東京都内の中小河川や用水路、それらの暗渠、ひっそりと残る湧水や池をつれづれと辿り、東京の原風景の痕跡に想いをよせる。1997年開設の「東京の水」、2005年開設の「東京の水2005Revisited」に続く3度目の正直?


by tokyoriver

カテゴリ:妙正寺川とその支流( 6 )

中野区大和町の2つの妙正寺川支流跡を辿る2回目は、大和町4丁目の蓮華寺にある湧水池から流れ出ていた支流を、源流側から辿ってみる。地図については前回の記事を。

前回とりあげた大和街3丁目支流(仮)の上流端から西へ400mほど行くと、蓮華寺支流(仮称)の水源である蓮華寺の池に辿り着く。蓮華寺の正式名は「泉光山蓮華寺」。日蓮宗の寺院だ。1658(万治元)年に現在の文京区関口台にて創建され、1908(明治41)年に現在地に移転してきた。西に1.4kmほど離れた、妙正寺川本天沼支流(仮)の上流部にもまったく別の「蓮華寺」があり、境内には小さな池もあるが、こちらの蓮華寺の池はちょっとした谷頭に位置し、東京都の湧水台帳にも掲載されているれっきとした湧水池だ。池は寺が移転してくる前からあり、灌漑用に利用されていたという。
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池の南側に立つと水面までの距離がけっこうあり、谷頭になっていることがわかる。中島もある。この奥、北側からかつて川が流れ出ていた。
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流路跡の暗渠は住宅地と蓮華寺の墓地の境界線を北上している。蓮華寺の北東でその暗渠を見ることができるが、柵が設けられていて入ることができない。
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奥を覗いてみると、未舗装の暗渠が池の方から続いている。街灯があるところをみると、以前は通れたのではないだろうか。
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柵より北側は、いかにもな暗渠道となっていて、こちらは通り抜けできる。車止めが独特だ。そして、意外に下り坂となっていて、かつての流れの速さを想像させる。
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大谷石の護岸は水路があったころのものだろうか。古い住宅地図などを見る限り、1970年代半ばまでは開渠だったようだ。
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郊外にありそうな、独特な屋根のかたちをした、古い木造の洋風家屋があった。
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微妙な曲がり具合と路面近くの護岸が雰囲気を出している。
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わずか100mほど北上したところで、暗渠道は東西に走る幅広の道に合流する。
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かつてはこの道を斜めに横切り、妙正寺川へと合流する流れの他、道に沿って東に流れ、前回とりあげた大和町3丁目からの流れに合流する分流もあったようだ。車道よりも幅広の歩道はおそらくその分流の痕跡だ。
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幅広の歩道は中野区立大和小学校の門につきあたって消滅する。かつて水路はこの先、小学校の敷地を貫いて更に東へと続いていた。
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本流の方は、庵許可されたのは1970年代半ばとさほど昔ではないにもかかわらず、区画整理により全く痕跡を留めていない。大和小学校の北側を流れる妙正寺川に口をあける四角い合流口だけがその名残だ。
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合流口近辺の妙正寺川。見事なS字カーブは美しいがコンクリートの3面張り水路には、むしろ暗渠よりも哀しさを感じる。下流部で行われて来た大規模な改修工事は、まだここまでは及んでいない。上流部だけでも、もう少しまともな姿にならないものだろうか。
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蓮華寺支流合流地点の少し上流側には、このような柵付きの合流口もある。これは鷺ノ宮駅付近で分流し、妙正寺川右岸を流れて来たあげ堀(傍流)の合流口だ。こちらの暗渠/流路跡を辿って鷺ノ宮駅から帰路についた。
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余談だが、前回、今回ととりあげた2つの川が流れていた中野区大和町、文字面からみると由緒ありそうな地名だが、実は比較的あたらしく、しかも土地とはあまり関係のない地名だそうだ。一帯はもともと上沼袋村から野方村へと変遷を辿ったが、字名は大場だった。1933(昭和9)年に地名を改称した際に、その字名「だいば」と音読み「だいわ」が似ていることも考慮し、当時のご時世も反映して日本を意味する「大和(やまと)」を採用したという。1965(昭和40)年の住居表示法施行時にも生き残り、現在も大和町となっている。
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by tokyoriver | 2011-03-04 12:44 | 妙正寺川とその支流 | Comments(2)
中野区大和町3丁目~4丁目、駅で言うと中央線の高円寺駅と阿佐ヶ谷駅、西武新宿線の都立家政駅と野方駅のいずれからも同じくらいの距離の住宅地に、かつて妙正寺川に注いでいた小さな支流の暗渠が2つ残っている。ひとつは大和町3丁目からの流れ、もうひとつは大和町蓮華寺の池からの流れだ。早稲田通りの北側の台地を刻んで北に向かって流れていたこれら2つの小川は、いずれもかなり短く、目立った見所は数箇所しかないのだが、見所自体はなかなか味わい深いので、今回と次回で取り上げてみることにする。
(段彩図は、数値地図5mメッシュをgoogle earth「東京地形地図」からキャプチャ。妙正寺川以外はすべて暗渠)
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まずは大和町3丁目からの流れから。以下、仮に大和町3丁目支流としよう。

今回は西武新宿線野方駅から現地に向かってみた。駅を降りて南に数分歩くと妙正寺川にたどり着く。環七通りの通る新昭栄橋西側には、環状七号地下調節池の取水口が見える。ここから神田川まで南へ4.5km、環七通りの地下40mに直径12mのトンネル状の地下調節池が埋まっている。大雨の際にはこの取水口からトンネル内に水が流れ込むようになっている。
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トンネルの敷地の隣には大きな屋敷がある。取水口の施設が出来る前までは川沿いまでが敷地で、池もあったようだが、空中写真を見る限り現在は池はなさそうだ。屋敷の西側には野方団地がある。全部で5棟と小規模だが、そのうち2つがいわゆる「スターハウス」となっている。1950年代半ばから60年代半ばにかけてのみ建てられた「スターハウス」は、いずれも老朽化が進んでおり、近いうちになくなってしまうだろう。
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川沿いに西へ500mほど進むと、大和町3丁目支流のかつての合流口に着く。丸い排水口が見える。かつてはもう少し西側で合流していた時期もあったようだ。
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川跡の道を遡っていく。道の傍らにそって川が流れていたようだが、現在では道の曲がり具合以外に痕跡はない。猫と目が合った。
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そろばん塾の看板にはそこはかとなく面白いものが多い。
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ゆるやかな登り坂になっているが、川を彷彿させるのは相変わらず道のカーブのみだ。もはや川の痕跡は残っていないのだろうか。
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道がやや谷筋らしくなってきたところで、ようやく少し風景が変わって来る。まずはこんなクランク状の地点に遭遇。車は通り抜けできなさそう。
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更に遡っていくと、道端に何やら現れた。
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コンクリート蓋暗渠だ。細いながら、かなりしっかりした作りの蓋が並ぶ。
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蓋暗渠の上流端から下流方向を眺める。けっこうな下り坂になっている。
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蓋暗渠の上流端から上流方向を見ると、道を挟んだ向かい側になにやら怪しい空間が見える。
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そこにあったのは半ば埋もれた水路だった。ちょうど谷底となっていて、左側の短い階段もなかなか風情がある。
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大谷石の護岸の下に荒れた水路が奥から続いている。
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奥の方には半ば埋もれた水路の護岸らしきものも見えるが、さすがに立ち入るのはためらわれる。
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奥側に回り込んでみるが、変わった形の門のある家の敷地となっていた。この家の裏手から始まっているようだ。古地図を見ると、この家のある辺りに、戦後しばらくの時期まで池があったようだ。次回とりあげる蓮華寺の池と同じくらいの標高となっており、おそらく湧水池だったのだろう。
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途中まで引き返し、その蓮華寺の池から流れ出していた川の暗渠へと向う。途中にはこんなパイプの行列があった。
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(以下次回)
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by tokyoriver | 2011-02-24 23:06 | 妙正寺川とその支流 | Comments(2)
妙正寺川天沼本村支流を辿る3回目は、最上流部。前回の最後、三峯神社わきから再び現れた川跡の路地は、ほぼ平坦な住宅地の中を抜けていく。

マンホールや雨水枡が無造作に並んでいる。
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両側をコンクリート板塀に囲まれた、回廊のような空間。
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ライオンがマンホールの見張り番。
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車止めは赤い逆U字型のもの。脇の家の大谷石の壁はコンクリート板塀とは連続していない。川沿いの塀は川が流れていたときはおそらく必要なかったはずで、暗渠化されたときに、あらためて板塀を設けたのではないか。
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天沼稲荷神社の裏手で川跡の路地は終ってしまう。稲荷神社は天沼本村の鎮守社で、いわば村の中核だった神社だ。

1936年測図の三千分の一地形図天沼には、天沼稲荷神社の裏側、写真左側の住宅地のところに池が描かれている。前回記した通り、「杉並とその周辺の昔話」によれば池がは大正頃まで先の三峯神社のところにあったとされているが、地図が間違いでないとすると2つ池があったのか、それとも三峯神社の池がなくなったのちに更に上流部に池がつくられたのか、あるいは三峯神社というのが記憶違いだったのだろうか。さらに、いわゆる「天沼本村池」がどちらの池を指していたのだろうか。地形的にはなかなか判断できないエリアだけに、真相が気になるところだ。
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川跡の終点から西側を望む。1950年代の1万分の1地形図には、この道沿いに更に西に水路が描かれているが、路上に痕跡はない。
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天沼稲荷神社の周囲を探ってみると、神社の南西側に、コンクリート蓋の細い暗渠が見つかった。
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蓋沿いには土の地面が残っていて、苔や木が生え、なかなかいい雰囲気だ。
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しばらく進むと蓋沿いはアスファルトで固められてしまった。紅葉した落ち葉が降り積もり色鮮やか。
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かくっと左(南)へ曲がる。
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まっすぐ。暗渠ギリギリまで建物がないのがいい。
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さらにかくっと右(西)へ。つまり、クランク状にながれているわけだ。曲がり角がいやに湿っぽい。
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ふたたびまっすぐ。先に見える青い自動販売機のところで蓋暗渠は終っている。
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出て来た道路をよく見ると、写真左上に見える青い自販機の暗渠出口の向いの駐車場に、怪しい排水溝と中途半端な位置の車止めがあった。ここを更にクランク状に流れて、手前の道を右に進んでいた、ということではないだろうか。
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試しに手前の道を西に進んでみると、古びて割れかかり、中が埋められていそうなマンホールがいくつか並んでいた。
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この道の先は丁字路になっているのだが、なぜか、幅1mにも見たない区間だけ植え込みがあり通り抜けできないようになっている。写真は植え込みの脇抜けて振り返ったところ。近所の子供たちもここを通りぬけていた。
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そしてその丁字路の「ー」の道には奇妙な車止めに仕切られた、いかにも水路の痕跡じみたスペースがあった。この先にも道路沿いに不自然な未舗装空間があったりした。「杉並とその周辺の昔話」によれば、ここから50mほど西にいった場所にかつて水源の湧水があったというが、駐車場と住宅があるのみだった。そして、源流部はほぼ平坦で、谷頭型や崖線型の湧水が湧くような場所はない。
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先の湧水は、「杉並とその周辺の昔話」によれば、「長島」と呼ばれる深い掘割に湧いていたという。そして、「流域一帯の島畠(湿潤地)の中を縦横に走っていた排水用の掘割より湧き出す水を合せて天沼本村の鎮守稲荷神社の裏を流れて」とある。
島畑(島畠)とは、本来の意味でいえば、水田地帯において、水を保つために水田の底を深く掘り下げて地下水位に近づけた際に、出た土を盛って畑として利用したものだ。畑が水田の中に浮く島のように見えることからその名がついたという。しかし、古地図を見る限り、この一帯には水田はなかったようだ。
ただ、天沼本村支流の源流部は「井荻天沼地下水堆」にかかっており、宙水があって地下水位が浅かった。段彩図の薄い水色のエリアが地下水堆で、特に天沼本村支流源流近辺は宙水と本体の地下水とが繋がっていて、地下水位が非常に浅かったようだ。(段彩図は数値地図5mメッシュをgoogle earth「東京地形地図」からキャプチャ)
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このような場所だから、雨の後などはじめじめして、そのままでは利用できないような土地だったのかもしれない。そこを畑として利用するために、排水を兼ねて「長島」などの掘割を作り、湧き出す水をそこに集め、掘り出した土を畑に盛って水はけのよい耕作地を得ていたのではないか。その畑を「杉並とその周辺の昔話」で「島畠」と呼んでいるのではないかと思われる。いわゆる「湧水群」があるような土地が持っているような豊かな水のイメージとは違った姿がそこにはあったのだろう。現在では地下水位もだいぶ下がって、土地も乾き、湧水は枯れてしまった。暗渠や川跡だけが、かつての土地の姿を彷彿させる痕跡なのかもしれない。

※2015年追記: 肥沃ではあるが湿り気の多い、黒土の土地を「島地」という場合がある。ここでの「長島」はそれにあたるのかもしれない。白子川上流の、雨が降って水が湧いた時のみ流れる川「シマッポ」は「島地の堀」が名称の由来との説があり、この「長島」も「シマッポ」同様、土地を指す「島地」が水路の名に転用された可能性もある。

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by tokyoriver | 2011-01-16 23:35 | 妙正寺川とその支流 | Comments(2)
妙正寺川天沼本村支流を辿る2回目は、妙正寺川傍流と合流する地点より、上流部までさかのぼってみよう。流路段彩図は記事の後半あたりを。

妙正寺川から離れた天沼本村支流は、しばらく中野区白鷺と杉並区下井草の境界線となって南へ続く谷筋を流れる。
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隣を通る車道よりも低くなっている。コンクリート板を縦棒で押さえた擁壁は護岸の名残だろうか。
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車道は登り坂へ、暗渠は谷筋へと分かれていく。
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暗渠は周囲よりも低くなっていて、段差を解消するための階段が、ところどころに設けられている。
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低くなっている分、なかなか水がはけないのだろう。路面に積み重なる落ち葉が湿っていて、苔も鮮やかな緑色。浅い角度で差し込む冬の陽射しは、眩しいが路上を乾かすほどの熱はない。
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区界を離れ杉並区内に。ぐぐっと曲がって南東から南西へと向きを変える。金太郎の車止めが、杉並区の管理下にあることを示している(しかし、結局金太郎に遭遇したのはここだけだった)。道路との交差が橋跡の雰囲気を残している。
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赤い車止めが続く。暗渠上のアスファルトは新しそうだが、マンホールの蓋は古びた鉄筋コンクリート製のもの。
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暗渠は一旦早稲田通りに出て、通り沿いに少し西へずれた後、再び暗渠道となる。ここから先は本天沼に入り、谷筋はかなり浅くなる。
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暗渠を横切る道の方に、車止めがあった(暗渠は右から左へと横切っている方の道)。杉並区の暗渠でよく見られる路上の動物ペイントも、暗渠ではない方に描かれていた。
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程よく鄙びた感じの暗渠が続く。
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緑に囲まれた暗渠はかつてのせせらぎを想像させる。谷が浅かったこともあってか、川沿いには水田はなく、畑や荒れ地、雑木林だったようだ。
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きれいなS字カーブが美しい。アスファルトを苔が侵蝕している。
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暗渠は消防庁天沼寮の裏手を抜けていく。寮の南側を通る小道はかつての鎌倉道のひとつらしく、川を越えるところには土橋がかかっていたという。「杉並とその周辺の昔話」によれば、夜遅くにその橋を渡ろうとすると、下流の暗闇から小豆婆が小豆を磨ぐ音が聴こえて来たという伝承があるそうだ。ちょうど天沼寮のあたりが、小豆婆のいたところとなる。川が急流になって音をたてていたのだろうか。
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暗渠の道は蓮華寺前の幅広の車道に出て、いったん姿を消す。川はかつて、この車道の南側(写真右側)に沿って流れていた。1963年の空中写真には梯子状の水路が写っているが、70年代前半の住宅地図ではすでに消えており、その間に暗渠化されたのだろう。
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ゆるやかにカーブする道の北側は、真言宗室生寺派の天沼山蓮華寺(蓮花寺)の敷地。室町時代の創建という古い寺だ。境内の弁天堂の前には弁天池があった。建物自体は比較的新しそうだが、池はいつからあったのだろうか。ちなみに真東へ1.4kmほどの中野区大和町にも同名の蓮華寺(日蓮宗泉光山蓮華寺)があり、こちらには湧水池とそこから流れ出していた短い川跡の暗渠が残っている。
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この寺の前付近から、南の桃園川に向けて「本村用水」が分岐していたという説もあるそうだが(下段彩図の緑色のライン)、前回記したように南側は桃園川水系と妙正寺川水系の分水界の微高地となっていて、水路を通すには掘り下げなければならない。わざわざ分水するほどの水量があったようにも思えないが、果たして本村用水は天沼本村支流まで繋がっていたのだろうか。桃園川は探求をされている方が多いようなので、真相をきいてみたいところだ(段彩図は数値地図5mメッシュをgoogle earth「東京地形地図」からキャプチャ)。
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道端にあった、なぞの石材。川関連のものだったら面白いが、ただの車止めかもしれない。
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厳島神社と三峯神社が祀られた三角形の敷地のところで、再び暗渠の道が分かれる。路上に降り積もる銀杏の落葉の黄色が鮮やかだ。このあたりに、大正まで周囲の湧き水をあつめた池(一名 天沼本村池)があり、天沼本村支流の主水源となっていたという。厳島神社は大雑把に言えばほぼ弁財天と同じであり(「杉並とその周辺の昔話」で弁天社と言っているのは厳島神社のことだろう)、弁財天は池や湧水の近くに設けられることから、近辺に池があったのは確かだろうが、古地図を時系列で見ていってもここに池を描いたものはなく、正確にはどこにあって、どの程度の規模だったのか、よくわからない。実はもう少し上流に池を記した地図はあったのが、その話は次回に。
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三峯神社の小さな祠。敷石のカーブが綺麗だ。この奥には同じくらいの大きさの、厳島神社の祠があって、同じようにカーブを描いた敷石の参道がつくられている。境内は祠の大きさに比して奇妙に空間があり、池があったとしてもおかしくはない。
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この先の水源地帯については次回にとりあげる。
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by tokyoriver | 2011-01-06 00:14 | 妙正寺川とその支流 | Comments(10)
今回から3回にわけて、「妙正寺川天沼本村支流(仮称)」を下流側から上流に向けて辿っていく。この流れは、杉並区本天沼2丁目付近から始まり北東にのびる、妙正寺川の浅い枝谷を流れていた小川で、西武新宿線鷺ノ宮駅近くで妙正寺川に合流していた。下流部は杉並区と中野区の区界になっている。ここでは、上流域の旧村名から「妙正寺川天沼本村支流(仮称)」と呼ぶことにする。

この流れについては以前、namaさんが「暗渠さんぽ」で記事にされている。また、最近ではリバーサイドさんも善福寺川リバーサイドblogで記事にされている。

下の段彩図(段彩図は数値地図5mメッシュをgoogle earth「東京地形地図」からキャプチャ)で中央を左下から右上へと流れているのが、天沼本村支流とそれにつづく妙正寺川右岸傍流だ。なお、地図中央下の、桃園側に注ぐ本村用水?と記した流れの上流がかつて天沼本村支流に接続していて、いわば下流部が二股に分かれた流れだったとする説があるそうだ。ただ、等高線を見ると判るように、本村用水方面に水が流れるには尾根(微高地)を越えねばならず、あったとすれば自然の流れではなく、やや深く掘り下げられた人工水路だっただろう。
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「スケッチ散歩 杉並とその周辺の昔話」(森田金蔵・金作 1982 清水工房)
ではこの川の名を「天沼本村川(仮称)」と呼んでいる。同著にはこの川について、以下のように記されている。

「天沼本村川(仮称)というのは、現在の本天沼三丁目二十一番地付近よりの自然の湧水による俗称長島と言われていた深い掘割を水源地とし、更にこの流域一帯の島畠(湿潤地)の中を縦横に走っていた排水用の掘割より湧き出す水を合せて天沼本村の鎮守稲荷神社の裏を流れて、現在でもある天沼本村の弁天社と三峯神社の処に大正の頃まであった池に集りこれを水源地として真言宗の天沼山蓮花寺というお寺の前を東流して稍々行った処で流れを東北方へ変えて鷺ノ宮村と井草村との境を画して妙正寺川へ落入していました。そしてその河口の所はかなり高い断崖となっていて、妙正寺川の上流前面をさえぎるような地形となっていました」

この記述や各時代の地形図、住宅地図、空中写真などを参考にしながら、川跡をさかのぼっていくこととしよう。

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まずは天沼本村支流の下流のようになっている、妙正寺川右岸傍流から。この流れは、妙正寺川との間に細長く広がっていた水田に水をひくための水路で、余った水を妙正寺川に戻すようなつくりとなっている。

西武新宿線鷺ノ宮駅の南口に降り立つと、駅の南側すぐに妙正寺川が大きくカーブを描いて流れている。
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川沿いの歩道をしばらく西へ遡っていく。少し寂れた飲食店や店舗が並んでいる。写真はとある古本屋。
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鷺の橋という比較的最近架けられたらしい橋のたもとから、右岸側(南西側)に、ぐねっと道が分かれていく。この道が、妙正寺川右岸傍流の川跡だ。現在は合流口も塞がれ跡形もないが、地図をみると1970年代まで現役の水路だったようだ。こちらを進んでいく。
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出だしこそ真新しいアスファルト舗装だったが、しばらく進むと御覧の通り、川跡感を漂わせた裏道となる。右側が、妙正寺川に挟まれた水田だった。水田は1950年代末に埋め立てられ、都営鷺宮西住宅となった。
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都営住宅の敷地内の広場につきあたったところに、短い区間だがコンクリート蓋暗渠が残っていた。水路は広場の下を抜けているようだ。
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広場を迂回する道も、暗渠ではないがなかなか風情があった。片側の土手は保全緑地となっている。
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広場の反対側には、さきほどよりももう少し長い区間、コンクリート蓋暗渠が残っていた。蓋の上には植木鉢が並べられたりしていて、団地の風景にとけ込んでいた。蓋の先は、舗装された暗渠へと戻る。
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舗装暗渠を途中で下流方向に振り返る。左側は崖、右側の塀の向こうはかつての水田、現在の団地。谷底の平地一杯に水田が拓かれ、水路が崖沿いを流れていたことがわかる。
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団地の給水塔。小さいながら印象的なフォルム。
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団地の敷地が終る辺りでまた上流方向を振り返る。三つ子の車止め。
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しらさぎホームの脇からは、遊歩道に整備されていた。
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やがて、天沼本村支流の暗渠との接続地点に到達する。写真左手前から遡って来たかたちとなり、奥にのびているのが天沼本村支流、そして右へ進むとすぐに、妙正寺川との分岐地点となる。
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井草下橋のすぐそばの妙正寺川との分岐地点には、なぜかコンクリート蓋暗渠がほんの2、3mの区間だけ残されていた。
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妙正寺川の左岸から見てみると、暗渠の口もそのまま残されている。暗渠の板はかなり薄く、そして川底との落差が結構ある。
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さて、この暗渠の口は「妙正寺川天沼本村支流」が妙正寺川に注ぎ込む合流口だったのか、それとも傍流が妙正寺川から水を引き入れる分水口だったのか、どうにもよく判らない。実は2つ前の写真の接続地点は十字路になっていて、天沼本村支流の延長線上にも短い遊歩道が妙正寺川まで続いている。そしてこちらの合流口は、傍流のほうの延長線上にある。つまり、遊歩道がそのまま川だったとすると、二つの流路が交差していたことになる。

この地点はもともと堰場と呼ばれ、妙正寺川両岸の水田に水をひき入れるために堰が設けられていた。堰で水位を上げることで、両岸にあった傍流に水を引き入れていたのだ。今まで辿って来た傍流はその右岸側のものだ。

一方で「杉並とその周辺の昔話」では、天沼本村支流はここで妙正寺川に落入していたと記してあり、するとかつては傍流への引水と立体交差していたのか、あるいはいったん流れ込んだ後に改めて傍流へと水をひいていたのだろうか。

1963年の航空写真では、傍流がこの暗渠の口付近で妙正寺川から分流し、天沼本村支流はそこに合流しているように見える。そして、1973年の住宅地図でも、天沼本村支流はここでは合流せずに妙正寺川右岸傍流へと向っており、妙正寺川と接続する区間はまったく描かれていない。

蓋をされた水路の遺構は、この姿になった時点では果たして合流口と分水口のどちらだったのだろうか。いずれにしても以前の妙正寺川は現在よりも遥かに川底も水面も地表に近く、またこの場所で小さなS型に蛇行し、堰によって淀んだ渕となっていた。直線に改修され掘り下げられた現在の姿/地形だけからもとの様子を復元するのは難しい。

先の接続地点へと戻り、ぐぐっと南に向きを変える遊歩道を進むと、大きすぎる車止めから、天沼本村支流の川跡が本格的に始まる。ここから先しばらくは、中野区と杉並区の区界となる。
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以下、つづく。
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by tokyoriver | 2010-12-27 22:31 | 妙正寺川とその支流 | Comments(6)
中野界隈での所用の帰り道の夜、ふと思いたって上高田を流れる妙正寺川の支流の暗渠に立ち寄ってみた。

中野駅の北方500mほど、早稲田通りの北側からはじまり、西武新宿線中井駅近辺で妙正寺川に合流する距離にして2kmほどのこの暗渠は、今まで庵魚堂さん、うさぎねこさん、namaさん、リバーサイドさんと、多くの方が記事にされている。それだけ、人を惹きつける何かがあるのだろう。

庵魚堂さんの「庵魚堂日乗」より
石垣の径
よるははかばでうんどうかい
うさぎねこさんの「ここには昔、川があった」より
上高田寺町
namaさんの「暗渠さんぽ」より
仏さまも見ている
リバーサイドさんの「善福寺川リバーサイドblog」より
妙正寺川の支流を歩く(上高田支流)前編
妙正寺川の支流を歩く(上高田支流)後編

中野ブロードウェイを抜けて早稲田通りに出て東にしばらく進み、通りの北側の住宅地に入っていくと、少し低くなっているところに、細い路地となった暗渠がひそんでいる。その薄暗さに一瞬躊躇するが、早速東へとたどって行くことにする。
路上のマンホールは東京都ではなく中野区のマークがついていた。途中、地図を片手に持った女性から、すれ違いざまに、この道は抜けられますかと訊かれた。もしや暗渠をたどっていたのだろうか。
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新井薬師方面に抜ける道を横切るあたり、セブンイレブンの脇から、暗渠は少しだけ太くなる。これより下流は、マンホールには東京都のマーク。そして、柵状のマンホールもあちこちにあった。進んでいくとやがて谷筋がはっきりとしてきて、暗渠も歩いていてはっきりと感じられるくらい下りの傾斜となっている。暗渠沿いにはかつての護岸の痕跡らしきものもところどころあるが、闇にまぎれてよく見えない。
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住宅地の中をくねくねと進む川跡は、ところどころに街灯があるが、その眩しさによって逆に、その先にひそむ闇を引き立たせている。進んで行く先が見えない状態は探検気分を際立たせる。視認性が低いことで、日中よりも嗅覚や聴覚が敏感になっているようにも思える。ときおり、漂う、かすかなどぶのにおい。住宅のエアコン室外機から流れる生ぬるい風。家々から漏れる生活の音。

庵魚堂さんが記事にしていた、墓石が組み込まれた石垣の脇も、その先は闇に包まれていて見通せない。
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暗渠沿いの工事現場の明かりがイルミネーションのようだった。
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大谷石の擁壁。その上は墓地。この先、区立白桜小学校の敷地へ突き当たり、進めなくなる。川跡はこのあたりから北東へと向きを変え、小学校と、その南側の墓地の境目の崖下を通っている。ここに限らず、この暗渠沿いは学校と寺が多い。
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学校を回り込んで進んで行くと、東中野駅から新井薬師駅方面に抜ける道のY字路の辺りから、再び暗渠をたどれるようになる。川はY字路の少し奥を右から左へと流れていた。ここから先の暗渠は上落合3丁目と上高田4丁目の境界となっている。
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落合斎場の脇を大きく曲がりながら抜けていく暗渠。斎場と駐車場を結ぶ橋?の下がトンネルのようになっていて、その中だけがまぶしいくらいに明るく白い天井と壁が闇に浮かび上がる様は、何やら異界への抜け道のようだ。
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トンネルを抜けた先は、路上のアスファルトはでこぼことなって、隙間からは雑草が生え、放置された自転車や家電製品もあって、少し荒れた感じになっている。
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写真には写っていないが、この辺りで猫に出会った。夜の通り道になっているのだろうか。
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暗渠は東へと曲がって、人通りのある道へと出た。その先はあまり暗渠らしくない道となって、東へと進んでいる。遠くに見える明かりに引き寄せられ、川跡から離れ、人通りのある道「三ノ輪商店街」を北へと進んでみると、明かりは銭湯「三ノ輪湯」のものだった。銭湯の向かいの赤提灯は風呂上りの人が立ち寄るのだろうか。
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少し進むと、すぐに妙正寺川に掛かる新杢橋(しんもくばし)に出た。
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橋から上流方向を眺めてみる。左側(右岸)にふたつ、まあるい口が開いている。手前の排水口の上は上落合と下高田の境目と一致している。奥に見える排水口は、暗渠の北側に並行していた道の直下。かつてはそちらにも川が流れていたのかも知れない。
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西武新宿線中井駅方面に向かうと、護岸に四角い合流口をふさいだ痕跡があった。先ほどの地点から、しばらく川に平行して東に進んだ後に、この場所で合流していたようだ。
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夜の妙正寺川は、真っ暗な水面に水の流れる音が響く、巨大なコンクリートの排水路。切り立つ護岸は昼よりも絶望的に見える。どことなく死の気配が漂う夜の都市河川を足早に通り過ぎて、中井駅へと向かった。
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by tokyoriver | 2010-09-09 00:22 | 妙正寺川とその支流 | Comments(18)