東京都内の中小河川や用水路、それらの暗渠、ひっそりと残る湧水や池をつれづれと辿り、東京の原風景の痕跡に想いをよせる。1997年開設の「東京の水」、2005年開設の「東京の水2005Revisited」に続く3度目の正直?


by tokyoriver

カテゴリ:多摩川の支流( 9 )

8月も終わりだというのに、暑すぎるこの夏・・・ということで、8月最後の記事は、涼しげなところを。先日namaさん@暗渠さんぽも記事にされていた、谷保天満宮周辺の湧水と小川だ。

以前、文京区本郷菊坂の暗渠や、かつてあった汲み上げ式の井戸を紹介したが、谷保界隈もそれらと同じく21年前、高校3年生の夏に、8mm映画の撮影で訪れた場所。その時以来の訪問だった。

JR南武線の谷保駅から少し南に進むと、甲州街道沿いに谷保天満宮がある。10世紀初頭に創建されたという、東日本最古の天満宮だ。このあたりは立川崖線と、ひとつ南側の青柳崖線がひとつにまとまる地点で、本殿は崖線の下にある。ちなみに駅名は「やほ」だが、こちらは「やぼ」。尾久の「おく」(駅名)と「おぐ」(地名)と同様、駅名の方が間違いである。
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崖線の下という立地なのでかつては境内のいたるところに湧水があったという。いまでもいくつか湧水は残り、そのひとつ「常磐の清水」は東京都の名湧水57選に選ばれている。境内に入る前に、甲州街道を少し西に進んでみよう。数分ほど、やや下り坂となっている甲州街道を歩くと、道の北側に窪地がある。
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赤い縞々の坂道が印象的なこの窪地に降りてみると、民家の裏手、崖下の緑の下から水が流れ出していた。
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離れていると草が生い茂りよく見えないが、近づいてみると御覧の通り、清冽な水が勢いよく流れている。
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すぐそばに、国立市のたてた説明板があり、それによるとここは「清水の茶屋跡」。この辺りは谷保随一の湧水地で「清水の茶屋」という立場茶屋(街道筋の休憩施設にある茶屋。今で言えばパーキングエリアみたいなものか)が明治末期まであって、夏になると、湧水で冷やしたそばやそうめんを、甲州街道を旅する人々に供したそうだ。
湧水の流れは甲州街道の下を潜り、南に抜けている。同じ窪地の少し西側にも、一部が鉄板暗渠となってはいるが、湧水が水源と思われるかなりの水量の流れがあり、こちらも同じく甲州街道を潜っている。

南側に出た流れを追うと、水源から流れ出てすぐなのに、もうこんなに幅広の川となっていた。
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この川から東にすぐ行った場所に、先の谷保天満宮があって、その一角には有名な「常磐の清水」がある。清水の湧水などを水源とした弁天池があり、中島には弁財天が祀られている。
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池の水は澄み切っていて、池に泳ぐ鯉は空中に浮かんでいるかのようだ。
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「常磐の清水」はこの池の裏手にある。そばにある説明板によれば、「17世紀後半に天満宮を詣でた僧侶の読んだ句「とことはに湧ける泉のいやさやに 神の宮居の瑞垣となせり」からその名がついたそうだ。「東京の名湧水57選」にも選ばれているが、正確には自然に出来た湧水ではなく、自噴の浅井戸らしい。確かに、沖縄にみられる「降り井戸(ウリカー)」のような造りをしている。枯渇したことがないというが、21年前に訪れたときには、確か枯渇寸前までいっていたような記憶がある(80年代後半、都内各地の湧水が枯渇の危機に瀕していた)。今回は浅いものの澄んだ水をたたえていた。
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池から流れ出た湧水は、天満宮境内の他の湧水からの水もあわせて、天満宮の南側の道沿いに流れて行く。道沿いの赤いポストが鮮やかだ。ポストの脇は21年前は飲み物や菓子などを扱う商店だったような気がするが、今では営業していないようだ。
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ここの流れは、水面と道路の高さにほとんど差がないうえ、縁石も何もないのが特徴的だ。水がとても身近に感じられる。21年前の夏は子供たちが水遊びをしていたが、今でもそのような光景は見られるのだろうか。
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しばらく下って行くと、水路はやや深くなってくる。民家の前に洗い場があった。
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近くにあった別の洗い場は、花に囲まれていた。ここで水路は道路沿いから離れて行く。
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そして、清水の茶屋からの川に合流する。
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更にその川は、天神橋の脇で、矢川の記事の最後にとりあげた府中用水の谷保支流に合流している。水門付きの合流点のほか、なぜか導水管で橋の下流側(写真右側)にも分かれて合流しているようだ。
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府中用水の左岸にその導水管が見える。用水路に加わった水は、この先、東へと流れて行く。
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ここから東へすすむと、立川崖線沿いに、谷保天満宮の別の湧水から流れる「下の川」を経て「西府の湧水」へ、逆に西へと辿って行くと、今でもわずかに残る「谷保田圃」とそれらを潤し縦横に分岐する府中用水、そして城山下の湧水からママ下湧水へと、水を巡る散歩を楽しめる。いずれそれらについてもとりあげてみたい。
なお、この春にくにたち郷土文化館から発行された「《ハケと湧水がつくる》里山だいすきガイドマップ 立川〜国立〜府中」がとてもよく出来ており、この地域の水巡りにはオススメだ。



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by tokyoriver | 2010-08-29 00:36 | 多摩川の支流 | Comments(9)
前回に引き続き、矢川緑地保全地域より下流側の矢川を辿って行こう。

みのわ通りを越え、矢川緑地に入る矢川。すぐ北側は住宅地となっている。ここに暮らす人たちは目の前が前回紹介した湿地ということになる。
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川は深緑の中を抜けていく。
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保全地域の北側、矢川から少し離れたところにも別の小さな湿地があり、湧水が流れ出している。
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流れ出す川。水量は多い。こちらもすぐ北側には普通の住宅地が隣接している。
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水は澄み切っており、さらさらと流れていく。 
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しばらく流れた後、写真奥の突き当たりで右側(西側)から流れて来た矢川本流に合流している。
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緑地を出た直後の矢川。そこはかとなくワイルド。
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道路に沿って流れて行く。このあたりは穏やか。緑が川面にせり出している。
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水面では、あちこちに魚が泳いでいる。すばしっこいうえ、保護色になっているのでなかなか写真に撮れなかった。下の写真には水底に黒い影を落とす2匹の姿が見えるが、実際にはもっと沢山いる。
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国立第6小学校を西側から南側に沿って。この一角は小学校の敷地らしい。右岸には水を引き込んだ小さな池もある。子供たちが網を持って水遊びをしていた。
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小学校の南側。ホタルが棲んでいるとの標識があった。
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この辺りでは護岸はつくられているものの柵はなく、川の存在は身近だ。川沿いの個人宅専用の橋が並ぶ。
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それらの個人橋のたもとには必ずといってよいほど洗い場があった。
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奥多摩街道を越えると川は深くなる。いよいよ青柳段丘を浸食しながら下り始める。矢川沿いにときおり見られる玉石の護岸は昭和初期に多摩川から運んで来たらしい。左岸にある保育園では夏場、この流れに下り水遊びをするとか。先の小学校にしても、綺麗な水の流れる川が子供たちの日常の中にあるのはうらやましい。
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滝乃川学園の森の中、青柳段丘の崖線を下って行く。写真には木の生えた中島が見える。護岸もなく自然のままの姿だ。滝乃川学園は日本最初の知的障害児者の社会福祉施設として1891年に創設され、1928年に北区滝野川からこの地に移転してきたという。本館は国の登録文化財となっている。
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すぐ近くには「東京都水道局谷保2号水源」があった。青柳段丘の下の帯水層から水をくみ上げているのだろう。
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矢川が滝乃川学園の敷地を南側に抜けると、段丘の下を東に流れる、府中用水の谷保方面への支流に合流して終わる。合流地点は「矢川おんだし」と呼ばれている。写真右側の流れが矢川、左側の流れは青柳段丘の崖線下に湧き出している「ママ下湧水群」から流れてくる清水川だ。水温が最も高い府中用水と、湧水が水源だがしばらく流れて来たことでやや水温の高い矢川、そして、湧水からすぐに流れ込むため最も水温の低い清水川という、3種類の温度の川の水がここで混じり合っており、それぞれに棲む水生生物もここまで来るため、様々な水生生物が見られるという。
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府中用水は5月中旬から9月下旬までしか多摩川からの水が入らないのだが、谷保方面の支流には矢川と清水川の水が流れ込むため、矢川おんだしより下流は通年水が流れている(さらにここより下流では谷保天満宮付近の湧水もいくつも流れ込んでいる)。ちょうど多摩川の水を通水し始めたばかりでいよいよ水田に水が引き込まれる直前のためか、水量は非常に多い。水路は水をたっぷりとたたえてかなりの早さで流れている。ここも川沿いには縁石があるだけで水面と路面の高低差もほとんどなく、水の流れがとても身近に感じられる。
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府中用水も面白そうだが、あまりにも水路が多岐にわたるため、その全貌を捉えるにはなかなか時間がかかりそうだ。

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by tokyoriver | 2010-06-28 00:02 | 多摩川の支流 | Comments(8)
立川市南東部から国立市南西にかけて流れる矢川は、現在の全長は2kmに満たない短い小川だが、立川段丘の崖線下に湧き出す豊富な湧水を水源とし、豊かで澄んだ水の流れる川として知られている。
現在の主水源は、JR南武線西国立駅から南に500m、立川市羽衣町にある「矢川緑地」の湧水だ。東京の名湧水57選に選ばれている著名な湧水だ。矢川はここから南東に立川段丘の崖線の下に沿って流れ、ひとつ下の青柳段丘の斜面を下って、府中用水の谷保支流に合流している。(府中用水は国立市青柳で多摩川より分水され国立市内、府中市内を網の目のように分岐したのち再びまとまって多摩川に戻る用水路で、流域の一部は今でも水田が残り、現役の農業用水路として使われている)。

矢川緑地内を流れる矢川。写真の右側には湧水と矢川の水をひいた池が、左側には湿地帯が広がる。
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湿地帯は高原の風景のようなすがすがしさ。
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さて、一般的には矢川の源流は「矢川緑地」とされることが多いのだが、実際には川は緑地の中央を東西に抜け、さらに西に延びている。

矢川緑地の西側を南北に通る「みのわ通り」東側から矢川緑地方面を望むと、矢川の流れが見える。
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「みのわ通り」をくぐって、50mほど西側に進んだ、矢川弁財天の北側に接する一画が、現在辿れる矢川の流れの最上流端だ。写真はみのわ通りからみた最上流端。
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みのわ通りの下は、めがね型のトンネルとなっている。実は「みのわ通り」自体が、JR立川駅北側から南に下って多摩川に注ぐ人工河川「緑川」の暗渠で、矢川とはここで立体交差していることになる。このトンネルは緑川が開渠だったころからあるものだろう。2つの水路の高低差と、強度の問題からめがね型になっていると思われる。
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最上流端では、川を覆う鉄板の下から清冽な水が流れ出しており、それより先は暗渠となっている。暗渠から流れだす湧水は澄み切っていて、水量も多い。水面も妙に揺れており、暗渠の中を延々とながれて来たのではなく、暗渠に入ってすぐの辺りで湧き出していそうだ。
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鉄板を上からみたところ。鉄板の先はアスファルトの道路。右側(南側)は矢川弁才天の敷地となっている。
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暗渠の中をのぞいてみると、少し奥からコンクリートの水路が続いてきているようだが、奥までは見えない。
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隣接する矢川弁才天の敷地には、湧水(自噴の井戸?)を利用した池が作られている。ただ、水量が足りないのか、水を循環させているようで、池の水質は矢川に比べかなり落ちる。
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明治初期の迅速図や明治後期の地形図を見ると、これより先、水路はやや蛇行しながら西にのび、現在の立川市立第七小学校の辺りまで描かれている。昭和初期から10年前後にかけ立川駅南側一帯は耕地整理がされて、格子状に道路がつくられた。明治後期に耕地整理法が施行されて以降、東京近郊各地で将来の宅地化を見越した耕地整理が行われたようだが、このエリアもそのひとつのようだ。その際に、あわせて矢川の上流部も暗渠化されたようだ。
かつての水源まで、川の痕跡を探し遡ってみた。

上流端のすぐ西側、都立多摩職業能力開発センターの北側にそった道。終戦直前の地図では、この区間までは水路として描かれている。「改訂版・立川の歴史散歩」(1990年 立川市教育委員会)によればこのあたりの湧水が現在の矢川の水源ということだが、先の鉄板の下をさしているのか、それともこの道の下に湧水地点があるのか。
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古そうな日本家屋の立つ一角から先は、耕地整理時に暗渠化された区間となる。川は暗渠化された際に直線化され、この道の地下を通されたと思われる。
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立川崖線の下をまっすぐに伸びる道路。右側(北側)が、立川崖線の斜面となっている。川は本来この道より左側(南側)を曲がりながら流れていたようだが、現在その痕跡はまったくない。
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立川通りを越えしばらくいくと、ようやく南側に曲がりくねった暗渠の道が分かれる。立川市立第七小学校の敷地の北側に沿った道は、いかにも川跡の雰囲気を漂わせている。
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曲がりくねった湿っぽい路地の北側は崖や斜面となっていて、いかにも川跡といった雰囲気だ。「改訂版・立川の歴史散歩」によれば、かつて立川市立第七小学校の北側正門付近に「井戸端」と呼ばれる湧水池があり、ここが矢川の源流だったという。
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北側正門の先にも、暗渠らしき道は続いている。道端には雨水溝。道はどんどん細くなって、登り坂となっていく。ブロック塀の下にわずかにある玉石の護岸は、水が流れていたころのものだろうか。
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川跡の道は錦中央通りに出て終わりを告げる。振り返ってみてみると、かなり細い下り坂の路地。下りきったあたりが最上流端だったのだろうか。
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ちなみに、明治初期の地図には、この地点のすぐ西側、都立立川高校の東側の道に沿って南北に水路が描かれている。これを残堀川の旧水路としている文献もある。
狭山丘陵を水源とし、玉川上水と交差し昭和記念公園を横切って流れる残堀川は、江戸時代以降何回にもわたって人工的に流路が付け替えられている。玉川上水の開鑿以前は、矢川につながっていて、現在の府中用水のところを流れていた多摩川に注いでいたらしい。
そんなことから、先の文献では、この最上流の地点と先の南北の水路がつながっていたと考えたのだろう。ただ、立川市刊行の史料では、残堀川の旧水路は立川駅の東側を回りこんで南武線にほぼ平行して南東に流れ、矢川緑地の東側の方で矢川に合流していたような描き方をされている。地形をみても、立川高校の脇は平坦で、自然河川が流れていたとは考えにくく、少なくとも立川駅以南は、おそらく用水路だったのではないかと思われる。

次回は矢川緑地より下流の矢川を取り上げる。暗渠はまったく登場しないが、かつての都区内の川はこうだったかもしれないというような風景が残されている。
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by tokyoriver | 2010-06-22 23:46 | 多摩川の支流 | Comments(6)
谷沢川上流部の最後は、砧公園の南側に発し、瀬田5丁目から玉川台2丁目を経て谷沢川に合流する支流を取り上げる。こちらも下流から遡って辿っていこう。

首都高速3号渋谷線の下、谷沢川の暗渠に残る南橋の欄干の近くから暗渠が始まる。谷沢川右岸側から、住宅地の間に、南西に向かって細いコンクリート蓋暗渠がまっすぐ伸びている。途中の区間は、駅への近道なのか意外と人が通っている。
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200メートルほどいくと、暗渠は西南西に向きを変え、道路沿いに沿って流れる。橋の欄干風の構造物が残っている。
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蓋の上はかなりデコボコしているが、近所の人が立ち話をしていたり、上を子供が走ったりしていて、風景に溶け込んでいた。
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道端のU字の側溝が暗渠に接続され、雨水が流れ込むようになっている。暗渠は雨水の排水路として現役のようだ。ただ、蓋はかなりくたびれており、ところどころ車止めが壊れて骨組みの鉄骨が露出したりもしている。
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蓋を横から見てみる。3枚に1枚、車止めが一体となった蓋が置かれている。また、側面には隙間があって、道路上の雨水が水路に流れ込めるようになっているようだ。
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200メートルほど進むと、蓋暗渠はいったん姿を消す。次に姿を現すのは、環8通りの反対側(西側)だ。欄干の遺構の向こう側に、今までの区間よりもやや荒れた感じで蓋暗渠が続いている。
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暗渠は住宅展示場の西側、住宅地との境目に沿って緩やかに蛇行しながら流れている。川端には土が露出して木が生えているところもある。かつては木陰を流れるせせらぎだったのだろうか。
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展示場を抜けると、蓋暗渠はアスファルトの下へと消えていく。
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暗渠は車道の歩道となって、蛇行しながら続く。特に点検孔などがあるわけでもなく、歩道の下がどうなっているのかわからない。
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砧公園の南側、暗渠の出発地点も通っていた首都高速に突き当たる形で、川跡はその痕跡を消す。下流からここまで、その流路は半円を描いてきたことになる。かつてはこの先、砧公園の敷地内にでも水源があったのだろうか。ただ、この支流の谷はかなり浅く、特に環8通りより上流はほぼ平坦だ。この近辺に、特に谷頭地形もみられない。主に雨水などが流れる、排水路的な川だったのかもしれない。
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以上で、長々と続いてきた谷沢川上流シリーズを終わりとする。それぞれの流れを辿って思ったのは、谷沢川の暗渠はある意味、川として現役であること。下水道幹線に転用されることもなく、また流域の下水が分流式で整備されたこともあってか、川を流れる水は基本的に雨水や湧水(残っているのかどうかは不明だが)だけのようだし、本流については、源流地帯から、開渠となるところまで蓋の下で途切れることなく流路がつながっているようだ。
この状態であれば、蓋を開けて再度整備し、流れを復活させることも可能なのではないだろうかと夢のようなことを妄想しつつ、このシリーズを終わりとする。

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用賀駅以北の谷沢川とその支流の流路地図はこちら(goglemap)
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by tokyoriver | 2010-02-24 00:08 | 多摩川の支流 | Comments(4)
今回は、上用賀と用賀を流れる、谷沢川の2つの支流を取り上げる。いずれも下流から上流に向かって遡ってみていく。

田頭溜池からの支流

まずは、田頭溜池からの支流を簡単に。用賀中学校の北東側で、細いコンクリート蓋の暗渠が谷沢川の暗渠に合流している。これが上用賀4-9近辺にあったという田頭溜池からの支流だ。ちょっとわかりにくいが、谷沢川本流は写真左奥から流れてきて、交差点で直角に曲がって手前左に流れており、右奥からの句かって来る道の歩道が支流の暗渠となる。
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合流地点近くの暗渠脇は畑になっていて、コンクリート蓋の隙間にも土が入り込んでいる。上をあるくと結構がたがたと音がする。
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少し北上(北北西)すると、保育園のところで歩道が消え、暗渠は直角に東北東へ曲がっている。
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この先3回、ジグザグに曲がったのち、暗渠は北北西にまっすぐ、用賀住宅に突き当たるまで伸びている。突き当たる手前のあたりに「田頭溜池」があったという。一帯は南に開けた緩やかな窪地となっていて、底に集まる湧水や雨水を溜めていたと思われる。暗渠がひたすら直線に続くだけなので、写真は1枚だけ掲載しておこう。
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天神溜池からの支流

つぎに、上用賀1-8付近にあった「天神溜池」からの支流を遡ってみる。かつては世田谷ビジネススクエア付近で谷沢川に合流していたようだが、現在一帯は再開発で川跡が全く判らない。はっきりと川跡とわかるのは用賀駅北口の商店街の歩道より上流側だ。この歩道、一見普通のちょっと小奇麗な歩道に見えるが、よく見ると点検孔や蓋の継ぎ目があり、暗渠であることがわかる。かなり幅広だし、この色合いなので、最近住みだした人などはまったく気付かないのではないだろうか。
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少し北上(北北西)すると商店街から離れて直角に東北東へ曲がり、はっきりと暗渠とわかるコンクリート蓋となる。暗渠はすぐに、車道沿いを離れて再度北北西に曲がる。ここから急に細くなって暗渠らしさを増す。
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この暗渠は次第に細くなり、通りぬけることができなくなり、住宅街の中で再度直角に東北東へ曲がって、馬事公苑の西側を世田谷通りに抜けるバス通りへと至ると、そこでまた曲がってバス通り沿いの歩道を流れる。暗渠の蓋は歩道に合わせて擬態のように装飾されている。
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上用賀3丁目の交差点で蓋暗渠はいったん姿を消す。十字路で周囲をよく見ると、東側の道路の歩道上に、世田谷区のマークの入った暗渠の点検孔を発見。アスファルトの下に暗渠があることを示している。
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少し進むと、住宅街の中を北へと向かう水路が現れる。水が流れている。
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水路沿いを回り込んで水路の上流端にいってみる。丸く開いた穴から水が流れ出している。水路の両側からも、雨水管から雪解け水が流れ込んでいる。
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水路の基点の向かいは小さな公園となっていて、天神溜池跡の碑が立っている。ここが川の源流だ。こちらのサイトによると、ここの溜池は品川用水からの分水を廃止され水不足に苦しんだ人々が1720年に作り、東の丘の上を流れていた品川用水からの漏水(もしかすると盗水か)を溜めていたという。
1000坪もの広さがあり、3つに分かれていたとか。確かに古い地形図をみても、結構大きく描かれている。
昭和初期の区画整理に伴い埋められてしまい、今ではその面影はないが、周囲は三方が坂となった窪地となっていて、公園の地下には防火水槽がある。もともと水が集まり易い地形だったのだろう。今流れている水は雨水なのか、それともどこかで少しでも水が湧き出しているのだろうか。
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次回、上流部の最終回は砧公園からの支流を。
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用賀駅以北の谷沢川とその支流の流路地図はこちら(goglemap)
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by tokyoriver | 2010-02-20 22:49 | 多摩川の支流 | Comments(4)
谷沢川の4回目は、環8通りから、用賀駅南で川が姿を現すまでを追う。

砧公園北東端の向かいから、暗渠が再び現れる。環8通りから東北東に伸びる道の南側、点字ブロックが配され、遠目には幅広の歩道にみえるが・・・
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近付いてみると、このとおり。点字ブロックは暗渠の蓋の上に、ビニールテープのように無理やり貼り付けられているのがわかる。そして、すぐそばには点検孔の蓋。
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暗渠の幅は更に広くなって、格子状の道沿いにジグザグに曲がりながら流れていく。場所によっては車道とけっこう段差もある。環8通りから4回目に曲がったあとの区間、用賀中学校の北側には、「第六天橋」の欄干が残っている。ぼろぼろで古そうに見えるが、昭和44年竣工と記されている。
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用賀中学校の北東側では用賀住宅方面にあった田頭溜池からの支流(次回とりあげる)と合流し、再度南南東へと曲がる。
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コンクリート蓋の暗渠は用賀中学校の一ブロック先の区画の南側で終わり。直角に東北東に曲がるとともに遊歩道「用賀プロムナード」となる。
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「用賀プロムナード」は沖縄の名護市庁舎などで知られる象設計集団の手によるものだという。様々な形のベンチや、路上の意匠が見られる。水路も作られており、場所ごとに形もいろいろ。
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OKスーパーの西側で遊歩道は終わり、流路は南南東へ。かつては現在世田谷ビジネススクエアのある敷地内を横切っていたようだが、暗渠はそのまままっすぐ首都高速3号渋谷線の下へと向かっている。
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首都高速に突き当たる地点では、道路に暗渠の幅に2本、亀裂が入っている。その先の塀の下の縁石も、暗渠のところだけ違っている。暗渠はこの先高速の下の資材置き場のような場所に入り、外からは見えない。かつてはこのあたりで、左岸(東側)から天神溜池に発する支流が合流していた(次回とりあげる)。
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しばらく進むと、高速の下に橋の欄干が片方だけ残っている。南橋だ。その先は鉄板蓋の暗渠になっていて、上は自転車置き場になっている。90年代前半にはここから先は蓋がなかったような気がするのだが、どうだっただろう。この少し先で右岸(南側)から、砧公園南から発する支流(次々回にとりあげる予定)が合流していた。
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高速に沿って100メートルほど進むと、田中橋交差点のところで川が姿を現す。
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川は高速道路の下を300メートルほど流れた後、高速から離れる。
流路には比較的綺麗そうな水が流れているが、その水の大半は、ここからおよそ2キロ西、仙川が野川と合流する直前の岡本3-40にある浄化施設から導水管でひいてきた水だという(仙川を流れる水自体、三鷹の東部下水処理場の処理水がその水源の多くを占めている)。90年代前半にここを訪れたときは、流れる水は汚れていたような気がするが、導水が始まったのが1994年からだというからちょうど符合する。
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谷沢川本流については、いったんここまでとし、次回、次々回は支流の暗渠を取り上げることとしよう。
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用賀駅以北の谷沢川とその支流の流路地図はこちら(goglemap)
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by tokyoriver | 2010-02-18 22:46 | 多摩川の支流 | Comments(2)
谷沢川の3回目は、世田谷通りから環8通りにかけての区間を取り上げる。

流路が桜丘から世田谷通りの南側に移って上用賀に入ると、上流に比べ暗渠の幅がだいぶ広くなる。写真奥の白く見えるところは鉄板で蓋をされている区間。手前で再度世田谷通りに接近した後、通りから離れていく。
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マンションの裏手を一直線。
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暗渠の脇に、井戸の跡らしきものがあった。中は土で埋まっていて草が植えられている。もともと掘り抜きの井戸だったのだろう。施された文様は古い井戸でよく見かけるパターンだ。
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道路を渡る。ここから先はずっと道沿いに暗渠が続く。このあたりは大きな鉄板で塞いでであったり、蓋のサイズがまちまちだったり、つぎはぎだったりと、かなりいい加減な感じになっている。
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道路に併せてカクッと曲がる。このあたりは昭和初期の昭和初期の耕地整理で道路が格子状に整備され、川筋もそれにあわせてジグザグに流れている。
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先の地点のすぐそばの駐車場脇にひっそりと、谷沢川湧水池跡の碑が残されている。詳しい説明がまったくないのが残念だ。このあたりに「上の溜池」と呼ばれる池があり、湧水のほか、前回取り上げた上流部からくる水を溜めて農業用水として使っていたという。
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暗渠はさらにカクカクと曲がって進む。谷沢川の暗渠はこの写真のように、道路の横断部がはっきりと残されているのが特徴的だ。コンクリート蓋の形も面白い。
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南に向かって一直線。これだけ大きな蓋なのに、歩いていると、あちこちガタゴト音がして、そのうち抜け落ちるのではないかと不安にもなる。
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そのまま環8通りにつきあたって、いったん暗渠は姿を消す。歩道の下を通っているようだ。
環8の向かいは砧公園。300メートルほど西には、谷戸川の谷がとおっている。
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用賀駅以北の谷沢川とその支流の流路地図はこちら(goglemap)

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by tokyoriver | 2010-02-15 23:00 | 多摩川の支流 | Comments(0)
谷沢川の記事、2回目は本流の源流部、世田谷通り以北の流れを取り上げる。用賀駅以北の谷沢川は、谷というよりも台地に挟まれた盆地にできた、浅い窪地に流れているのだが、この源流部一帯だけは台地に刻まれ3つに分かれたはっきりした谷となっていて、そのそれぞれから川が流れ出している。もっとも東側に伸びる谷がその本流だ。

現在確認できる谷沢川の最上流部は、世田谷通りの東京農大前交差点の北側。いきどまりの未舗装の路地の奥から、コンクリート蓋暗渠が始まっている。すぐ裏手の東京農大前の道沿いは尾根筋となっていて、かつて品川用水が通っていた。そして、この水路は一時期、品川用水からの分水路としても使われていたという。分水が廃止された後も、谷に湧く水には品川用水からの漏水が混じっていたことだろう。また、用水には湧水自体への涵養効果もあったはずだ。
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暗渠はすぐに道をまたいで反対側に移る。跨ぐ部分もしっかりと蓋暗渠が残っている。
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蓋暗渠を横から見ると、所々に道路の水を取り込む穴が開いていて、路上に降った雨水が暗渠の中にしっかり流れ込む作りとなっている。
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道沿いに続く蓋暗渠。一見歩道のように見える。
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暗渠内の点検用の鉄蓋には、世田谷区のマークがあった。
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この先、暗渠は道に沿ってクランク状に曲がり、商店の軒先を通ったのち、住宅地の中へと突入していく。軒先のところでは、暗渠の蓋に隙間があり、中をのぞきこむときれいな水が勢いよく流れていた。数日前に降った雪が少しずつ溶けて流れ込んでいるだろうのか。

住宅地の中に立派な暗渠がつづいているが、家々の間を流れていて、暗渠沿いに歩くことはできない。暗渠の上も立ち入れないので、あちこちを縫うように回りこんで、横切る道から覗くことになる。地図上の変遷から推測すると、この区間に蓋がかけられたのは90年代以降のようだ。

暗渠の上は庭代わりになっていたり。
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橋の痕跡もあった。
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このあたりでは暗渠の中から水の音が聞こえた。雨水溝に集まった雪解け水が流れ込んでいるのだろう。周囲の住宅の屋根にはまだ雪が残っていて、溶け出した水があちこちで屋根に音を立てて滴れている。

途中、北側の支谷からの川の暗渠が合流する。こちらは桜丘3ー20まで遡ることができる。本流は、写真奥を左から右へと流れている。暗渠の蓋と家々の塀の間のわずかな隙間に、雑草が逞しく生えている
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徐々に世田谷通りに近付いてくると、開渠となっている区間が出現する。意外にも澄んだ水が勢いよく流れており、水沿いにも雑草が生えていて雰囲気は悪くない。左側からは、前回紹介した支流が合流している。こちらの支流もはっきりとした谷筋から流れ出しており、水が流れている。
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世田谷通りの下へ。ここより先は用賀まで暗渠が続く。
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通りの南側に、欄干が残っている。その向こうに暗渠が続いているのが見える。
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参考までに、用賀駅以北の谷沢川の流路地図(goglemap)

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by tokyoriver | 2010-02-13 21:55 | 多摩川の支流 | Comments(6)
23区内唯一の渓谷「等々力渓谷」で有名な谷沢川。最近では九品仏川との河川争奪のエピソードも、タモリ倶楽部で取り上げられたりして知られるようになった。その上流部、東急新玉川線用賀駅より北側はほとんど暗渠化されている。ずいぶん前、世田谷ビジネススクエアがなかった頃に砧公園のそばまで辿ってみたことはあるのだが、それより上流はきちんと辿ったことがなかった。地図上で探索してみたり、庵魚堂さんの「世田谷の川探検隊」の記事などを見たりして、そのうちいってみようと思うことウン年。昨年秋にはlotus62さんの「東京peeling!」も記事にされていて開渠区間も健在なのがわかった。
で、先日ようやく全体をまとめて辿ることができたので、ちょっと記してみようと思う。他にもいろいろな方が詳しい記事を書かれているようなので、かいつまんだかたちにするかもしれないが、まずは桜丘宇山緑地のそばで、谷沢川に合流する支流から取り上げてみる。

世田谷通りの北側、環8と東京農大に挟まれたエリアが谷沢川の源流地帯だが、その中で桜丘宇山緑地のあたりは谷沢川が上流部で唯一開渠となっている区間だ。そこで合流している支流があるのだが、こちらも合流地点だけは開渠になってる。写真左側から流れ込んでいる方が支流だ。
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結構水が流れている。数日前に降った雪が少しずつ溶けて流れ込んでいるだろうのか。それともふだんからこれだけの水が流れているのか。
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合流地点のすぐわきの宇山緑地は遊水地で窪地になっていて、大雨のときは水が流れ込むという。緑地の一角には井戸もあり、地面は湿っぽい。lotus62さんの記事への庵魚堂さんのコメントによれば、最近まで泥沼だったとか。子供たちが作った雪だるまの残骸が残っている。
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支流はすぐに何の変哲もない歩道の暗渠となって、緑地のそばから西に延びている。上流に向かって遡っていく。お屋敷の前をくねくねと曲がる暗渠の歩道。等間隔に並ぶ車除けの棒とマンホールが、そこが暗渠であることを示している。
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しばらく進んでいくと蓋暗渠の区間になるはずのところで、工事をしている。老朽化した蓋の取替えのようだ。
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これは中をのぞけるかもしれない、と思い工事現場に近付いてみる。蓋を開けて工事をしているところを見てみると、何だか石積みが見えるではないか!コンクリート蓋の暗渠だから、てっきり中もコンクリート張りの水路だと思っていたが・・・
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作業員の方がバリバリに工事を進めてて、すぐそばには交通整理の人も立っているので、さすがにあまり近づけない。作業進行中の場所から少し上流のほうにいってみると、蓋に隙間があいているところがあった。
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覗き込んでみると、そこにあったのは玉石の護岸に囲まれ、澄んだ水がさらさらと流れる小さいながら立派な川だった!
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これ、ほんとに今でも蓋をする必要があるんだろうか?流路の脇は畑だし、下水も流れ込んでないし。蓋さえはずせば、国分寺の湧水群のあたりだといってもおかしくない風景になるのに、何とも勿体無い。

写真奥の、コーンで囲まれたところが、確認できる暗渠の上流端。そこを覗いてみてもかなりの水が流れている。これより先、水はどこから来ているのだろう。
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あんまり興奮しすぎて何度もこの工事区間をうろうろしていたら、交通整理の人に「なにか御用でしたらすぐそこに現場監督がいますのでどうぞ」といわれてしまった。そちらを見ると、軽トラにのって、携帯電話で話中のいかにもな親方が・・・
「いえいえ、川を辿ってるだけです・・・」と答えると、
「そうですか・・・・」と思い切りにっこり作り笑い。その顔には「アヤシイ」と書かれている。
退散、退散・・・・


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by tokyoriver | 2010-02-06 00:30 | 多摩川の支流 | Comments(10)