東京都内の中小河川や用水路、それらの暗渠、ひっそりと残る湧水や池をつれづれと辿り、東京の原風景の痕跡に想いをよせる。1997年開設の「東京の水」、2005年開設の「東京の水2005Revisited」に続く3度目の正直?


by tokyoriver

<   2010年 10月 ( 6 )   > この月の画像一覧

落合川を下って行く第3回目は、地蔵橋旧流路の合流地点から、西武池袋線の線路を潜る地点、下の地図でオレンジ色の線で挟まれた区間をとりあげる(地図はgoogle mapのキャプチャから。画面のはめ込みができないので、実際のプロット図はこちらのリンク先を)。
c0163001_2305717.jpg

前回の最後の写真に映っている神明橋下流側の地点で、右岸(南)側から合流する流れがみられる。綺麗な水が落合川へと注ぎ込んでいる。
c0163001_18343123.jpg

流れ出して来る方向を見ると公園となっていて、その下を暗渠で流れてるようだ。公園を抜けると、ちょっとし窪地となったところに、ちいさな澄んだ池があった。ひょうたん池と呼ばれる池の端からは、それなりの量の水が流れ出していて、湧水地点は見えないが、どこかで湧き出しているようだ。
c0163001_18344745.jpg

池から更に南側の崖下に行ってみると、もうひとつ更に小さな池があった。こちらも澄んだ水をたたえる湧水池で、水が排水口へと流れ込んでいる。弧の水がひょうたん池に注いでいるのだろう。
c0163001_18352534.jpg

池からの水が合流する地点のすぐ下流では、再び左岸(北)側に水路が分かれている。こちらも改修前の旧水路だ。川の水は手前でほぼ同じくらいの量で旧水路と新水路の二手に別れている。
c0163001_1835368.jpg

川は水の中も外も緑で溢れている。この環境を保全するために、新水路が完成したのちも、こちらの水路はそのまま残されている。
c0163001_18355136.jpg

一応河川敷の外側に護岸がつくられているのだが、河川敷の中は緑に埋もれ、その中を流れる流路は自然なフォルムを見せている。
c0163001_1836944.jpg

数百メートルほどで、旧水路は再び新水路に合流する。このあたりでも、かんたんに水面に近づけるようになっている。
c0163001_18361623.jpg

水の中、河川敷、奥に見える氷川神社の森と、様々な緑がうねるように目に飛び込んで来る様はゴッホの絵のタッチのようだ。
c0163001_18362144.jpg

水の中には水草が流れに身を任せている。河川敷には都心ではあまりみかけないようなトンボが飛び交っていて、オニヤンマが空を横切り、蝶のように羽根を羽ばたかせるトンボが、水面から突き出た水草に羽根を休めていた。調べたところでは「クロハトンボ」のようだ。この写真ではわかりにくいが、胴体は青っぽい色をしていた。
c0163001_1836413.jpg

氷川神社の森の北側は、自然のままの河畔林が残っていて、水面にせり出している。全く手つかずの河岸が残っているのはここだけだという。
c0163001_1837161.jpg

その少し下流側、毘沙門橋の手前では、「南沢湧水群」を水源とする流れが合流している。東京都の名水57選に選ばれ、落合川を含めて「環境省の平成の名水百選」にも入っているこの湧水群については次回紹介したい。
c0163001_1837699.jpg

落合川は南沢湧水群からの水の合流で更に水量を増し、中流域といった雰囲気となる。毘沙門橋の下流側に設けられた堰のところには渕となっており、川岸から降りられるようになっていて、昨年初夏に訪れた時には、小学生たちが水着で川に入っていた。都心の川では絶対に見られない風景だ。
c0163001_18371249.jpg

目に優しい緑のなかを緩やかにカーブしていく。こちらも昨年初夏の風景。
c0163001_18372893.jpg

蛇行の跡を緑地にした「いこいの水辺」のあたりには、写真のような看板が出ていた。「川に入るな」ではなく、入る際に気をつけることが書いてあるのがよい。
c0163001_18373333.jpg

落合川や黒目川にはあちこちにカモの姿が見られた。特に初夏はカルガモが多く、このようにヒナの姿も見られた。
c0163001_18374553.jpg

西武池袋線の線路を越える手前では再び堰が。堰の右側からは蛇行跡の暗渠の土管から水が流れ出している。どこかで湧き出しているのだろうか。
c0163001_1839476.jpg

堰の下の渕は魚がかなりいるようで、釣り人の姿や、魚を狙うシロサギの姿も見られる。
c0163001_18392091.jpg

落合川は堰の先で、竹林公園の湧水(こちらも「東京の名湧水57選」に選ばれている)を水源とするこぶし沢の流れを合流し(こちらは次々回に紹介する)、西武池袋線の線路を潜って更に北東へと流れて行く。水流にゆらめく水草の緑が美しい。ここまでで源流地点から約2.5km、標高にして15mほど下って来た。次回は少し上流に戻って、南沢の湧水群を見てみよう。(つづく)
c0163001_18393672.jpg




[PR]
by tokyoriver | 2010-10-30 23:28 | 黒目川・落合川とその支流 | Comments(0)
暗渠ムック「東京ぶらり暗渠探検」でご一緒した、三土たつおさんのニフティ・デイリーポータルZの記事「「東京水」をさがして」に、写真を提供させていただきました。水窪川暗渠沿いの、鳩山会館南側にあった塩化ビニール管で導水されていた湧水と、そこから南へ下った今宮神社の近くの崖下に湧く、湧水の2カ所です。
誰に守られることもなくひっそりと湧く水を訪ねるという記事のコンセプトといい、湧水のセレクトといい、ほのかにアツい文章といい、さすがの記事でした。

_______________
青いバケツの写真の湧水の、1997年の姿。周囲が緑色なのは藻が生えているためで、水は澄んでいる
c0163001_18595782.jpg


[PR]
by tokyoriver | 2010-10-28 21:45 | お知らせ | Comments(0)
前回に引き続き、落合川を上流部から下って行く。
このエリアにあまり馴染みのない方も多いと思われるので、流域の全体図をgoogle mapのキャプチャから(画面のはめ込みができないので、実際のプロット図はこちらのリンク先を)。画面の下方を横切る濃い青で描いたラインが落合川だ。地図左下が源流で、右上で落合川に合流している。ところどころはみ出ているのが改修前の旧流路で、そのいくつかは今回とりあげる。支流には立野川、南沢湧水群からの流れ、こぶし沢の流れ、そして全区間暗渠化されているが、東久留米駅の北側に発する弁天川がある。図左下がかつて接続されていた玉川上水大沼田分水の末流で、現在は小平排水溝として、黒目川の支流である揚柳川(全区間暗渠)に接続されている。
c0163001_23404727.jpg


では、さっそく前回の続きから。下の写真は上流端の標識から少し進んだ地点で、右上に上流端の橋が見える。わずかな区間でしっかりと川らしくなっていることがわかる。
c0163001_22534511.jpg

川はあちこちから湧き出る水を集め、どんどん水量を増して行く。下の写真では左下の湿地のようなところから湧水が流れ出し、右岸の石垣の隙間からは水が音をたてて湧き出していた。
c0163001_22535017.jpg

少し下ると、流路は整備された本流の河川敷からいったん外に出て、整備前の旧流路を流れる。この区間は1992年に流路が整備された際に、絶滅危惧種であるホトケドジョウが生息しており湧水地点も多い区間であることから、残されたという。川は洪水などのときだけ、河川敷内を流れるようになっている。先の写真から数十メートルしか進んでいないが流量が格段に増していて、流れも早い。
c0163001_22535467.jpg

その本流の方の河川敷には地面にこんな穴があき、中を湧水が勢いよく流れている箇所があった。
c0163001_2254829.jpg

流れ出た先は、本流の河川敷の真ん中に設けられた池。昨年の初夏に訪れた際は、下の写真左側のように涸れていたのだが、今回は右側写真の石の下から音をたてて流れ出し、いったん池に溜まった後、下流へと流れ出している。
c0163001_22541379.jpg

旧流路が本流の池からの流れと合流した後の、落合川の姿。上流端からわずか200メートル余りで、もうこの姿だ。不必要ともいえるほどの過剰な改修工事によって、最上流部の湧水量は激減したというが、それでも季節によってはこの水量があるというのは、水源が涸れて汲み上げに頼っているような都区内の川から考えると驚異的だ。護岸の下でもあちこちから水が湧き出しているのが見える。
c0163001_22541932.jpg

この先も、再び本流から旧水路が分かれている。下の写真の左側は昨年初夏の状況。まだ本流は完成しておらず、コンクリートの梁を渡した典型的な水路だったのが、今回は石を積み整備された水路に変わっている。湧水の存在などで流路を残したのだろうか。護岸は無骨だが水路自体は自然に近い状態だった以前の水路のほうが、水中の環境はよさそうに思えるのだが・・・
c0163001_22583173.jpg

この旧水路に架かっていた弁天橋。素朴な意匠の欄干が印象的だったが、今回は跡形もなく消え去っていた。奥に、改修後の新水路にかけ直された弁天橋が見える。
c0163001_237049.jpg

弁天橋の下流側も、コンクリートの垂直な護岸に挟まれてはいるものの、水路自体は草の生い茂る自然な姿だったのだが、こちらは暗渠化されてしまった。わざわざこの区間だけ暗渠にする意味がよくわからない。
c0163001_237793.jpg

弁天橋の下流側。
c0163001_2371780.jpg

右岸(南)側には、弁天フィッシングセンターの池があり、ここの水(井戸水と湧水らしい)も落合川に流れ込んでいる。つい2、3年ほど前まではこの4倍くらいの広さの池だったが、道路の造成でつぶされてしまった。
c0163001_2373022.jpg

しばらく下ったところに架かる地蔵橋から上流を振り返る。写真中央左寄りの護岸の切れているところと、中央右端の川が曲がっているところでかなりの湧水が湧き出しているのが見えた。流路は一見自然に見えるが、実際には改修された流路で、本来は奥の草の生える斜面のところを流れていた。現在見える斜面は、改修工事で出た土で旧流路を埋め立ててつくられたものだ。
2007年に実行されたこの改修工事は大きな問題となった。旧流路は渓谷風の景観と、7カ所ほどの湧水地点からあわせて1日三千から六千トンの湧水量を誇る、落合川上流部の最大の水源地だった。そして、そこには絶滅危惧種であるホトケドジョウが千匹近くも生息していたのだ。ほかにもカワセミが棲息し貴重な水草が繁殖するなど、豊かな自然を残す旧流路の保全を求める住民運動が起こったが、埋め立ては強行され、ドジョウたちは「避難」させられた(しかし、そのほとんどは結局死んでしまったという)。最終的には下流の一部は埋め立てられずに整備されて残されたものの、湧水は減少し、もとの環境も戻っていないという。そして落合川とホトケドジョウを原告とした裁判が起こされている。
反対運動は改修自体を否定するものではなく、旧流路を残してほしいというものだったようだし(現に落合川各所には旧流路が残されている)、1997年の河川法改正で、河川行政が環境を保全する方向へと舵を切った後でのこの工事、なぜ強行されてしまったのだろうか。
c0163001_237378.jpg

「落合川に澄んでいる魚と見られる野鳥たち」の看板。先の経緯を知ってから見ると、複雑な気分だ。
c0163001_2375817.jpg

残された旧流路。流れる水は清冽だが、その姿は渓谷とはほど遠い。
c0163001_238781.jpg

埋め立てられた区間の地下から湧き出た水が暗渠から流れ出ている。かなりの流量だが、これでもかつての水量の半分以下だという。



澄んだ水の中を沢山の魚が群れをなして泳いでいる。新たな自然が根付くことになるのだろうか。
c0163001_2391470.jpg

旧流路は40mほどで、落合川本流に合流している。合流地点にも魚が群れていて、水質のよさを伺わせた。
c0163001_2395353.jpg

合流後の落合川。上流端の標識からは約700m下ってきた。このあたりは水面に近づくことが出来る。
この少し先では右岸側から「ひょうたん池」からの湧水が合流し、その先では再び旧水路が分かれる(こちらは無茶な改修や埋め立てをされることなく、そのまま残されている)が、写真の枚数も多くなったので以下は次回としよう。
c0163001_231038.jpg




[PR]
by tokyoriver | 2010-10-25 23:47 | 黒目川・落合川とその支流 | Comments(12)
落合川は、西武新宿線小平駅の北東2.7km東久留米市八幡町3丁目を源流とし、西武池袋線東久留米駅の東北東1.1km東久留米市神宝町1丁目の、新座市との境界近くで黒目川に合流する、全長全長3.5kmほどの川だ。
黒目川の水系は武蔵野台地の北側にかつて多摩川が刻んだ幅の広い谷を流れていて、湧水が多いことで知られている。中でも落合川は、その流路が、地下水が流れる武蔵野礫層の地下谷のちょうど上にあたるため、あちこちに湧水が見られ、流れる水のほとんど全てが湧水によるものだと思われる(本流の黒目川は、山崎パンやコカコーラの工場からの処理水といった湧水以外の水も多く流入している)。
川は現在では源流から合流地点まで全区間に改修工事の手が入っているものの、その豊かな水量や、育まれている緑や生物は今でも目を和ませる。今年の秋の様子を、昨年の初夏の写真も交えながら、源流地点から、支流を含めて辿り紹介してみようと思う。

西武新宿線花小金井駅と西武池袋線東久留米駅を結ぶバスをちょうど中間のあたりで降り、所沢街道を西へと進んだ後、北側へと下っていくと、落合川の流れる谷筋となる。

坂道を下ったところの白いガードレールが見えるところが最上流部だ。流路は左からガードレールのところで道路を横切り右へと流れている。
c0163001_004851.jpg

坂を降りた左手に「一級河川落合川上流端」の看板が立っている。看板よりもさらに上流に、丸太の土止めが施された細い水路が続いている。
c0163001_005496.jpg

水は枯れ、草が生い茂っている。左側(右岸)に、コンクリートの崖が迫る。
c0163001_005937.jpg

しばらく遡ると土止めの水路は途絶え、そこから先は草の生い茂る窪地となる。
c0163001_011068.jpg

窪地を遡って、行けるところまで行ってみる。
c0163001_011956.jpg

どんづまりの地点には、コンクリートの擁壁。水抜きの穴がぽつんとあった。「上流端」の標識から70m程度西の地点だ。地形図を見ると、ちょうど標高58mの等高線が通っている。水抜きの穴からもし水が出ることがあるとすれば、それは落合川の最初の一滴となるのだろうか。ただ、周囲の草むらの足下は割としっかりとしていて、水が流れたり染み出たりした様子はない。
c0163001_012523.jpg

振り返ると傾斜のついた細い谷が見渡せる。
c0163001_012930.jpg

さて、自然河川としての落合川はここが最上流端なのだが、実はかつては、これより上流側にも水路が続いていた。1972年の住宅地図をみると、その水路は道路沿いを南へと延び、畑の中をクランク状に曲がって所沢街道にぶつかり、街道沿いをしばらく流れた後その上流は暗渠となって消えている。1943年の地形図を見ると、更に上流部が描かれていて、現在の滝山団地を横切り、小平市内を流れる玉川上水大沼田分水へと繋がっている。1972年の地図に描かれている区間は、1976年の住宅地図ではすでに消滅していて、現在の上流端からの水路のみが描かれている。
実際に現地を探索してみると、1972年の地図に描かれている区間は、痕跡が残っていた。下の写真の歩道部分がそのひとつだ。路上に点検口のコンクリート蓋があり、近くにあったマンホールも下水ではなく「雨水」と標記されている。
c0163001_0232740.jpg

玉川上水の分水とはいえ、この水路についてはおそらく、灌漑用に水をひいたというよりは、最後の余水の排水路として使われていたのだろう。現在では、水路は暗渠となっていて、落合川最上流端のすぐそばで西に折れ、落合川の北側を流れる揚柳川の暗渠に接続され、揚柳川とあわせて「小平排水溝」と呼ばれている。

さて、「上流端」の橋のところへ引き返し、川を下って行くこととしよう。
c0163001_013729.jpg

落合川の上流は、1990年代中頃に大規模な改修工事がなされた結果、水が涸れることが多くなったという。前回訪れたときもこのあたりは水は枯れていて、土がわずかに湿っている程度だったのだが、今回は橋の下に澄んだ水が溜まり、下流側へと流れ出していた。ちょうど橋の下あたりから水が湧き出しているようだ。ここがまさに、川の始まりであり源(みなもと)だといえる。
c0163001_014162.jpg

橋のすぐたもとでは、わずかではあるが、湧水が土の隙間からちょろちょろと流れ出す様子が確認できた。水面に光が反射してあまり水がきれいに見えないが、実際には澄んだ水が流れ出している。ここで湧き出したわずかな水が、川を下って行きやがて海へと行きつくのだ。



水は他にもあちこちから湧き出しているようで、川はそれらをあつめて、すぐに一筋のしっかりとした流れとなって下って行く。前回の涸れ川とはうって変わったその姿は、やはり水が流れていてこそ川なのだという思いを新たにさせる。
(以下次回)
c0163001_014750.jpg




[PR]
by tokyoriver | 2010-10-22 00:34 | 黒目川・落合川とその支流 | Comments(3)
前回に続き、「練馬白山神社支流(仮称)」のすぐ近くで石神井川に合流していた「豊島弁財天支流(仮称)」を、こんどは上流に向かって辿ってみよう。こちらの仮称は源流地点にある弁天様の名前からとった。今回の流路についても、猫またぎさんの「暗渠徘徊の日々」でもとりあげられていて被っているが、辿った向きが逆ということでご容赦を。

「豊島弁財天支流(仮称)」の石神井川への合流地点ははっきりしないが、1960年刊行の「東京都市計画図・練馬区」には、中央大学運動場(現・練馬総合運動場)と「中大グランド」(現・練馬2丁目アパート)の間を北西に、ほぼ直線状に抜けて東中央橋付近で石神井川に合流する水路が、波線で描かれている。最近この区間には練馬駅方面から抜けてくる道路が開通し、そのためか合流部付近の川の痕跡はみあたらない。
この近辺の石神井川流域は、大正末期から昭和初期にかけ、耕地整理事業が行われた。これはちょうど用賀の谷沢川上流域などと同じ時期にあたる。石神井川の流れは蛇行の直線化や流路の整理といった改修が行われ、沿岸の農地も区画を区切って道路整備がされた。(段彩図は数値地図5mメッシュをgoogle earth「東京地形地図」からキャプチャ)。
c0163001_2345667.jpg

川跡がはっきりするのは、運動場の南側の角から上流側だ。崖の下に蛇行した道が通っている。
c0163001_23451083.jpg

しばらく進むと、道幅は中途半端な広さとなり、ガードつきの歩道が片側に現れる。バイクなどが止められていて、歩道としての用をなしていない。写真には写っていないが、バイクの下には猫がたむろしていた。
c0163001_23451371.jpg

こちらの川跡の東側にも並行して傍流の暗渠が残っている。ふたつの暗渠にはさまれた幅20mほどの細長い谷底の土地は、ご他聞に漏れずかつて水田だった。東側の暗渠の方がやや高いところを通っており、こちらが水田に水を引き入れる水路だったのだろう。それゆえ、こちら側の水路が先に消滅したようだ。
c0163001_23451752.jpg

西側の川跡に戻って遡っていくと、やがて暗渠らしい、くすんだコンクリートにパイプの突き出した擁壁が現れる。
c0163001_23452079.jpg

暗渠はだんだん狭くなっていく。排水管が露出し、車止めもある。
c0163001_23452355.jpg

さらに進んでいくと、峡谷とでも呼びたくなる細い路地となった。路上は苔むしていて、湿度が高そうだ。カーブしていて先が見えない。
c0163001_23452773.jpg

そして、暗渠は突然に、行き止まりとなる。三方をコンクリートの壁やブロック塀に囲まれ、正面の壁の上には社が見える。源流に弁財天があることは知っていたが、まさかこのようなかたちで急に行き止まりになっているとは思いもよらず、意表をつかれる。
しかも、ここでカメラの電池が切れてしまった・・・
c0163001_23453163.jpg

ここからは携帯電話のカメラでの撮影となる。こちらも電池が危うく、解像度の低い画像での撮影となったなので、画像が粗くなってしまっているがご容赦を。

行き止まりの暗渠をわずかに引き返すと、左岸側からコンクリート蓋の細い排水溝のある路地が合流している。この路地も、猫またぎさんの記事でも取り上げられている。ここから谷を脱出することにする。S字を描く坂道を登りきると、台地上の住宅地に出た。
c0163001_23453443.jpg

先ほど見えた社を探すと、飲み屋の脇にこんな入口があった。
c0163001_23453949.jpg

排気ダクトの並ぶ怪しい路地を抜けるとぽっかりと空間が開け、鳥居の先に社があった。弁財天だ。鳥居の下には小さな石橋がある。弁財天につきものの池の名残なのだろうか。
c0163001_23454324.jpg

社の中には、小さな石造りの祠が祀られていた。扉は閉ざされていて弁天像は確認できない。道端にでもありそうな小さな祠だが、真新しい榊が供えられていて、現在でも信仰されていることがわかる。
c0163001_23454678.jpg

社の裏手に回りこむと、ブロック塀の向こう側に、先ほどの行き止まりの暗渠が見える。弁財天の由来、そして、ここからどのように川が流れ出ていたのか、区史などいわばメジャーな資料をあたった限りではわからなかった。戦前の地図には現在と同じ場所に神社マークがみられることから、比較的古くからあったのだろうか。終戦直後の空中写真では先ほどの路地を囲むように木々が茂っていて、少し北側には池のような小さな黒い斑点が写っている。
弁財天があることを考えると池があってそこから流れ出していたと考えるのがふつうだが、そうだとすると暗渠と弁財天のある場所との落差がよくわからない。滝でもあったのか、崖の下から水が湧き出していたのか。。。
いずれにしても今の地形から、かつての姿を想像することは難しい。
c0163001_23455074.jpg

かつて小さな森だった弁財天の周りは、今では生活感のにじみ出るアパートや住宅に囲まれている。脇のアパートを見上げる。猫またぎさんの撮られた写真では枯れていた蔦が、葉を方々に茂らせている。
c0163001_0195792.jpg

入口を振り返る。狭い路地には排気ダクトのパイプが宙を走り、石畳を挟むようにエアコンの室外機が並んでいて、弁天様の参道とは思えない。
c0163001_23455458.jpg

弁財天を囲む不思議な空間を出て、すぐわきの弁天通り商店街を練馬駅方面へと向かう。豊島弁財天からその名をとったであろう商店街には、イラストの描かれたペナントが掲げられている。
そこに描かれた弁天様の笑顔から、先の祠とそれを取り巻く空間はとても想像できない。あの小さな祠の扉の中には、果たしてにこやかな弁財天像が鎮座していたのだろうか。
c0163001_2346769.jpg

[PR]
by tokyoriver | 2010-10-13 00:31 | 石神井川とその支流 | Comments(8)
練馬区南東部のエリアは、西武池袋線の北側、豊島台と呼ばれる台地に、石神井川に向かって何本も谷が刻まれており、それぞれに小川が流れ石神井川に注いでいた。前々から地図を見ていて気になっていたこれらの小川の痕跡、そろそろ辿って記事にでもしてみようと思っていた矢先、タイムリーにも猫またぎさんの「暗渠徘徊の日々」で一連の流れを取り上げるシリーズが始まっていた。ああ、あそこはああなっていたのか、と非常に参考になる記事ばかりで、今更こちらで取り上げる必要もないかなとも思ったのだが、ひとまず既に辿っていた西武池袋線練馬駅の北側に残る2つの暗渠についてだけ、記してみようと思う。完全に猫またぎさんの記事と被ってしまう上、新機軸も全然ないのだけれど、探索の記録ということで何卒ご容赦を!

まずひとつめは、練馬駅の西側から始まる暗渠。途中にある由緒ある神社から、仮に「練馬白山神社支流」と呼ぶことにする。地図中央の青いラインがその流れ。下を東西に横切る紫色のラインは千川上水だ。(段彩図は数値地図5mメッシュをgoogle earth「東京地形地図」からキャプチャ)。
c0163001_0425323.jpg

高架となった西武線の線路沿いの道路を進んで行くと、前方に谷が現れる。
c0163001_043521.jpg

谷底から北側に向かって、暗渠が延びている。窪地を横切る西武線の敷地や古地図から推定すると、流路の上流端は線路の南側だったようだ。南側には、玉川上水より分水した千川上水が流れていて、そこからの分水は主に南側の江古田川〜妙正寺川に向かって引かれていたものの、中には北側の谷を流れる川に接続されているものもあった。公式な記録にはないようだが、もしかするとこの流れも千川用水から水を引いていたのかもしれない。
c0163001_0432448.jpg

暗渠の東側の斜面の上には、見事にまんまるに葉を茂らせた大木がぽつんと。
c0163001_0432974.jpg

谷底に下ると、すぐに暗渠らしい路地が始まる。大谷石の擁壁。道端に茂る草。路上を覆う木。そしてマンホール。
c0163001_0433380.jpg

左側の家の石垣と柵が暗渠の上に身を乗り出して来ている。
c0163001_0433961.jpg

写真の区間は、手元にある1988年刊行の1万分の1地形図では水路として描かれている区間。比較的最近、暗渠になったのだろうか。護岸と思われる黒ずんだコンクリートの擁壁が残っていた。アスファルトの上には苔も生えている。
c0163001_0434392.jpg

蛇行する暗渠の上は新しそうなアスファルト。前方に見える緑は白山神社。
c0163001_04348100.jpg

白山神社の境内にも、大木があった。樹齢900年以上と推定されるケヤキで、伝承によれば1083年に源義家が植えたものの1本だという。神社周囲にはその頃から集落があったという。神社の本殿は、谷の斜面の上にあり、集落の鎮守の森としてふさわしい立地だ。
c0163001_0435335.jpg

これより北では、かつては水路は谷底で2本にわかれ、その間には細長い水田があったようだ。水田だった谷底は、現在では団地や公園となっている。近年まで残っていた方の水路跡は谷の西側の崖下を北上する。まがりくねる遊歩道は川跡を意識したのだろうか。崖の上は寺が集まり、墓地がギリギリまで迫っている。谷の東側の崖上は中学校と、やはり寺と墓地。
c0163001_0435844.jpg

コンクリートの擁壁が剥がれかけていて、その下に隠された大谷石の石組みが露出している。
c0163001_044438.jpg

暗渠はわずかな区間、再び暗渠っぽい細い路地となったのち、大きな通りへと出る。かつて、2本に分かれていた水路はここで再び合流していた(画面左と、左斜め前から)。通り沿いのタイル敷の歩道がかつての流路跡だ。
c0163001_044876.jpg

北東へまっすぐ進むと、石神井川。東中央橋、という何とも味気ない名前の橋の下に合流口が見える。
c0163001_0441447.jpg

石神井川は合流地点でカーブしている。この近辺は戦前には既に改修されていたようだ。夕日を浴びかなりの早さで流れる川の水は澄んでいるが、川底までコンクリート張りとなっているのがすこし哀しい。
c0163001_0441996.jpg


次回はこの暗渠の東側を流れるもう一つの暗渠を遡って紹介する。猫またぎさんと同じく、私もこちらの流れは「弁天支流」もしくは「豊島弁財天支流」と呼ぶことにしたい。
[PR]
by tokyoriver | 2010-10-08 00:57 | 石神井川とその支流 | Comments(13)