoriver | 2009-11-14 23:26 | 呑川水系と荏原台の水 | Comments(3)
大井・鹿島谷を流れる谷のもうひとつの水源は、滝王子稲荷神社(品川区大井5-12)だ。神社には小さな拝殿があり、その右手に小さな丘とタブノキがある。タブノキは推定樹齢300年という。

c0163001_23575018.jpg


タブの木の下に柵に囲まれた池がある。ここがかつての川の水源だ。池は谷頭に位置するが、きわめて浅い谷で、滝王子という名もそこに滝があったわけではなく、周囲の旧地名「大井滝王子町」に拠る。かつては湧水が豊富に湧き水は澄んでいたそうだが、今は濁っている。中には巨大化した赤い金魚が泳いでいる。三方は道路とコンクリートに囲まれているが、稲荷社のあるほうだけは石組みになっている様子。かつてはこちら側から水が湧いていたのだろうか。
c0163001_23594579.jpg


川は滝王子通りを越えて南東に流れ出していた。水神池の方と同様に、すぐ北を通る品川用水から水を引いていたようだ。暗渠らしい曲がりくねった道が2本平行して続いている。西側の暗渠は曲がりくねっているだけでなく、あちこち出っ張ったり引っ込んだりしている。

c0163001_00264.jpg


暗渠はいったん池上通りにぶつかり、姿を消す。通りの向かいには鹿島神社があり、境内には品川用水の記念碑が建てられている。「品川用水大井町内堀普通水利組合」が、1932年、周囲の市街地化に伴う用水の廃止時に記念として建てた碑。碑によれば、「内堀」とは品川用水から各村の田畑への分水を指し、本流は大堀、外堀と呼ばれていたという。神社のやや北の丘の上に、品川用水の末端が流れてきていた。

少し南下すると再び暗渠が始まる。ここから先の区間は水路敷扱いで、暗渠らしい道が続く。
c0163001_001542.jpg

鹿島庚塚児童遊園で水神池からの流れと合流する。写真左端から水神池の流れ。滝王子からの流れは一見正面の車止めのところから来るようにみえるが、実際には正面の家の裏手を回りこんで、右手の方から合流するかたちとなっている。植え込みになって柵に囲まれているところが流路だ。
c0163001_21123792.jpg

合流後はかなり立派な遊歩道になっている。
c0163001_21131462.jpg

[PR]
by tokyoriver | 2009-11-12 23:04 | 呑川水系と荏原台の水 | Comments(0)
JR大森駅の北側、荏原台の最東端に刻まれた谷の谷頭に湧く水と、谷を流れていた川跡を辿ってみた。当初「荏原台の川と水」のシリーズでとりあげるつもりだったのだが、思いのほか見所があったので、別のシリーズとして数回に分けて紹介してみる。

谷筋はJR横須賀線の西大井駅南東から始まり、JR京浜東北線の大森駅の北方に至っている。谷頭には「原の水神池」(品川区西大井3-1)があり、かつては川が流れ出していた。一方やや東方にはもう一つ浅い谷頭があり、滝王子稲荷神社の池(品川区大井5-12)がある。ここからも川が流れ出していた。
二つの川は池上通りの西側で合流し、JR京浜東北線/東海道線を越える。JRの線路のあたりがちょうど台地の最東端となっていて、ここで谷から平地へと出た川はそのまま東進して直接東京湾に注いでいた。

かつては台地のすぐ下までが海で、谷の出口はそのまま海につながっていた。そして、谷の出口の北側の斜面で発見されたのが、かの有名な大森貝塚だ。つまり、この谷の川に流れていた水を、大森貝塚に暮らしていた縄文人が利用していた可能性がある、ということになる。

川に特に名前はなかったようだが、流域の旧地名のひとつに大井村鹿島谷がある(現在の大井6丁目)。他に谷筋はないので、この谷が鹿島谷なのだろう。ということで、鹿島谷(仮称)と標記することにする。

《追記:水神池のほうの谷は、水源周辺の地名から「出石谷」と呼ばれることがあったらしい。そして、「鹿島谷」は滝王子稲荷からの流れの谷〜水神池からの谷と合流してJR線に至る手前までの谷を指していたようだ。》

まずは、原の水神池からの流れを辿ってみよう。原の水神池は、住宅地の中の小さな児童遊園の一角に、ひっそりと残っている。かつては池の底から水が豊富に湧き出し、近隣の農家が野菜を出荷する際の洗い場としても利用されていたという。今では池の周囲は金網で囲まれており、池の中央部は上にもなぜかネットが張られている。池はややにごっているが、鯉や亀が泳いでいる。
c0163001_23505286.jpg


池の後背の石崖に設けられたパイプから、湧水が落とされている。水は崖を流れ落ち、池に注いでいる。
c0163001_2351839.jpg


後背の崖の上には水神社が祀られており、貴重な湧水だったことが伺われる。また、池の水は眼病に効き目があり、治るとお礼に鯉を放っていたという。その鯉の供養のためか、神社の脇には水神池の石碑と並んで鯉塚が立てられていた。
c0163001_23512521.jpg


かつて池をあふれた湧水は。南東に向かって川となって流れ出していた。明治後期の地図には、この川自体は記載されていないものの、現在のJR西大井駅付近を流れていた品川用水からこの水神池近辺に至る分水路が描かれており、品川用水から川に水を引いていた時期があったようだ。川の水は農業用水や生活用水として使われていたのだろう。

川筋はどうやら谷底で2、3に分かれていたようで、くねくね蛇行する暗渠らしき道が並行している。その中の一番南側の川跡はいかにも暗渠らしい姿を残しており、下水道台帳を見ても水路敷扱いとなっている。
c0163001_23521829.jpg


途中には、ほんの数メートルの区間だが、コンクリ蓋の暗渠が残っていた。谷の中央の流れから合流していた水路のようだ。
c0163001_2352458.jpg


しばらく進んでいくと、暗渠は普通のアスファルトの道路となってしまうが、道端に橋の親柱がぽつんと残されていた。庚塚(かのえづか)は、このあたりの旧町名で、すぐわきに庚塚町会の事務所がある。竣工の年月も、説明もなにもないが、確かに川が流れていたことを証明する貴重な遺構だ。
c0163001_23525897.jpg


川はこの先、鹿島庚塚児童遊園の敷地内で、滝王子稲荷からの流れと合流していた。合流点については次回に取り上げる。

[鹿島谷の湧水と暗渠 全体図]
c0163001_2353944.jpg



[PR]
by tokyoriver | 2009-11-10 00:05 | 呑川水系と荏原台の水 | Comments(2)
東急池上線長原駅から南に歩いていくと、南に開けた大きく深い谷が現れる。この谷の真ん中、擂り鉢状になった窪地にあるのが小池(洗足小池)だ。
写真は池の北縁を東西に掠める道路を東側の丘の上から眺めたもの。中央の窪地の左側に池がある。
c0163001_2315266.jpg

洗足小池は、もとは農業用水として、湧水を築堤でせきとめてつくられた溜池だった。一説に因れば、更にそれ以前からこの場所に池があったという。昭和初期には釣堀となり、洗足池の施設と同じく、社団法人洗足風致協会が管理し、2004年まで営業していた。釣堀の営業終了後、大田区が整備し、2009年4月に公園としてオープンした。
c0163001_2315159.jpg

大田区の2008年10月の湧水調査では、7箇所の湧水が確認されており、湧水量は合計毎分80リットルに及ぶ。実際に池の周りをまわってみると、4箇所ほど湧水が確認できた。もっとも水量がありそうなのが、池の北西の角の湧水。導水管からきれいな水が絶え間なく流れ出していて、まわりにはメダカや小魚が集まっている。
c0163001_23153061.jpg

池の北東側の湧水は石組みになっている。ここからも水が流れ出し、池に注いでいる。
c0163001_23154455.jpg

池の北東側には、石組みで囲まれた井戸のような湧水があった。どこから湧き出しているのかよく判らないが、澄んだ水がたまっている。
c0163001_23155944.jpg

このほか、池の南東側にも導水管から湧水が流れ出していたが、水量はわずかで、周囲もあまり綺麗ではなかった。

池の南側は谷を跨ぐ築堤となっていて水門があり、水が流れ出す音が聞こえる。水門は釣り堀時代からあったものがそのまま使われているようだ。
c0163001_23162539.jpg

水門の南側には深い谷が続いていて、南西に向かって暗渠が伸びている。
暗渠は草木が茂り家々の庭のようになっていて、入ることはできない。
c0163001_23163986.jpg

下流側に回りこんでみると、道沿いの暗渠が出現する。右側の空間が暗渠のようだ。
c0163001_23165085.jpg

このさきすぐに、小池小学校の敷地につきあたる。川をまたがるように小学校がつくられるのはよく見られるパターンだ。流路は小学校を南に抜けしばらく下った後、クランク状に曲がって道路沿いを流れていたようだ。道路沿いには、これも川につきものの銭湯が。おそらくこの前の歩道が流路。
c0163001_2317121.jpg

しばらく下っていくと洗足池からの洗足流れ(池上用水)に出る。かつてはこのあたりで合流していたのだろう。現在洗足小池の水は下水に流されてしまっているようで、非常に勿体無い気がする。もとの通り、洗足流れを経由して呑川に流れるようにすれば、呑川の浄化にもつながると思うのだが・・・
c0163001_23171283.jpg






[PR]
by tokyoriver | 2009-10-27 23:27 | 呑川水系と荏原台の水 | Comments(2)
立会川と呑川に挟まれた「荏原台」は、都心の台地「淀橋台」と同じく「下末吉面」に属する古い台地で、淀橋台と同様、急峻な斜面を持つ谷戸が複雑に入り組んでいるのが特徴的だ。それぞれの谷にはかつて湧水や川があったのであろう。そのなかのひとつを辿ってみた。

大田区上池台。内川の谷と、小池(洗足小池)の谷に挟まれた、北東を谷頭とし南西に細長くのびる深い谷戸の底に、暗渠が残っている。

谷戸の谷頭に降りる坂。高低差は10m近くある。下りきったところから右(南)にむかって谷が開いている。
c0163001_2391788.jpg


谷底を下って行く道。道路の左側に埋まった怪しげな縁石。どうやらこれがここから流れ出していた川の暗渠の痕跡のようである。
c0163001_2393131.jpg

途中で直角に左に曲がる。先で更に右に曲がっている。
c0163001_2395010.jpg

みるからに暗渠だ。
c0163001_2310362.jpg

この先、いったん車道に出る。道路の右端にマンホールが続く。
c0163001_23101626.jpg

道に沿って低いところへとクランク状に曲がると右に暗渠の路地が。
c0163001_23102993.jpg

暗渠はほぼ直線に続いている。傾斜が結構あり、流れは早かったのではないか。途中からちょっと暗渠の路面が低くなっている。この辺りは20年ほど前までは開渠だったようだ。
c0163001_23121577.jpg

谷がやがて洗足池〜洗足流れの谷とあわさると暗渠は直角に南東に曲がる。更にすぐこの先、直角に南西に曲がり、上池上商店街の歩道となって下って行く。
c0163001_23122611.jpg

東雪谷五丁目の交差点で、洗足池からの「洗足流れ」(池上用水)と交差点を挟んで数メートルまで超接近するが、こちらの川は再び直角に南東に曲がり、新幹線のガード下へ向かう。
c0163001_23123771.jpg

ガードを潜ると、台地の崖線の下に沿った道沿いを、歩道となって下って行く。写真の排水枡は暗渠端にあったものだが、実は中には湧き水が溜まっている。大田区の調査では1分間に1リットルほど湧き出しているという。そのまま下水に流れているようで、ちょっと勿体ない。
c0163001_23124777.jpg

崖線の上に、子安八幡神社が祀られている。かつてはここで、崖線沿いを池上方面(南東)に下って行く流れと、南西に曲がって呑川に注ぐ流れに分かれていた。今回は呑川方面へ。
c0163001_2315343.jpg

この区間もつい最近までは開渠だったようで、ネット上の地図でも水路が描かれているものもある。歩道から突き出している排水管がいかにも暗渠だ。
c0163001_23125927.jpg

しばらく進むと呑川に合流。右側の塞いであるところがもともとの合流点だろう。左側のぽっかり開いている出口は、どうやら下水道洗足池幹線から、大雨のときなどに呑川に水を流すための吐水口のようだ。
c0163001_2313889.jpg



c0163001_23525463.jpg







[PR]
by tokyoriver | 2009-10-22 23:29 | 呑川水系と荏原台の水 | Comments(4)