東京都内の中小河川や用水路、それらの暗渠、ひっそりと残る湧水や池をつれづれと辿り、東京の原風景の痕跡に想いをよせる。1997年開設の「東京の水」、2005年開設の「東京の水2005Revisited」に続く3度目の正直?


by tokyoriver

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8月も終わりだというのに、暑すぎるこの夏・・・ということで、8月最後の記事は、涼しげなところを。先日namaさん@暗渠さんぽも記事にされていた、谷保天満宮周辺の湧水と小川だ。

以前、文京区本郷菊坂の暗渠や、かつてあった汲み上げ式の井戸を紹介したが、谷保界隈もそれらと同じく21年前、高校3年生の夏に、8mm映画の撮影で訪れた場所。その時以来の訪問だった。

JR南武線の谷保駅から少し南に進むと、甲州街道沿いに谷保天満宮がある。10世紀初頭に創建されたという、東日本最古の天満宮だ。このあたりは立川崖線と、ひとつ南側の青柳崖線がひとつにまとまる地点で、本殿は崖線の下にある。ちなみに駅名は「やほ」だが、こちらは「やぼ」。尾久の「おく」(駅名)と「おぐ」(地名)と同様、駅名の方が間違いである。
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崖線の下という立地なのでかつては境内のいたるところに湧水があったという。いまでもいくつか湧水は残り、そのひとつ「常磐の清水」は東京都の名湧水57選に選ばれている。境内に入る前に、甲州街道を少し西に進んでみよう。数分ほど、やや下り坂となっている甲州街道を歩くと、道の北側に窪地がある。
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赤い縞々の坂道が印象的なこの窪地に降りてみると、民家の裏手、崖下の緑の下から水が流れ出していた。
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離れていると草が生い茂りよく見えないが、近づいてみると御覧の通り、清冽な水が勢いよく流れている。
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すぐそばに、国立市のたてた説明板があり、それによるとここは「清水の茶屋跡」。この辺りは谷保随一の湧水地で「清水の茶屋」という立場茶屋(街道筋の休憩施設にある茶屋。今で言えばパーキングエリアみたいなものか)が明治末期まであって、夏になると、湧水で冷やしたそばやそうめんを、甲州街道を旅する人々に供したそうだ。
湧水の流れは甲州街道の下を潜り、南に抜けている。同じ窪地の少し西側にも、一部が鉄板暗渠となってはいるが、湧水が水源と思われるかなりの水量の流れがあり、こちらも同じく甲州街道を潜っている。

南側に出た流れを追うと、水源から流れ出てすぐなのに、もうこんなに幅広の川となっていた。
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この川から東にすぐ行った場所に、先の谷保天満宮があって、その一角には有名な「常磐の清水」がある。清水の湧水などを水源とした弁天池があり、中島には弁財天が祀られている。
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池の水は澄み切っていて、池に泳ぐ鯉は空中に浮かんでいるかのようだ。
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「常磐の清水」はこの池の裏手にある。そばにある説明板によれば、「17世紀後半に天満宮を詣でた僧侶の読んだ句「とことはに湧ける泉のいやさやに 神の宮居の瑞垣となせり」からその名がついたそうだ。「東京の名湧水57選」にも選ばれているが、正確には自然に出来た湧水ではなく、自噴の浅井戸らしい。確かに、沖縄にみられる「降り井戸(ウリカー)」のような造りをしている。枯渇したことがないというが、21年前に訪れたときには、確か枯渇寸前までいっていたような記憶がある(80年代後半、都内各地の湧水が枯渇の危機に瀕していた)。今回は浅いものの澄んだ水をたたえていた。
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池から流れ出た湧水は、天満宮境内の他の湧水からの水もあわせて、天満宮の南側の道沿いに流れて行く。道沿いの赤いポストが鮮やかだ。ポストの脇は21年前は飲み物や菓子などを扱う商店だったような気がするが、今では営業していないようだ。
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ここの流れは、水面と道路の高さにほとんど差がないうえ、縁石も何もないのが特徴的だ。水がとても身近に感じられる。21年前の夏は子供たちが水遊びをしていたが、今でもそのような光景は見られるのだろうか。
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しばらく下って行くと、水路はやや深くなってくる。民家の前に洗い場があった。
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近くにあった別の洗い場は、花に囲まれていた。ここで水路は道路沿いから離れて行く。
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そして、清水の茶屋からの川に合流する。
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更にその川は、天神橋の脇で、矢川の記事の最後にとりあげた府中用水の谷保支流に合流している。水門付きの合流点のほか、なぜか導水管で橋の下流側(写真右側)にも分かれて合流しているようだ。
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府中用水の左岸にその導水管が見える。用水路に加わった水は、この先、東へと流れて行く。
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ここから東へすすむと、立川崖線沿いに、谷保天満宮の別の湧水から流れる「下の川」を経て「西府の湧水」へ、逆に西へと辿って行くと、今でもわずかに残る「谷保田圃」とそれらを潤し縦横に分岐する府中用水、そして城山下の湧水からママ下湧水へと、水を巡る散歩を楽しめる。いずれそれらについてもとりあげてみたい。
なお、この春にくにたち郷土文化館から発行された「《ハケと湧水がつくる》里山だいすきガイドマップ 立川〜国立〜府中」がとてもよく出来ており、この地域の水巡りにはオススメだ。



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by tokyoriver | 2010-08-29 00:36 | 多摩川の支流 | Comments(9)
だいぶ間があいてしまったが、「立会川上蛇窪谷戸支流」(仮称)の2回目は、上流部の暗渠(川跡)。まずは流域の全体像をみてみよう。5mメッシュ地図をgoogleearth「東京地形地図」経由の段彩図で。
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水色のラインが品川用水。東急大井町線の戸越公園駅北側で東側と南側に分流している。尾根筋を選んで通されているのがわかるだろう。東側の流れの北側、図の右上にある青いラインが以前取り上げた「古戸越川」だ。
一方、画面下方を左から右へと流れている青いラインが立会川。浅いが幅の広い谷を流れている。品川用水の南下する流れは、かつて立会川の谷を越えるため、築堤を流れた後、立会川を石造りの橋で越えて、川の南側の台地上を東へと流れていた。

そして、先の品川用水の分岐点の南側から、東~南東へと浅い谷筋を下って西大井駅付近で立会川に合流しているのが、「立会川上蛇窪谷戸支流」だ。支流と記したが、図をみるとおわかりの通り、源流部は品川用水に繋がっている。明治時代の2万分の1地形図にもこの流路が描かれている。もともと自然に川が流れていたところに、品川用水から助水をひいたのだろう。流域は「谷戸耕地」と呼ばれていたそうで、川沿いの浅い谷筋に沿って水田が細長くのびていたようだ。

ほぼ同じ範囲の地図。

なお、今回の流れを含め、品川用水の目黒区~品川区エリア、立会川、古戸越川についてgoogle mapにプロットしてみた。こちらを。

古戸越川/立会川/品川用水(目黒区以南)

では流路跡をたどっていこう。大井町線戸越公園駅の南側、花屋の脇にいかにも暗渠な細い路地があり、南東へとわずかに下っている。ここで上流部を振り返っても痕跡はないのだが、戸越公園駅の北側に線路を越えると、車止めのある流路跡が品川用水跡の道路まで続いている。そちらは道幅も広くあまり暗渠然とはしていないが、下水道台帳を見るとしっかり「水路敷」と表示されている。
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道端のコンクリートには苔が生え、湿度の高さをうかがわせる。
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細い路地は、蛇行しながら南東へと下っていく。民家のトタン塀がよい雰囲気を出している。
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品川区戸越から豊町に入るあたりから、車1台程度は通れるほどの幅となる。が、あまりメンテナンスはされていなさそうで、アスファルトはでこぼこし、路面の表示もかすれ気味だ。
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途中、北東側から合流してきていたコンクリート蓋の暗渠。暗渠というよりはまあ排水溝なのだが、少し離れた別の場所でも同様の暗渠を見かけた。品川区独特のものなのだろうか。民家の隙間に取り残され生き残っている、猫でもない限り通り抜けられない細長い空間。
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戸越公園駅から300mちょっとで、川跡は蛇行した細い暗渠から、普通の幅の道路となる。道沿いにあった「日本海洋生物研究所」の外壁。パイプが機能的?にめぐらされていて印象的だった。
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この先下っていくと、道はそのまま前回紹介した「のんき通り」になる。終戦直後の空中写真を見ると、道路の右側(西側)に沿って水路が流れていたようだ。そのためか、交通量が少ないにしては道幅が中途半端に広い。
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「立会川上蛇窪谷戸支流」(仮称)は、おそらく特に名前もないような川だったのだろうが、上流部の路地、下流部の蓋暗渠と、なかなかにポイントを押さえた暗渠だった。
なお、これより西側、池上線荏原中延駅西側から大井町線中延駅西側にかけても、かつて同じように南下する立会川の支流が流れていた。こちらも上流部にわずかながら暗渠っぽい路地などが残っている(googlemapのプロット参照)
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by tokyoriver | 2010-08-23 20:00 | 立会川とその支流 | Comments(4)

「蛇行する暗渠」

「みちくさ学会」「蛇行する暗渠」という記事を書きました。どちらかというと「初心者向け」的な記事ですが、よろしければご覧下さい。ご意見・ご感想がございましたら、こちらへのコメントで結構ですので、よろしくお願いします。

http://michikusa-ac.jp/archives/541138.html

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by tokyoriver | 2010-08-19 22:30 | お知らせ | Comments(8)
日中の暑さがやや和らいだ、とある夜、横須賀線西大井駅に降り立った。駅前には「立会川」が暗渠化された「立会道路」が東西に走っている。戦後暗渠化された川にしては珍しく、緑道ではなく道路として整備されていて、知らなければ全くこの道が川だったとはわからない状態だが、横須賀線(+東海道新幹線)の跨線橋には「立会川ガード」の名前が残っていた。
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その「立会川ガード」から2つ北寄りのガードの西側に、淋しげな街灯の照らす怪しい路地が家々の隙間へとのびていた(写真右下、赤いコーンの左側のところ)。
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近寄ってみると、この界隈ではもはや残っていないと思っていたコンクリート蓋の暗渠だった。空気抜きの穴があるところなど、古戸越川に残っていたコンクリート蓋暗渠と何となく似た雰囲気がある。
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住宅地の裏側に続いている暗渠を、上流方向(北)に遡ってみた。蓋は古そうで、歩くとガタガタ音がする。幅は狭いが、その曲がり具合には暗渠らしさがにじみ出ている。
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進んで行くと、何と小さな橋まで残っていた。道路の幅は車1台分くらいあるのに、橋は自転車がやっと通れるほどだ。渡ってすぐのところには車止めもある。しばらく見ていると、犬の散歩の人などが橋を渡っていく。どれだけの人がこれを橋として意識しているだろうか。
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橋の先も、さらにコンクリート蓋が続いている。街灯があるので、一応通路として扱われているのだろうか。
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100メートルちょっとを過ぎたくらいの場所で、車道に突き当たって蓋暗渠は姿を消す。これより上流側は会社の敷地となっていた。かつてはその中をもう少し北まで続いていたような雰囲気だ。
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会社の敷地が尽きた少し先には、銭湯があった。暗渠のサインポストだ。というよりも実は、この銭湯の前の道にかつて小さな川が流れていた。この川は東急大井町線戸越公園駅近辺を水源として浅い谷を南下し、西大井駅付近で立会川に合流していた。流域の旧町名「上蛇窪」と水源近辺の字名「谷戸」から、ここでは便宜上「立会川上蛇窪谷戸支流」と呼ばせてもらおう。
今回西大井に立ち寄ったのは、以前上流部を辿ったことのあったこの「立会川上蛇窪谷戸支流」の下流部を見てみようという目的だったのだが、そこで思わぬ収穫となったのが、先の蓋暗渠だったというわけだ。おそらく銭湯の前あたりで分岐し、西大井駅のそばで再び合流していた傍流だと思われる。
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再び最初のコンクリート蓋暗渠発見地点へ戻ってみる。蓋暗渠の南側には、横須賀線/新幹線の土手に沿って、壊れかけた軽トラックやらバイクやらが無造作に置かれた、怪しい空間があった。ここがおそらく蓋暗渠区間の下流部だったのではないか。
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この空間の先を確認しに、一つ南側のガード脇に行ってみる。「のんき通り」とあるのが銭湯から続いている「立会川上蛇窪谷戸支流」の川跡。正面に、怪しい空間の末端が見える。ここで傍流が再度合流していたのだろうか。
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ちなみに、「立会川ガード」の西側にも、立会川に合流していた別の暗渠が残っていた。こちらはアスファルトで舗装されている。あとで下水道台帳を見ると、今でも一部の区間は水路敷扱いとなっていた。
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この暗渠は、大部分は直線だが、遡って行くともう川跡としかいいようのない路地となる。こちらは住宅地の中を150メートルほど北上して、忽然と消える。これも「立会川上蛇窪谷戸支流」の傍流だったのだろうか。
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by tokyoriver | 2010-08-11 23:38 | 立会川とその支流 | Comments(6)
梅雨明け後の東京は蒸し暑い日が続いていて、森の中のせせらぎや湧水ならともかく、暗渠巡りなどとてもする気力がおきない毎日ですが、みなさまはいかがでしょうか。
今回は、東京の水2005Revisitedで取り上げ、暗渠本「東京ぶらり暗渠探検」でも記事にした「古川白金三光町支流(仮称)」について再度取り上げてみます。昨年末から今年はじめにかけ、ムックの記事のために渋谷川水系を再訪したのですが、ムック掲載用の他にもブログ記事用に多めに写真を撮っていました。ところがその後、2度に渡るパソコンのハードディスククラッシュによりこの時に撮った写真のほとんど全てがふっとんでしまいました(涙)。が、ムック掲載用候補として送付していた写真については編集Tさんの手元に残っていたことがわかり、幸いにも復旧ができました(Tさん、ありがとうございました)。
そんなわけで「古川白金三光町支流(仮称)」、復旧できた写真の性格上、かなりのものは暗渠本と重なりますが、ムックではモノクロだったところをカラー写真で、ということでご容赦下さい。また本文については「東京の水2005Revisited」の記事をベースにしています。

なお、暗渠本を手にこの白金三光町支流を辿られたという「非天然色東京画」さんのブログで、この暗渠の素敵な写真が先日公開されていたので、リンクしておきます。

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港区白金台4丁目、三田用水白金分水よりも1つ東側の谷から、かつて小さな川が流れ出し、1kmほど北に下って、白金5丁目で、渋谷川下流である古川に注いでいた。この川の水源は東京大学医科学研究所(元・伝染病研究所)と、国立公衆衛生院跡地の間にある窪地にかつてあった池だ。
この川の名前は資料などを見る限りわからなかったのだが、川の流域は旧町名で「白金三光町」にあたる。そして、戦前に刊行された「芝区誌」の白金三光町の項に「この町の中央を東西に二分する渓谷が聖心女学院、伝染病研究所の構内に奥深く食い込んでいる。」と記されていることから、ここでは古川(渋谷川)白金三光町支流と呼ぶことにしよう。

なお、医科学研究所の池跡よりやや西、白金台4ー11付近の窪地には明治中ごろまで旧白金台町3丁目から11丁目(現目黒通り沿い)の下水を集め地面に浸透させていた「悪水溜」と呼ばれる池があったが、明治後期には埋め立てられ住宅地となっている。

下の段彩図で、中央の青いラインが白金三光町支流。右側は玉名川、左側は三田用水白金分水。台地を刻む谷がよくわかるかと思う。悪水溜のあった場所も、いまでも窪地となっていることもわかる。(段彩図はgoogle earth「東京地形地図」からキャプチャ)。
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医科学研究所は、1892年(明治25年)北里柴三郎が設立した「大日本私立衛生会附属伝染病研究所」が前身で、のち内務省所管となり1906年(明治39年)現在の場所に移転してきた。1916年(大正5年)には東京帝国大学付属になり、1967年には伝染病研究所から医科学研究所に改組された。戦前に東大安田講堂などと同じ内田祥三の設計で造られたゴシック風の重厚な建物が今でも現役で残っている(1号館)。医科学研究所には隣接して旧国立公衆衛生院があるのだが、こちらもほぼ同デザインの建物となっている(1940年竣工)。取り壊しの予定だったが、保存運動などの結果、所有が国から港区へと移ることとなり、改修工事を経て2011年度中には地域施設として再オープンするとのことだ。
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国立公衆衛生院の建物は高層建築となっているのが特徴的で、一部は8階建てとなっている。裏手の住宅地からみると、かなりの威圧感をもち聳え立って見える。
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医科学研究所と旧国立公衆衛生院に挟まれ、木々の生い茂る窪地となっているところに、かつて川の水源の池があった。ここから北へと伸びる谷の谷頭にあたっており、もともとは湧水のたまる池だったのだろう。大岡昇平の「幼年」には、伝染病研究所に入院したときの池周辺の様子が描かれている。

「門を入るとすぐ右側が漏斗形に落ち込んだ地形で、付属病院はその向い側右手の傾斜に臨んで建っていた。対面は聖心女学院であるが、斜面の下の方に池があり、実験用動物小屋があって、夜が更けるとそれら動物たちの何ともいえない悲しげな鳴き声が聞こえた。」

1918年(大正7)、アメリカから持ち帰られた食用ウシガエルのオス12匹、メス5匹が伝染病研究所の池に放たれ、そこで産まれた卵から日本中にウシガエルが広まった。この「伝染病研究所」の池がおそらくこの池だと思われる。ウシガエルは一時期日本各地で養殖され、輸出までされていた。また、1927年にはアメリカザリガニが渡来したが、これはウシガエルの餌にするためだったという。今は亡き小さな川の源の池に、現在も日本各地にいる「ウシガエル」と「アメリカザリガニ」が関係していたということになる(アメリカザリガニの方は大船で繁殖された)。
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池は1960年代半ばまでは存在していたようだ。窪地の北側には、谷筋が続いている。谷の斜面には稲荷の祠があり、鳥居が並んでいる。
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白金4丁目と白金台4丁目の境目となっている古くからある道から川の流れていた谷を望むと、見事なV字谷となっている。谷底左側が医科学研究所敷地、右側は聖心女子学院の敷地だ。谷の東側の台地上には高級そうな住宅やマンション、大使館などが建ち並んでいる。
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谷は聖心女子学院の敷地を南北に横切っている。学院は1915年(大正4)、現在の聖心女子大学の前身、聖心女子専門学校としてこの地に開校した。正門を入ってすぐ右手が谷底となっており、戦前まで池だったというが、現在はテニスコートになっている。知人の祖母が聖心出身ということで昔の様子を聞いてもらったところ、「あの辺は昔は湿地で、葦だかヨシだかが生えた沼があって、はまったら危険だから、生徒はあのエリアに近寄っちゃいけないと言われていた」とのことで、雨が降るとすぐ水浸しになっていたそうだ。
地形図を見ると1916年(大正5年)の1万分の1地形図で、この場所に池が描かれていて、終戦直後に刊行された3千分の1地形図でも湿地として描かれており、証言を裏付けている。

テニスコートの北東側にあたる住宅地の中を彷徨って行くと、谷底に降りる西向きの階段が現れる。
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階段を下りきると、谷底には未舗装の暗渠が南北にのびていた。傍らには下水道局管理敷地と書かれた看板がたっている。以前は工事中でショベルカーが立ちふさがり、ここより上流方向には入れなかったのだが、今回は大丈夫そうだったので、南の上流方向に進んで行ってみた。
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谷底は明治後期まで浅い池だったようで、昭和22年補修の3千分の1地形図では湿地として描かれ、東縁の現在の暗渠の場所に沿って川の流れが描かれている。遡って行くと、先のテニスコートの直下で行き止まりとなっていた。左側の斜面の上は東大の白金寮だ。
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引き返し、北へと戻って行く。周囲から隔絶された秘境の趣がある。
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細く深かった谷はやがて、朝日中学校の校庭のわきで、古川沿いの低地に口を開ける。校庭の東側を、曲がりくねりながら暗渠が通っている。朝日中学校の敷地はもともとは、日本初の生命保険会社である明治生命の創始者、阿部泰蔵の屋敷地だった。学校のホームページによると、谷沿いの校庭は屋敷の庭となっていて生い茂る庭木の間に石を配した庭園で、その中に川が流れていたとか。この川が今暗渠となっている流れのことなのだろうか。現在、名残のケヤキの大木が校庭の真ん中に生えている。
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上流方向を振り返る。大谷石の擁壁となっている左側の丘の上は最高裁判所三光町宿舎。
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三光通りを越えると、タイル状のブロックで舗装された暗渠が残っていて、植木が並び家々の勝手口が面した、生活感のある路地裏となっている。この区間はかなり早い時期(遅くとも戦前)に暗渠化されたようだが、川跡の雰囲気が色濃い。暗渠につきものの猫もうろうろしていた。
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途中路地が直角に曲がる地点には、錆びかかった立派なマンホールが、存在感を放っていた。
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暗渠は先の路地を抜けると直角に曲がって白金3丁目と5丁目の境の「五の橋通り商店街」道路下となり、まっすぐ進んで五之橋のたもとで古川に合流している。橋の下に口を開けた排水口はかつての合流口だろう。一見普通の土管に見えるが、その縁取りは石の組み合わせでできているようで、古さを感じさせる。この付近の古川の護岸は戦前につくられたものがそのまま残っている。
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五之橋の上流側すぐ隣には「青山橋」が残っている。かつて川沿いの個人住宅用に架けられた橋のひとつだ。今では橋の北側には空間はあるものの入ることはできず、南側にいたっては道路も何もない、トマソン状態。ここの上流部では改修工事が始まっており、もしかするとこの橋の余命も長くないかもしれない。
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白金三光町支流は何かの話題にのぼることもなくほとんど知られていない暗渠だが、実際に辿ってみてその空間に触れてみたり、そこにまつわる歴史を紐解いていくと、なかなかに味わい深い暗渠のように思える。



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by tokyoriver | 2010-08-04 00:05 | 渋谷川とその支流 | Comments(12)