東京都内の中小河川や用水路、それらの暗渠、ひっそりと残る湧水や池をつれづれと辿り、東京の原風景の痕跡に想いをよせる。1997年開設の「東京の水」、2005年開設の「東京の水2005Revisited」に続く3度目の正直?


by tokyoriver

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神田川笹塚支流(和泉川)の本来の最上流部は、和泉給水所の東、東放学園専門学校のあたりと思われる。あたりは浅い谷となっていて谷底にカーブした道が続いていたり、南和泉住宅の西側、甲州街道から谷に下って行く道沿いに怪しい空間があったりするが、はっきり暗渠らしい道が始まるのは和泉1-4、大吉市場のはす向かいから。写真は数年前の大吉市場。
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車止めの先に、道端に雑草の生い茂る細い暗渠がのびている。送電線の下をくぐる地点には、古い民家が。
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しばらく進むと沖縄タウンこと代田橋商店街のエリアに突入。夏には暗渠を跨いで、ゴーヤがなっていた。
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沖縄タウンこと代田橋商店街を横切る地点は猫スポット。
そばの花屋で飼われている猫が沢山たむろしている。
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代田橋商店街から環七通りまでの区間は、マンホールが狭い間隔で並んでいる。
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暗渠は環七通りを越え、水道道路の南側に平行して続いている。
大径マンホール(東京Peeling!さん命名?)がある。
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この先、(1)で取り上げた流路に合流し、水道道路の下を北側にくぐって、水道道路北側の水路と合流していたようだ。
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神田川笹塚支流(和泉川)の水系地図(googlemap)
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by tokyoriver | 2009-10-30 23:31 | 神田川とその支流 | Comments(6)
東急池上線長原駅から南に歩いていくと、南に開けた大きく深い谷が現れる。この谷の真ん中、擂り鉢状になった窪地にあるのが小池(洗足小池)だ。
写真は池の北縁を東西に掠める道路を東側の丘の上から眺めたもの。中央の窪地の左側に池がある。
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洗足小池は、もとは農業用水として、湧水を築堤でせきとめてつくられた溜池だった。一説に因れば、更にそれ以前からこの場所に池があったという。昭和初期には釣堀となり、洗足池の施設と同じく、社団法人洗足風致協会が管理し、2004年まで営業していた。釣堀の営業終了後、大田区が整備し、2009年4月に公園としてオープンした。
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大田区の2008年10月の湧水調査では、7箇所の湧水が確認されており、湧水量は合計毎分80リットルに及ぶ。実際に池の周りをまわってみると、4箇所ほど湧水が確認できた。もっとも水量がありそうなのが、池の北西の角の湧水。導水管からきれいな水が絶え間なく流れ出していて、まわりにはメダカや小魚が集まっている。
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池の北東側の湧水は石組みになっている。ここからも水が流れ出し、池に注いでいる。
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池の北東側には、石組みで囲まれた井戸のような湧水があった。どこから湧き出しているのかよく判らないが、澄んだ水がたまっている。
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このほか、池の南東側にも導水管から湧水が流れ出していたが、水量はわずかで、周囲もあまり綺麗ではなかった。

池の南側は谷を跨ぐ築堤となっていて水門があり、水が流れ出す音が聞こえる。水門は釣り堀時代からあったものがそのまま使われているようだ。
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水門の南側には深い谷が続いていて、南西に向かって暗渠が伸びている。
暗渠は草木が茂り家々の庭のようになっていて、入ることはできない。
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下流側に回りこんでみると、道沿いの暗渠が出現する。右側の空間が暗渠のようだ。
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このさきすぐに、小池小学校の敷地につきあたる。川をまたがるように小学校がつくられるのはよく見られるパターンだ。流路は小学校を南に抜けしばらく下った後、クランク状に曲がって道路沿いを流れていたようだ。道路沿いには、これも川につきものの銭湯が。おそらくこの前の歩道が流路。
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しばらく下っていくと洗足池からの洗足流れ(池上用水)に出る。かつてはこのあたりで合流していたのだろう。現在洗足小池の水は下水に流されてしまっているようで、非常に勿体無い気がする。もとの通り、洗足流れを経由して呑川に流れるようにすれば、呑川の浄化にもつながると思うのだが・・・
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by tokyoriver | 2009-10-27 23:27 | 呑川水系と荏原台の水 | Comments(2)

東京地形地図

google earthを利用した、こんなサービスを発見。

東京地形地図

国土地理院の基盤地図情報5mメッシュから等高線や段彩図を興して、google earthの航空写真と重ねてあります。例として前回記事でとりあげた荏原台付近の画面を見てみると、こんな感じ。左から、呑川の谷、洗足池〜洗足流れの谷、上池台の谷、内川の谷、馬込九十九谷となります。リアス式海岸のようにいりくんだ複雑な谷戸がはっきりわかります。実際にはズームアップすると等高線も表示されます。

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5mメッシュを使った段彩図は、今まではカシミールを利用して表示したり、カシミールが使えないMacだと、数値地図ビューワーを使わなければいけなかったので、これはかなり便利。地形好きの暗渠者、川歩き人には興味がつきないと思います。
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by tokyoriver | 2009-10-25 13:14 | お知らせ | Comments(8)
立会川と呑川に挟まれた「荏原台」は、都心の台地「淀橋台」と同じく「下末吉面」に属する古い台地で、淀橋台と同様、急峻な斜面を持つ谷戸が複雑に入り組んでいるのが特徴的だ。それぞれの谷にはかつて湧水や川があったのであろう。そのなかのひとつを辿ってみた。

大田区上池台。内川の谷と、小池(洗足小池)の谷に挟まれた、北東を谷頭とし南西に細長くのびる深い谷戸の底に、暗渠が残っている。

谷戸の谷頭に降りる坂。高低差は10m近くある。下りきったところから右(南)にむかって谷が開いている。
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谷底を下って行く道。道路の左側に埋まった怪しげな縁石。どうやらこれがここから流れ出していた川の暗渠の痕跡のようである。
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途中で直角に左に曲がる。先で更に右に曲がっている。
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みるからに暗渠だ。
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この先、いったん車道に出る。道路の右端にマンホールが続く。
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道に沿って低いところへとクランク状に曲がると右に暗渠の路地が。
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暗渠はほぼ直線に続いている。傾斜が結構あり、流れは早かったのではないか。途中からちょっと暗渠の路面が低くなっている。この辺りは20年ほど前までは開渠だったようだ。
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谷がやがて洗足池〜洗足流れの谷とあわさると暗渠は直角に南東に曲がる。更にすぐこの先、直角に南西に曲がり、上池上商店街の歩道となって下って行く。
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東雪谷五丁目の交差点で、洗足池からの「洗足流れ」(池上用水)と交差点を挟んで数メートルまで超接近するが、こちらの川は再び直角に南東に曲がり、新幹線のガード下へ向かう。
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ガードを潜ると、台地の崖線の下に沿った道沿いを、歩道となって下って行く。写真の排水枡は暗渠端にあったものだが、実は中には湧き水が溜まっている。大田区の調査では1分間に1リットルほど湧き出しているという。そのまま下水に流れているようで、ちょっと勿体ない。
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崖線の上に、子安八幡神社が祀られている。かつてはここで、崖線沿いを池上方面(南東)に下って行く流れと、南西に曲がって呑川に注ぐ流れに分かれていた。今回は呑川方面へ。
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この区間もつい最近までは開渠だったようで、ネット上の地図でも水路が描かれているものもある。歩道から突き出している排水管がいかにも暗渠だ。
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しばらく進むと呑川に合流。右側の塞いであるところがもともとの合流点だろう。左側のぽっかり開いている出口は、どうやら下水道洗足池幹線から、大雨のときなどに呑川に水を流すための吐水口のようだ。
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by tokyoriver | 2009-10-22 23:29 | 呑川水系と荏原台の水 | Comments(4)
杉並区和泉1丁目。環七通りの泉南交差点から、都道431号線が、新宿方面にまっすぐ伸びている。
通称「水道道路」と呼ばれるこの道路は、もともとは「玉川上水新水路」の水路敷だった。
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「玉川上水新水路」は、明治後期、淀橋浄水場の建設に伴って玉川上水の水を導くために現在の和泉給水所付近から上水を分水するかたちで、開削された。従来の玉川上水路は谷筋を迂回して曲がりくねって進んでいたが、新水路は土手を築き谷筋を横切って一直線に流れていた。そのため、関東大震災では土手が崩れて洪水が起こるといった問題も起きた。昭和初期には甲州街道の地下に導水管が作られ、水路は役割を終えた。水路敷はそのまま道路に転用され、「水道道路」となった。
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新水路の敷地跡は泉南交差点より西側にも続いていて、そこを通る道も「都道431号線」となっているのだが、この区間は整備半ばのままで細い道となっていて、道沿いの水路敷には家が立ち並んでいたり、遊び場が帯状に続いている。

水路敷跡の南側は、浅い窪地となっている。ここが神田川笹塚支流(和泉川)の源流地帯だ。一方、北側にも、敷地に沿った水路が残っていて、これも神田川笹塚支流(和泉川)につながっていたと思われる。遊び場96番の一角から、道路沿いにコンクリート蓋の暗渠が出現する。これがその水路だ。
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ここから少し西に進むと遊び場の一角にシャッターの閉められた建物がある。最近まで、「釣堀と食事 友蔵園」の看板が掲げられていたこの建物の排水が、もしかしたら北側の水路の最上端だったのかもしれない。

和泉商店街を越えると、水路敷にそって低い家屋が立ち並ぶ一角となる。ここだけが時代から取り残されたかのような風景を醸し出している。
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路地に入るとポンプ式の井戸もいくつか見られる。
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先ほどの水路は道路の北側に並ぶ家々の裏手をぬって、開渠となって流れている。
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環七通りの泉南交差点の西側で、水路は終っている。交差点を越えたところで、神田川笹塚支流(和泉川)の本流に合流していたと思われる。
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神田川笹塚支流(和泉川)の水系地図(googlemap)
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by tokyoriver | 2009-10-20 22:47 | 神田川とその支流 | Comments(0)
京王線代田橋駅付近。
渋谷区、世田谷区、杉並区の3区が境界を接しており、すぐ近くには中野区も迫る。
西から流れてきた玉川上水は、この地で通称「萩窪」と呼ばれる北に開けた浅い谷戸(窪地)を避けるように南に迂回している(この近辺は現在暗渠となっている)。

玉川上水が環七通りを越えてすぐ、北にまっすぐに伸びる細い路地がある。ここが「荻窪」の再上端だ。
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路地の途中から、コンクリート蓋の暗渠が始まる。かつてこの窪地に発していた小川の痕跡。それは「神田川笹塚支流(和泉川)」のいくつかある源流のひとつだ。

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道路を跨ぐ部分にも、橋の痕跡やら何やら。
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京王線の線路を北に越えると、流路は渋谷区と世田谷区の境界線になる。コンクリート蓋の暗渠が続いている。
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流路はいったん甲州街道に遮られるが、越えると再びコンクリート蓋暗渠が住宅地の中へ伸びている。甲州街道より北の流路は、杉並区と渋谷区の境界線になっている。つまりちょうど川が甲州街道を横切っていた地点が3区の境界となるわけだ。3区の境界地点は、かつてはちょうど南豊島郡、東多摩郡、荏原郡の3つの境界だった。そんなわけで、ここにかかっていた橋は三郡(みこおり)橋と呼ばれていた。流れはこの先水道道路(かつての玉川上水新水路)の下を潜り、神田川笹塚支流(和泉川)の本流に合流していた。
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そして、かつては甲州街道沿いに東から流れてきた玉川上水幡ヶ谷分水(逆さ川)がここで合流していた。幡ヶ谷分水の取水点は笹塚駅南方、ちょうど玉川上水が開渠となっているところにあり、今も遺構が残っている。写真の玉石を埋め込んだ壁の右側、縦長のコンクリートのところがそうだ。北沢村分水や牟礼村分水の取水口と同じような構造をしている。
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この地点で取水された分水は、まっすぐ北上したのち、甲州街道に沿って荻窪の底まで下っていっていた。分水は玉川上水とは逆方向に流れていたことから「逆さ川」とも呼ばれていた。
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分水の水量をめぐっては、水量を増やしたい幡ヶ谷村民と制限したい当局との間で熾烈な争いが繰り広げられたという。明治中期、幡ヶ谷村民は玉川上水新水路の建設で移転が必要になった、とある弁天社を、幡ヶ谷分水取水口のすぐそばに移設した。その際、弁天様にはつきものということで、境内に池が掘られた。すると「偶然にも」池から水が湧き出した。これ幸いと、その水は幡ヶ谷分水に加えられた。実はこれ、夜影に乗じてこっそり、玉川上水から池をつなぐ穴を掘って、湧水に見せかけていたのだった。
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最近ではあちこちのサイトに記され有名(?)になったこの盗水のエピソード、出典は「幡ヶ谷郷土誌」の記載に拠るものだ。

分水昭和初期には廃止されたという。現在は逆川の痕跡はまったくなく、舞台となった弁天社はその後更に引っ越して、現在では幡ヶ谷地区の鎮守である渋谷区本町の氷川神社の境内にひっそりと祀られている。

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神田川笹塚支流(和泉川)の水系地図(googlemap)

※神田川笹塚支流(和泉川)のシリーズをはじめるにあたって、水系が多岐にわたるため、一応最初に水系地図へのリンクを入れておきます。ただし、ある意味ネタばれ注意、です。
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by tokyoriver | 2009-10-16 23:55 | 神田川とその支流 | Comments(7)

空川(5)

空川の暗渠は、分流をあわせた後すぐ先で、淡島通りにかかる新遠江橋をくぐる。
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遠江橋を越えると、再び本流の東側に小さな暗渠が現れる。
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この暗渠は途中で山手通りに阻まれて消滅してしまうが、かつてこの辺りには精米所があり、そこの動力源の水車を回すために分水していたようだ。
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本流の方は、谷の一番低いところを道路となって南下して、山手通りと玉川通りの交差点に達している。
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これより下流の痕跡は山手通りなど道路の整備で跡形もない。かつては何本かに分かれて周囲の水田を潤した後、目黒川に合流していたようだ。
写真はかつての合流地点付近の目黒川。
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by tokyoriver | 2009-10-14 07:38 | 目黒川とその支流 | Comments(0)
空川は駒場東大前駅西口で、ケルネル田圃からの流れと東大駒場キャンパスからの流れをあわせ、東へ流れていた。以前は駅前のマクドナルドと花屋に挟まれたところに隙間があって暗渠があったが、現在暗渠がはっきりとわかるのはその先の一角からだ。
暗渠は谷戸の南縁、東京工業高校敷地北側の崖に沿って進んでいる。暗渠の上はしばらくの区間は立ち入り禁止となっていて、横切る道路から眺めるしかない。
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途中、通行できる区間の風景。
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一方、駒場東大前駅東口を経て東大に抜ける道を越えたところで、谷戸南縁の崖線沿いの暗渠のほかに、谷底中央を並行して東進する暗渠が現れる。恐らく二つの水路にはさまれた低地は、かつて水田だったのだろう。
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こちらはしばらく進むと車道となり、一二郎池からの流れと合流して谷の東側の崖下を進んでいく。大部分はすでに民間に払い下げられて建物が建っているが、暗渠の名残と思われる物件も見られる。
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こちらの水路には、すぐそばの丘の上を流れていた三田用水からの分水(駒場口分水か)も引き込まれていたようだ。山手通りと淡島通りの交差点の北西側から、その水路跡ではないかと思われる下り坂の道がある。道の中央には排水溝が通っている。(写真は下りきった地点から)
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by tokyoriver | 2009-10-08 23:55 | 目黒川とその支流 | Comments(5)

駒沢給水所

レトロな双子の給水塔で知られる、駒沢給水所。普段は無人施設で、たとえ取材でも入ることはできないそうだが、年に1回開かれる見学会のときだけは構内に入り、給水塔のそばまで近寄ることができる。といったわけで、その見学会に参加してきた。

駒沢給水所は、蛇崩川とその支流にはさまれた標高46mの高台に位置する。渋谷町(現渋谷区)への給水用として、1923年に完成し、完成直後の関東大震災も、その後の空襲も潜り抜けた。現在は震災時用の応急施設として、水を溜めている。

給水塔の高さは30mほど。
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二つの塔の間を鉄橋が結んでいる。
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何のためかと思ったら、点検の際に、一つの塔に登って、降りて、また2つ目の塔に登って、という手間を省くためだそうだ。
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上部の王冠状の装飾と小さなドームが美しい。
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蔦が這い上がって来ている
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構内はもともともう一つ給水塔が建つ予定だったこともあってか、広々としている。木々や草の緑は色濃く、朽ち果てた洋風の小屋があったり、倒れた石造物があったり、石塔や池があったりと、管理者が消え、風化しつつある庭園のような雰囲気もある。「天空の城ラピュタ」のイメージとも重なり合うところがある。

洋風の円形池。ライオンの口から水が流れている。池の中の円形の構造物は、かつてはペンギンの口から水が出ていたのが、いつの間にか亀になってしまったそうだ。
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和風の心字池。中を覗きこむと、アメンボやメダカ、小魚が沢山泳いでいる。先ほどの円形池とこちらの池はいずれも給水塔の水と同じ水が使われており、池の中の小生物は、いわば「鉱山のカナリヤ」的な役目を果たしていたという。
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平日ながら老若男女問わず大勢の見学客が来ており、人気の程を伺わせた。そして水道施設ながら何故か暗渠好きの方々も・・・





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by tokyoriver | 2009-10-05 00:34 | その他のエリア | Comments(8)

空川(3)ケルネル田圃

空川の3つの水源について、東大駒場キャンパス西の湧水、東大駒場キャンパス東の一二郎池ととりあげてきたが(タグの「空川」をクリックすると一覧が表示されます)、最後のひとつが駒場野公園内にある「ケルネル田圃」とその用水池となる。


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ケルネル田圃は近代農業発祥の地として有名だ。そして現在でも現役の水田である。谷戸地形の谷底に細長く水田が延びている。谷頭には水田を潤す用水池が作られており、水門から流れ出した水は橋を潜って水田に注ぐ。


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用水池は鬱蒼とした木々に囲まれていて、昼間でも薄暗い。本来の谷頭は用水地より更に北、井の頭線をこえて東大先端技術研究所の敷地内まで伸びていたようだ。用水池の水はもともとは湧水や雨水によるものだが、現在では公園の敷地内にある屋内プールで使った水の再生水を主に取り入れているという。


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水田のあぜ道に沿って、細い水路を水が流れる。渋谷から2駅とは思えない風景が広がる。かつては都内各地の中小河川の谷頭はこのような風景だったのだろう。


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水田を潤した水は、東端の雑草の生い茂る一角で暗渠に吸い込まれる。


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暗渠は線路沿いを自転車置き場となって進む。そして、駒場東大前駅西口の改札前で駒場キャンパスの湧水からの流れと合流する。


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by tokyoriver | 2009-10-01 00:18 | 目黒川とその支流 | Comments(3)