東京都内の中小河川や用水路、それらの暗渠、ひっそりと残る湧水や池をつれづれと辿り、東京の原風景の痕跡に想いをよせる。1997年開設の「東京の水」、2005年開設の「東京の水2005Revisited」に続く3度目の正直?


by tokyoriver

カテゴリ:黒目川・落合川とその支流( 8 )

ひとつ前、鈴木用水の記事の第1回めでも取り上げたように、小平や田無といった武蔵野台地上のエリアは元来水が乏しく、玉川上水の通水以降ようやく本格的に開拓されたような土地だった(詳しくは「鈴木用水(玉川上水鈴木新田分水)(1)」参照)。下の地図を見るとわかるように、台地の中央部には川はなく、玉川上水や、そこからの分水だけが流れている状態となっている。放射状にのびる水路や、縦横に走る鉄道をみると、一帯は平坦な台地であるようなイメージがうかぶ。
(地理院地図に水路ルートを追加。桃色及び赤のラインが用水路のルート、水色、青のラインが川)
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ところが、地形を詳細にみていくと、実際には意外と凹凸があることがわかる。下の地図は上の地図とほぼ同じ範囲を、微地形がわかるよう色分けして表示した段彩図(カシミール3Dで基板地図情報5mメッシュを表示)。台地の中央には東西にのびるうっすらとした谷筋が見えるし、ところどころ出口のない窪地もある。
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これらの窪地には名前がつけられている。図の中央を西から東に横切る浅い谷筋は「ぐみ窪」「小川の窪」と続いた後、向きを北に替えて黒目川の源流、小平霊園内の「さいかち窪」まで続いている。
小平市役所東側にある大きな窪地「平安窪」は、いったん途切れた後小平駅東方の「アクスイ窪」へと続く。その延長線上には落合川の源流がある。平安窪の東の「天神窪」も「アクスイ窪」へと続いている。
平安窪の西側の「山王窪」は出口のないいわば "一級スリバチ" の窪地だ。名前こそついていないが他にもこのような窪地が散在していることが段彩図からは読み取れる。
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そして、一見平坦な場所を流れている用水路も、段彩図を重ねてみてみると、たくみに窪地を避けて通っていることがわかる。野火止用水の変な屈曲や「ぐみ窪」を避けるためだし、小川用水が向きを東に変えているのは青梅街道に沿うためだけではなく、野火止用水と同じく「ぐみ窪」〜「小川の窪」を避けるためだ。また、青梅街道沿いの用水路が小川用水から野中用水に切り替わるのは「天神窪」があったためだということもわかるだろう。
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ふだんは水に乏しい武蔵野台地上だが、これらの窪地には時に「野水」が出た。水の便が悪いのも困りモノだが、この野水も土地に暮らす人を悩ませた。水は降雨のあとしばらくしてから湧き出してときには窪地を満たす深さ1m以上の水たまりとなり、数日から数週間は水浸しになったという。数年に1回雨の多い年の秋にだけ湧水池が現れる黒目川の水源「さいかち窪」もこの「野水」の一種といえる。

武蔵野台地上にしばしば湧くこのような野水や、窪地に集まる雨水を排水するため、台地上には悪水路が悪水路が存在していた。保谷地区の「シマッポ」(白子川源流。「白子川上流部ー地下水堆とシマッポー(1)新川南支流」記事参照)が典型的な例だが、この小平地区にも2つの悪水路が存在していた。
ひとつは、青梅街道駅付近から現東村山市域を経て黒目川の源流さいかち窪につながるルート、もうひとつは小川新田から大沼田新田の「アクスイ窪」を通り、東久留米市域を経て落合川につながるルート。
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いずれも水路の幅は1m弱程度だったという。さいかち窪にいたるルートが開削された時期は不明で、現在では西武線青梅街道駅の脇に改修後と思われるコンクリート蓋暗渠が残る以外には痕跡はない。
大沼田新田の悪水路は江戸期に開削され、灌漑用も兼ねていて水路沿いには水田もひらかれていた。こちらは現在でも小川用水の水路のひとつとして暗渠となって残っている。

一方、生活排水は各家が庭に礫層まで達する穴を掘り、吸い込ませていた。しかし、昭和期に入り人口が増えてくるにしたがって、それでは間に合わなくなってきたという。戦前に陸軍経理学校が開かれた際には、石神井川へと続く排水路「経理排水」(「石神井川の源流を探して(4)源流解題ー鈴木遺跡・鈴木田用水・経理排水・石神井幹線」参照)が開削された。
そして戦後、1957年のブリジストンタイヤの工場建設を機に台地の中央の「小川の窪」から「アクスイ窪」をつなぐ排水路が開削された。この水路は1962年ころ完成し、幅およそ2mの素掘りの水路だった。正式には「基幹排水路」という名称をもっていたが、地元では「緑川」とも呼ばれていた。
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緑川は西武国分寺線小川駅の南方の地点から始まって「小川の窪」を通り、一旦尾根を切り裂いた後、「平安窪」〜「アクスイ窪」へと続く窪地まで通し、従来からあった大沼田新田方面の悪水路に接続していた。また、東久留米市内より下流の悪水路(おそらく滝山団地造成時に改修)とあわせて「小平排水」とも呼ばれていたようだ。

緑川は1970年代には暗渠化され、下水道の普及により1980年代なかばまでに埋め立てられてしまった。存在した期間が十数年程度と短く、また排水のための機能的な水路であったためか、この「緑川」についてはほとんど情報がない。しかし、川の全くなかった小平の台地上に、一応「川」と名のつく水路がほんの一時期とはいえあったという事実はただのドブ川であったとはいえ、なかなかに意外性がある。幻の川が流れていた跡は今はどうなっているのだろうか。実際にたどってみることにした。

緑川は西武線小川駅の南、国分寺線と拝島線の分岐する地点を起点としていた。1970年頃の住宅地図を見ると、ここから始まる水路がはっきりと描かれている。
西武国分寺線の線路の西側に平行して南北に走る道路。極々僅かながらV字の窪みとなっているのがわかるだろうか。そこがぐみ窪と小川の窪を結ぶ微低地だ。そしてその右側に見える緑の繁みが緑川の起点だ。
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現在では車止めに仕切られた中途半端な緑地となっている。奥で西武線の線路に突き当たっている。半ば私有地化されているようで、ちょっと入りづらい雰囲気となっている。
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下の写真は西武線の線路東側に廻り込んだところ。線路腰に見える木立が、さきほどの緑地だ。緑川は線路をくぐり手前方向に流れていた。
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振り返ると一直線に通りが続いている。通りはしばらく「小川の窪」の底を通っている。緑川はこの通りに沿ってまっすぐ東に流れていた。
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上の写真で、道路左側の歩道が急に始まる地点があるが、そこまで進んでみてみると、北側からいかにも暗渠な路地が合流しているのがわかる。この他にも何本か、南北から「小川の窪」の微低地に向かって同様の暗渠路地が合流している。いずれもかつて緑川に注いていた排水路だったのだろう。
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通りに立てられた標識には「緑川通り」の名がしっかりと記されている。
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看板と南北から合流する排水路暗渠の他にはとりたてて何の痕跡もないまま水路跡は東へまっすぐ進んでいる。
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緑川通りは青梅街道駅付近で西武多摩湖線に突き当たるが、その地点には、唯一緑川の痕跡と思われる物件が残っている。写真左下、路上に見えるコンクリートと、中途半端なガードレール状の柵だ。コンクリートはおそらく欄干の跡だろう。水路はその奥の小屋と木立の下を抜け、西武線の下を潜っていた。この区間はgoogle mapでは未だに水路として描かれている。
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青梅街道駅の東側に回りこむと、線路沿いの道にかなりしっかりしたつくりのコンクリート蓋暗渠がある。暗渠は青梅街道駅のすぐそばからはじまり、小川用水の北側水路と立体交差して谷筋へと下って行く。写真手前の鉄板の蓋と、向きが90度異なっている暗渠蓋が、小川用水だ。下りきった先は緑川の暗渠(跡)だ。
この暗渠はかつて、青梅街道に沿った溝渠の水をあつめて小川の窪〜さいかち窪へと落としていた悪水路の名残だろう。おそらく緑川が開通した際、下流部の廃止と流路の変更が行われこの暗渠になったと思われる。
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多摩湖線の線路のすぐ東、蓋暗渠が合流していた地点から緑川跡を下流方向に望む。左側の歩道がかつての緑川だ。唐突に始まる歩道の始点に、不自然なコンクリートの欄干のような物体が埋まっている。
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緑川はこの先で「小川の窪」からはなれて微高地を堀割で東進し、「アクスイ窪」の窪地へと移っていく。「アクスイ窪」を横切る地点では、江戸時代より流れていた大沼田新田へと続く悪水路と交差する。こちらの悪水路は青梅街道の北側を起点とするコンクリート蓋の暗渠として残っている。
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緑川はいったん「アクスイ窪」を越えて少し東進するため、この悪水路とも合流せず交差する。下の写真は交差地点からしばらく東進した緑川の暗渠から、悪水路の流れる方を見たもの。悪水路の流れる「アクスイ窪」が凹んでいるのがよくわかる。
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窪地を流れる悪水路は、幅はあまりなく、また、住宅地の中を何回も直角に折れ曲がりながら流れている。緑川が悪水路とぶつかってすぐに合流しないのは、この折れ曲がった細い区間を避けるためだったと思われう。
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アクスイ窪が北に向きを変える地点の少し南側で、窪の南側の微高地を抜けてきた緑川もようやく向きを北に変える。下の写真の歩道部を左から流れてきた緑川は中央の不自然な空地を奥へと北進している。この空き地の途中で先ほどの悪水路に合流し、その先はかつての悪水路のルートをそのまま辿って東久留米市方面へと抜けていく。
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西武新宿線の北側に抜けると、悪水路はかなり立派なコンクリート蓋暗渠となり、東久留米市との市境付近まで続いている。こちらの区間は緑川開通後は「小平排水」とも呼ばれ、今では小川用水の分流として扱われているようだ。
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ここから先、最終的には落合川の源流まで暗渠・水路跡が続いている。滝山団地内には暗渠に設けられた水門が残っている。
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この先の流末は「落合川を辿る(1)川のはじまり」で触れているのでご参照いただきたいが、この「小平排水」の区間を詳しく紹介するのはまたの機会としよう。

なお、緑川については不明な点がまだまだ多い。もし何か多少なりともご存知の方がいらしたら、コメント欄によせていただけると幸いである。
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by tokyoriver | 2014-10-07 22:47 | 黒目川・落合川とその支流 | Comments(6)
落合川シリーズひとまずの最後は、支流「立野川」。3回目でとりあげた南沢湧水群のすぐ近く、向山緑地の崖下の湧水から発し、新落合橋で落合川に合流する全長2.4kmほどの小川だ。小さな河川だが、合流地点の人工的な姿から自然のままの源流まで、ひとつの川の姿の変遷がコンパクトに観察できる好例となっているように思える。合流地点から上流に向かって遡って行ってみよう。

下の地図でオレンジ色で囲んだところが立野川。地図右上から中央下まで辿るかたちとなる。(地図はgoogle mapのキャプチャから。画面のはめ込みができないので、実際のプロット図はこちらのリンク先を)。

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落合川との合流地点付近は、コンクリートの護岸に挟まれ、川底にもコンクリートで何やら構造物が敷かれていて、人工的な都市河川の姿をしている。水質も落合川に較べやや劣っているようだ。(合流地点の写真は前回記事を)。
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浅間神社の脇。水量は多いが、水路はコンクリート三面張りに近い姿をしている。落合川のような水草はまったくない。
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流路の西側には住宅地が川沿いぎりぎりまで迫り、東側は崖線となっていて、川沿いの道もなく、「裏側」の雰囲気。これより上流、崖が迫っていて橋を渡す先がないためか、しばらく橋が全くなく、ほとんどの区間で、川の姿を見られるのは沿岸の住民のみとなっている。
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たまたま住宅が途切れ空き地となっているところから川沿いの崖が見えた。垂直なコンクリートの擁壁の下、右から左に向け立野川が流れている。崖の真上の家々の裏側もさらに斜面になっているようで、地形図をみると崖の上の台地との標高差は8m近くにもなる。かつては川に沿ってこの空き地の幅の分が、水田になっていたようだ。
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川沿いの崖の上に張り出している家があった。この家に住んでいるひとは足下が気にならないのだろうか。
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やっと現れた橋「小沢橋」から下流方向を望む。カーブする辺りで、洗剤まじりと思われる排水が流れ込み、水面が泡立っている。はっきりと下水や排水が流れ込むのを確認できたのはここだけだ。かつては相当汚染されていたという立野川の流れ。下水道の整備で水質は劇的に改善されたというが、あと一歩といった感じだ。ちなみに今回立ち寄り忘れたのだが、右側の駐車場の奥の崖下には湧水があるそうだ。
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小沢橋の上流側からは、水質がよくなる。水面に水草が生い茂り、その中を鴨の群れが泳いでいる。奥には西武池袋線の電車が見える。池袋線の向こう側は自由学園。立野川は自由学園の中を一部暗渠で通っている。
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自由学園の西側、南立野橋から、下流方向を望む。自由学園の敷地内を流れる立野川は、下流側の姿とは一変して、自然のままの流路が保たれている。緑が目にまぶしい。自由学園では生徒による川奉行が行われ、川を保全しているそうだ。
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同じく南立野橋から上流方向。2本の土管で潜っているのは、「たての緑道」の築堤。築堤には、戦前、東久留米駅から中島航空金属田無製造所に向かう引込み線が通っていて、戦後には「ひばりが丘団地」造成時の資材運搬線としても使われたという。
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土手の西側から上流方向。梯子状護岸の水路なのだが、木で出来ているのが変わっている。
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下流に較べると水量は少ないが、流れは速い。川はずっと、崖線の下に沿って流れており、おそらく川底や川と土手の境目などからも各地で水が湧き出しているものと思われる。水中になびく水草が水質の良さを伺わせる。護岸もところどころに素朴な土止めがあるのみだ。
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さらに上流にさかのぼって行くと、とうとう申し訳程度の護岸すらなくなり、草が伸び放題の中を流れる水路となった。
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川沿いを進むことはできないので、道路を回り込んで、水源近くまで行ってみると、畑地の向こうに森に囲まれた丘陵が見えた。川はちょうど畑と森の境目を流れている。
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森の西側へと目をやると、ちょっとした谷頭の地形となっていて、、まわりを木々が囲んでいる場所が見えた。おそらくそこが源流地点なのだろう。未舗装の道がそこまで延びていたので、行ってみることにした。
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道の突き当たりの先は窪地になっていた。そして、窪地の底の地面からはひっそりと水が湧き出して、川が流れ出していた。ここがまさに川の始まり、みなもとだ。標高は51m。落合川との合流地点より10mほど高く、下流部の崖上の台地と同じくらいの高さだ。北に200mほど行けば、そこは落合川シリーズ4回目でとりあげた南沢の湧水群だ。背後の斜面の上は「向山緑地公園」。こちらの標高は60mほど。公園といっても、ただ森があるだけの場所だが、ここには縄文時代から平安時代にかけ、集落があって人々が暮らしていたという。彼らはおそらく、立野川の水源に湧く水を利用していたのだろう。
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立野川を辿った時、上流に遡るにつれ時間も遡るようなその姿から、何となく、失われてしまった川たちのことを思い浮かべた。想像するに、関東大震災後の山の手の川や、高度経済成長期前の山手線周縁部の小川はこんな姿をしていたのではないだろうか。水源地は宅地と農地が混在し、緑がまだ残り、水が湧き出て細い流れをつくっていて、中流部では沿岸は宅地化して護岸が造られ、生活排水も流れ込み、下流部では川というよりも排水路の様相を見せる、といったような。それらの川はその後下水化し、暗渠化されてしまったが、立野川は幸いにも湧水が涸れることもなく、下水も別に整備されたことで、清流をほぼ取り戻し、生き残った。ただ、立野川は落合川のように特に保護や環境保全がなされたりしているわけはなさそうで、水源そばの農地が宅地になったり、比較的自然に近い姿が保たれている上流部に改修工事がされ、涸れてしまう、といったことも今後起らないとも限らない。みなもとの水がいつまでもひっそりとそこに湧き続ければよいのだが。そんなことを考えながら帰路についた。




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by tokyoriver | 2010-11-25 00:04 | 黒目川・落合川とその支流 | Comments(4)
落合川の第5回目は、竹林公園の湧水からの流れ「こぶし沢」を落合川の合流地点まで辿り、そのまま落合川を終点の黒目川合流地点まで下っていく。下の地図、オレンジ色で囲んだエリアとなる(地図はgoogle mapのキャプチャから。画面のはめ込みができないので、実際のプロット図はこちらのリンク先を)。
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竹林公園はその名の通り、竹林に囲まれた斜面が公園となっている。斜面に設けられた遊歩道を下って行く。
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崖の下の、谷頭になっているところ、露出した石の下から水が湧き出している。標高はおよそ50mと、南沢の湧水と同じだ。距離も700mほどしか離れておらず、同じ水脈なのかもしれない。こちらの湧水も「東京都の名水57選」に選ばれている、著名な湧水だ。
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水量は多く、湧き出してすぐに渓流をかたちづくっている。右岸側は斜面の上と5mほどの標高差がある。
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湧水のすぐ近くには、こんな石祠があった。今でも丁寧に祀られているようだ。
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川に沿って遊歩道が設けられている。途中も何カ所からか水が湧き出しているのが見える。「こぶし沢」の名にふさわしい、渓谷風の風景だ。
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公園の敷地を出ると、一転して住宅地の中のコンクリート護岸の水路となる。
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とはいっても下水などは一切流れ込んでおらず、河床は自然のまま。水も澄んでいて魚が泳いでいる。
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やがて切り立った護岸の水路となり、川沿いを辿ることができなくなる。脚立が気になる。
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最下流はそのまま落合川の旧水路となっているようだ。旧水路の上流部は下の写真のように、空き地として残されていた。下流方向に進めばこぶし沢の流れとなる。
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西武池袋線の橋梁の手前で、落合川に合流する。
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ここからは落合川本流を下って行く。下の写真は西武池袋線を越えて最初の共立橋を過ぎたところで振り返ってみた様子。奥に池袋線の橋脚が見える。川面には柳が覆いかかり、土手の緑も水草も鮮やか。
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この辺りには右岸に、緩やかにカーブを描く旧流路が、そのまま三日月形の湧水池として残されている。湧水池の背後はコンクリートで固められた崖となっている。
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ここまで来るとだいぶ川幅が広くなり、しっかりとしたコンクリート護岸に柵が設けられ、水面に近づくことができなくなる。空が広い。
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新落合橋の下流側で、立野川が合流している。立野川は先の竹林公園や南沢湧水群の近くの湧水を水源とする川だ。こちらについては、次回、落合川シリーズの最終回としてとりあげるが、途中でわずかながら排水が合流しているらしく、水質は落合川よりもやや落ちるようだ。そんなせいか、合流地点には鯉がたむろしていた。ここの左岸(手前)側からは弁天川が合流しているが、現在は全区間暗渠となっていて水もほとんど流れていないようだ。
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ここを過ぎるともうすぐ黒目川との合流点だ。左岸には東久留米市のスポーツセンターがあって、その地下は増水時の遊水池となってるようだ。左岸の植え込みの下には草に隠れて遊水池へ水が流れ込む口がいくつも並んでいる。
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落合川はスポーツセンターの先で、とうとう黒目川に合流する。源流地点からおよそ3.5km、標高は38mなので、20mの標高差を下って来たこととなる。合流地点に架かる神宝大橋より下流側は埼玉県新座市だ。
ここで面白いのは落合川と黒目川で水の色が少し違っていること。これは落合川の方が水質がよいため、落合川の水が薄まるところまで、河床に生える水草が多いからということだ。
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シロサギが獲物を狙っていた。奥側の水が水草の影響で濃く見えるが、そちらに落合川から来た水が流れている。
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落合川の水を合わせた黒目川は、足早に流れて行く。ここから下流でも、暗渠を含めいくつもの支流や湧水があるようなので、いずれそちらも訪れてみたいが、今回はここで引き返すこととした。
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最後に、合流地点付近に残る旧流路をとりあげよう。この辺りでは1970年代まで、落合川も黒目川もかなり蛇行して流れていたようだ。下の写真は二つの川が合流した後の水路だったところ。今の川の姿と較べると水路は細く、しかも川岸ぎりぎりまで家が建っている。ほんとうにここにあの水量が流れていたのか疑ってしまうが、東久留米市で出している写真集を見ると、確かにこのような狭隘な水路をごうごうと流れる黒目川の姿が写っていた。
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少し上流側まで遡ると、下の写真のように水路は半ば埋め立てられ、雑草に埋もれていた。空中写真を見ると、針金をでたらめにねじ曲げたように蛇行する水路跡の敷地が見て取れる。
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次回は落合川シリーズの最後として、途中で合流している立野川を源流から落合川の合流地点まで辿ることとしよう。暗渠からしばらく離れたままで恐縮なのだが、あと1回だけおつきあい願いたい。



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by tokyoriver | 2010-11-11 00:09 | 黒目川・落合川とその支流 | Comments(0)
落合川を辿る第4回目は、南沢湧水群をとりあげる。南沢湧水群は「東京都の名水57選」や「環境省の平成の名水百選」に選定されている都内有数の湧水エリアだ。湧水の標高は50mと、南方にある三宝寺池(石神井川主水源)、妙正寺池(妙正寺川水源)、善福寺池(善福寺川水源)、井の頭池(神田川水源)と同じ標高だが、他の地点の湧水が既に枯渇し汲み上げに頼っているのに対して、ここでは谷の谷頭と斜面の下にある4カ所の湧水源から、あわせて一日1万立方メートルもの水が湧き出ている。一帯は南沢緑地として保全されており、4カ所の湧水のうち2カ所は東京都水道局南沢浄水場の敷地内となっている。

南沢湧水群を集めた小川は「沢頭流(さがしらりゅう)」とも呼ばれ、400メートルほど流れた後、第3回目の記事の最終地点より少し遡った、毘沙門橋の上流側で落合川に合流している。合流直前の区間はコンクリート護岸の味気ない流路なので、それより上流を見てみよう。

氷川神社の南側に架かる「宮前橋」より上流の一帯が南沢緑地となっていて、流路は自然のままの姿を保っている。
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橋の近くに立つ案内板の地図で、緑地内の流路の概要がつかめる。まずは地図最下方、「現在地」のところから右(南)に延びている短い水路を辿ってみよう。
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雑木林の中から流れ出している水路が、道に沿ってしばらく流れ宮前橋のたもとで本流に合流している。
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流れを遡って鬱蒼とした雑木林の中の小径を辿っていくと、竹林に囲まれた直径2、3mほどの湧水池があった。地面にぽっかりとあいた窪地に澄んだ水がたまっている。崖や斜面に囲まれているわけでもなく、なんだか不思議だ。
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池のどこから水が湧き出しているのかはよくわからないが、窪地から土管で導かれ、小川へと流れ出す湧水はかなりの量があった。
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宮前橋へ戻り、今度は橋から西に延びる本流の水路を辿る。鴨が隊列をなして泳いでいた。水の勢いは強く、速い。
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100メートルほど進むと、南側から別の水路が合流し、川幅が広くなっている地点がある。写真右手から本流、正面奥から支流が流れてきてここで合流し、左手の宮前橋方面へと流れている。
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緑地の中に入り、南側の水路を追ってみる。鬱蒼と茂る森の中を清流が下って来ている。
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以前は源流の湧水まで近づけたようだが、現在は保全のためにそばまでは行けないようになっていた。そこで、後背地の丘の上に登り、そこを通る道路から斜面を見下ろすと、斜面の裾に源流が見えた。湧水口自体は見えないが、写真中央下方、水面が波打っている辺りで湧き出しているようだ。ここが4つある湧水点の2つ目だ。
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さきほどの合流地点まで戻り、再び西から流れてくる本流へ。こちらはすぐに柵に囲われた立ち入り禁止エリアへと入ってしまう。
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立ち入り禁止エリアの中は、東京都水道局の南沢浄水所だ。この中に残り2つの湧水地点があって、川は細長い池のようになっているらしい。その池の水門から流れ出した水が堰をごうごうと音をたてて流れ落ちているのが見える。
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浄水所の敷地は「沢頭流」の谷頭を占めている。谷頭を囲む丘をぐるっと廻ってみることにする。北側の丘に登ると、ビニールハウス越しに、立ち入り禁止エリアの緑地と、その奥の配水塔が見える。南沢浄水所は1962年に完成し、現在東久留米市の東半分に給水しているという。南沢湧水群の湧水池の水を直接採っているという訳ではなく、そばに四本の井戸を掘ってそこから1日およそ3500立方メートルの水をくみ上げ、東村山浄水場から送水された水とブレンドしているそうだ。ブレンド比率はおよそ地下水1対送水3となっているという。
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谷頭を囲む丘をぐるっと南側まで廻ってみたが、谷頭へと落ち込む雑木林の斜面は何カ所かで見られたものの、敷地内の湧水池がはっきりと確認できる地点はなかった。配水塔は南側の丘の上に建っていた。高さ23m、直径25mという配水塔の容量は1万立方メートルとのこと。ということは、南沢湧水群の湧水量と同じだ。この配水塔1本分の湧水が毎日湧き出している、と考えるとその水量の凄さがよくわかる。
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次回は南沢湧水群から700メートルほど東にある、竹林公園の湧水と、そこから流れ出す「こぶし沢」の流れを辿り、そのまま落合川を黒目川の合流点まで辿り紹介する。



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by tokyoriver | 2010-11-04 00:33 | 黒目川・落合川とその支流 | Comments(2)
落合川を下って行く第3回目は、地蔵橋旧流路の合流地点から、西武池袋線の線路を潜る地点、下の地図でオレンジ色の線で挟まれた区間をとりあげる(地図はgoogle mapのキャプチャから。画面のはめ込みができないので、実際のプロット図はこちらのリンク先を)。
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前回の最後の写真に映っている神明橋下流側の地点で、右岸(南)側から合流する流れがみられる。綺麗な水が落合川へと注ぎ込んでいる。
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流れ出して来る方向を見ると公園となっていて、その下を暗渠で流れてるようだ。公園を抜けると、ちょっとし窪地となったところに、ちいさな澄んだ池があった。ひょうたん池と呼ばれる池の端からは、それなりの量の水が流れ出していて、湧水地点は見えないが、どこかで湧き出しているようだ。
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池から更に南側の崖下に行ってみると、もうひとつ更に小さな池があった。こちらも澄んだ水をたたえる湧水池で、水が排水口へと流れ込んでいる。弧の水がひょうたん池に注いでいるのだろう。
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池からの水が合流する地点のすぐ下流では、再び左岸(北)側に水路が分かれている。こちらも改修前の旧水路だ。川の水は手前でほぼ同じくらいの量で旧水路と新水路の二手に別れている。
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川は水の中も外も緑で溢れている。この環境を保全するために、新水路が完成したのちも、こちらの水路はそのまま残されている。
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一応河川敷の外側に護岸がつくられているのだが、河川敷の中は緑に埋もれ、その中を流れる流路は自然なフォルムを見せている。
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数百メートルほどで、旧水路は再び新水路に合流する。このあたりでも、かんたんに水面に近づけるようになっている。
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水の中、河川敷、奥に見える氷川神社の森と、様々な緑がうねるように目に飛び込んで来る様はゴッホの絵のタッチのようだ。
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水の中には水草が流れに身を任せている。河川敷には都心ではあまりみかけないようなトンボが飛び交っていて、オニヤンマが空を横切り、蝶のように羽根を羽ばたかせるトンボが、水面から突き出た水草に羽根を休めていた。調べたところでは「クロハトンボ」のようだ。この写真ではわかりにくいが、胴体は青っぽい色をしていた。
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氷川神社の森の北側は、自然のままの河畔林が残っていて、水面にせり出している。全く手つかずの河岸が残っているのはここだけだという。
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その少し下流側、毘沙門橋の手前では、「南沢湧水群」を水源とする流れが合流している。東京都の名水57選に選ばれ、落合川を含めて「環境省の平成の名水百選」にも入っているこの湧水群については次回紹介したい。
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落合川は南沢湧水群からの水の合流で更に水量を増し、中流域といった雰囲気となる。毘沙門橋の下流側に設けられた堰のところには渕となっており、川岸から降りられるようになっていて、昨年初夏に訪れた時には、小学生たちが水着で川に入っていた。都心の川では絶対に見られない風景だ。
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目に優しい緑のなかを緩やかにカーブしていく。こちらも昨年初夏の風景。
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蛇行の跡を緑地にした「いこいの水辺」のあたりには、写真のような看板が出ていた。「川に入るな」ではなく、入る際に気をつけることが書いてあるのがよい。
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落合川や黒目川にはあちこちにカモの姿が見られた。特に初夏はカルガモが多く、このようにヒナの姿も見られた。
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西武池袋線の線路を越える手前では再び堰が。堰の右側からは蛇行跡の暗渠の土管から水が流れ出している。どこかで湧き出しているのだろうか。
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堰の下の渕は魚がかなりいるようで、釣り人の姿や、魚を狙うシロサギの姿も見られる。
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落合川は堰の先で、竹林公園の湧水(こちらも「東京の名湧水57選」に選ばれている)を水源とするこぶし沢の流れを合流し(こちらは次々回に紹介する)、西武池袋線の線路を潜って更に北東へと流れて行く。水流にゆらめく水草の緑が美しい。ここまでで源流地点から約2.5km、標高にして15mほど下って来た。次回は少し上流に戻って、南沢の湧水群を見てみよう。(つづく)
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by tokyoriver | 2010-10-30 23:28 | 黒目川・落合川とその支流 | Comments(0)
前回に引き続き、落合川を上流部から下って行く。
このエリアにあまり馴染みのない方も多いと思われるので、流域の全体図をgoogle mapのキャプチャから(画面のはめ込みができないので、実際のプロット図はこちらのリンク先を)。画面の下方を横切る濃い青で描いたラインが落合川だ。地図左下が源流で、右上で落合川に合流している。ところどころはみ出ているのが改修前の旧流路で、そのいくつかは今回とりあげる。支流には立野川、南沢湧水群からの流れ、こぶし沢の流れ、そして全区間暗渠化されているが、東久留米駅の北側に発する弁天川がある。図左下がかつて接続されていた玉川上水大沼田分水の末流で、現在は小平排水溝として、黒目川の支流である揚柳川(全区間暗渠)に接続されている。
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では、さっそく前回の続きから。下の写真は上流端の標識から少し進んだ地点で、右上に上流端の橋が見える。わずかな区間でしっかりと川らしくなっていることがわかる。
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川はあちこちから湧き出る水を集め、どんどん水量を増して行く。下の写真では左下の湿地のようなところから湧水が流れ出し、右岸の石垣の隙間からは水が音をたてて湧き出していた。
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少し下ると、流路は整備された本流の河川敷からいったん外に出て、整備前の旧流路を流れる。この区間は1992年に流路が整備された際に、絶滅危惧種であるホトケドジョウが生息しており湧水地点も多い区間であることから、残されたという。川は洪水などのときだけ、河川敷内を流れるようになっている。先の写真から数十メートルしか進んでいないが流量が格段に増していて、流れも早い。
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その本流の方の河川敷には地面にこんな穴があき、中を湧水が勢いよく流れている箇所があった。
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流れ出た先は、本流の河川敷の真ん中に設けられた池。昨年の初夏に訪れた際は、下の写真左側のように涸れていたのだが、今回は右側写真の石の下から音をたてて流れ出し、いったん池に溜まった後、下流へと流れ出している。
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旧流路が本流の池からの流れと合流した後の、落合川の姿。上流端からわずか200メートル余りで、もうこの姿だ。不必要ともいえるほどの過剰な改修工事によって、最上流部の湧水量は激減したというが、それでも季節によってはこの水量があるというのは、水源が涸れて汲み上げに頼っているような都区内の川から考えると驚異的だ。護岸の下でもあちこちから水が湧き出しているのが見える。
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この先も、再び本流から旧水路が分かれている。下の写真の左側は昨年初夏の状況。まだ本流は完成しておらず、コンクリートの梁を渡した典型的な水路だったのが、今回は石を積み整備された水路に変わっている。湧水の存在などで流路を残したのだろうか。護岸は無骨だが水路自体は自然に近い状態だった以前の水路のほうが、水中の環境はよさそうに思えるのだが・・・
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この旧水路に架かっていた弁天橋。素朴な意匠の欄干が印象的だったが、今回は跡形もなく消え去っていた。奥に、改修後の新水路にかけ直された弁天橋が見える。
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弁天橋の下流側も、コンクリートの垂直な護岸に挟まれてはいるものの、水路自体は草の生い茂る自然な姿だったのだが、こちらは暗渠化されてしまった。わざわざこの区間だけ暗渠にする意味がよくわからない。
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弁天橋の下流側。
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右岸(南)側には、弁天フィッシングセンターの池があり、ここの水(井戸水と湧水らしい)も落合川に流れ込んでいる。つい2、3年ほど前まではこの4倍くらいの広さの池だったが、道路の造成でつぶされてしまった。
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しばらく下ったところに架かる地蔵橋から上流を振り返る。写真中央左寄りの護岸の切れているところと、中央右端の川が曲がっているところでかなりの湧水が湧き出しているのが見えた。流路は一見自然に見えるが、実際には改修された流路で、本来は奥の草の生える斜面のところを流れていた。現在見える斜面は、改修工事で出た土で旧流路を埋め立ててつくられたものだ。
2007年に実行されたこの改修工事は大きな問題となった。旧流路は渓谷風の景観と、7カ所ほどの湧水地点からあわせて1日三千から六千トンの湧水量を誇る、落合川上流部の最大の水源地だった。そして、そこには絶滅危惧種であるホトケドジョウが千匹近くも生息していたのだ。ほかにもカワセミが棲息し貴重な水草が繁殖するなど、豊かな自然を残す旧流路の保全を求める住民運動が起こったが、埋め立ては強行され、ドジョウたちは「避難」させられた(しかし、そのほとんどは結局死んでしまったという)。最終的には下流の一部は埋め立てられずに整備されて残されたものの、湧水は減少し、もとの環境も戻っていないという。そして落合川とホトケドジョウを原告とした裁判が起こされている。
反対運動は改修自体を否定するものではなく、旧流路を残してほしいというものだったようだし(現に落合川各所には旧流路が残されている)、1997年の河川法改正で、河川行政が環境を保全する方向へと舵を切った後でのこの工事、なぜ強行されてしまったのだろうか。
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「落合川に澄んでいる魚と見られる野鳥たち」の看板。先の経緯を知ってから見ると、複雑な気分だ。
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残された旧流路。流れる水は清冽だが、その姿は渓谷とはほど遠い。
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埋め立てられた区間の地下から湧き出た水が暗渠から流れ出ている。かなりの流量だが、これでもかつての水量の半分以下だという。



澄んだ水の中を沢山の魚が群れをなして泳いでいる。新たな自然が根付くことになるのだろうか。
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旧流路は40mほどで、落合川本流に合流している。合流地点にも魚が群れていて、水質のよさを伺わせた。
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合流後の落合川。上流端の標識からは約700m下ってきた。このあたりは水面に近づくことが出来る。
この少し先では右岸側から「ひょうたん池」からの湧水が合流し、その先では再び旧水路が分かれる(こちらは無茶な改修や埋め立てをされることなく、そのまま残されている)が、写真の枚数も多くなったので以下は次回としよう。
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by tokyoriver | 2010-10-25 23:47 | 黒目川・落合川とその支流 | Comments(12)
落合川は、西武新宿線小平駅の北東2.7km東久留米市八幡町3丁目を源流とし、西武池袋線東久留米駅の東北東1.1km東久留米市神宝町1丁目の、新座市との境界近くで黒目川に合流する、全長全長3.5kmほどの川だ。
黒目川の水系は武蔵野台地の北側にかつて多摩川が刻んだ幅の広い谷を流れていて、湧水が多いことで知られている。中でも落合川は、その流路が、地下水が流れる武蔵野礫層の地下谷のちょうど上にあたるため、あちこちに湧水が見られ、流れる水のほとんど全てが湧水によるものだと思われる(本流の黒目川は、山崎パンやコカコーラの工場からの処理水といった湧水以外の水も多く流入している)。
川は現在では源流から合流地点まで全区間に改修工事の手が入っているものの、その豊かな水量や、育まれている緑や生物は今でも目を和ませる。今年の秋の様子を、昨年の初夏の写真も交えながら、源流地点から、支流を含めて辿り紹介してみようと思う。

西武新宿線花小金井駅と西武池袋線東久留米駅を結ぶバスをちょうど中間のあたりで降り、所沢街道を西へと進んだ後、北側へと下っていくと、落合川の流れる谷筋となる。

坂道を下ったところの白いガードレールが見えるところが最上流部だ。流路は左からガードレールのところで道路を横切り右へと流れている。
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坂を降りた左手に「一級河川落合川上流端」の看板が立っている。看板よりもさらに上流に、丸太の土止めが施された細い水路が続いている。
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水は枯れ、草が生い茂っている。左側(右岸)に、コンクリートの崖が迫る。
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しばらく遡ると土止めの水路は途絶え、そこから先は草の生い茂る窪地となる。
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窪地を遡って、行けるところまで行ってみる。
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どんづまりの地点には、コンクリートの擁壁。水抜きの穴がぽつんとあった。「上流端」の標識から70m程度西の地点だ。地形図を見ると、ちょうど標高58mの等高線が通っている。水抜きの穴からもし水が出ることがあるとすれば、それは落合川の最初の一滴となるのだろうか。ただ、周囲の草むらの足下は割としっかりとしていて、水が流れたり染み出たりした様子はない。
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振り返ると傾斜のついた細い谷が見渡せる。
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さて、自然河川としての落合川はここが最上流端なのだが、実はかつては、これより上流側にも水路が続いていた。1972年の住宅地図をみると、その水路は道路沿いを南へと延び、畑の中をクランク状に曲がって所沢街道にぶつかり、街道沿いをしばらく流れた後その上流は暗渠となって消えている。1943年の地形図を見ると、更に上流部が描かれていて、現在の滝山団地を横切り、小平市内を流れる玉川上水大沼田分水へと繋がっている。1972年の地図に描かれている区間は、1976年の住宅地図ではすでに消滅していて、現在の上流端からの水路のみが描かれている。
実際に現地を探索してみると、1972年の地図に描かれている区間は、痕跡が残っていた。下の写真の歩道部分がそのひとつだ。路上に点検口のコンクリート蓋があり、近くにあったマンホールも下水ではなく「雨水」と標記されている。
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玉川上水の分水とはいえ、この水路についてはおそらく、灌漑用に水をひいたというよりは、最後の余水の排水路として使われていたのだろう。現在では、水路は暗渠となっていて、落合川最上流端のすぐそばで西に折れ、落合川の北側を流れる揚柳川の暗渠に接続され、揚柳川とあわせて「小平排水溝」と呼ばれている。

さて、「上流端」の橋のところへ引き返し、川を下って行くこととしよう。
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落合川の上流は、1990年代中頃に大規模な改修工事がなされた結果、水が涸れることが多くなったという。前回訪れたときもこのあたりは水は枯れていて、土がわずかに湿っている程度だったのだが、今回は橋の下に澄んだ水が溜まり、下流側へと流れ出していた。ちょうど橋の下あたりから水が湧き出しているようだ。ここがまさに、川の始まりであり源(みなもと)だといえる。
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橋のすぐたもとでは、わずかではあるが、湧水が土の隙間からちょろちょろと流れ出す様子が確認できた。水面に光が反射してあまり水がきれいに見えないが、実際には澄んだ水が流れ出している。ここで湧き出したわずかな水が、川を下って行きやがて海へと行きつくのだ。



水は他にもあちこちから湧き出しているようで、川はそれらをあつめて、すぐに一筋のしっかりとした流れとなって下って行く。前回の涸れ川とはうって変わったその姿は、やはり水が流れていてこそ川なのだという思いを新たにさせる。
(以下次回)
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by tokyoriver | 2010-10-22 00:34 | 黒目川・落合川とその支流 | Comments(3)
東久留米市内から流れ出す黒目川とその支流たちは、都内の中小河川では珍しく今でもあちこちに湧水の水源が残っていて、川の水も綺麗で、かつての神田川水系や北沢川水系もこのような感じだったのだろうと思わせる。

そんな黒目川の支流のひとつ、西妻川。
東久留米駅(西武池袋線)と花小金井駅(西武新宿線)のちょうと中間にある滝山団地の一角、白山公園にその源流を発し、北に向かって流れている。
古い地図をみるともともとはもっと南まで谷筋と川が延びていたが、滝山団地の造成でなくなったようだ。

滝山団地は1960年代に造成されたマンモス団地だ。原武史「1974滝山コミューン」という70年代の団地の小学校に出現した奇妙な集団主義教育のルポが面白い。西妻川の湧き出す白山公園は、この団地の遊水地としてつくられている。





公園全体が谷底の平地となっており、いつもじめじめしていて、雨の多い時期には水浸しになるという。公園の中を歩いていくと、北に進むにつれ、草むらの中の土が湿っぽくなる。公園の真ん中にかかる橋を過ぎると、西側の隅からいよいよ水が湧き出し、川が始まる。


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まるで田舎の田園風景の中を流れているように見える。


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川は公園から流れ出した後は普通のコンクリート水路となり、黒目川に注ぐ。


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この近辺には黒目川やその支流の出水川、揚柳川や落合川といった川の水源も集中している。
共通の地下水脈があるのだろうか。
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by tokyoriver | 2009-08-06 00:09 | 黒目川・落合川とその支流 | Comments(0)