東京都内の中小河川や用水路、それらの暗渠、ひっそりと残る湧水や池をつれづれと辿り、東京の原風景の痕跡に想いをよせる。1997年開設の「東京の水」、2005年開設の「東京の水2005Revisited」に続く3度目の正直?


by tokyoriver

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貫井(ぬくい)川は、西武新宿線上井草駅の北方、練馬区下石神井5丁目近辺にその流れを発し、石神井川と千川上水の間を北東に流れて練馬区向山4丁目で石神井川に注いでいた、全長4kmほどの川で、現在は全区間が暗渠となっています。その名前は、下流部の地名「貫井」からとられていますが、その「貫井」の地名は貫井川下流にかつてあった大きな池「貫井の池」に由来します(語源など詳しくは次回に記します)。下流部は「蕪ヶ谷戸」と呼ばれた比較的大きな谷筋で湧水もあり、谷底は水田として利用されていたのに対し、上流部は谷筋は浅く、荒野や畑地を流れる悪水路(雨水や湧水の排水路)として扱われていて、川の呼び名もとくになかったようです。(段彩図は数値地図5mメッシュをgoogle earth「東京地形地図」からキャプチャ)
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川が暗渠となったのはおそらく1970年代後半から80年代末頃にかけてと比較的最近だったようですが(今回歩くのに使った、私の手許にある1万分の1地形図(1989年発行)には、下流部の一部区間は開渠として描かれています)、ほとんどの区間は完全に下水道化されていて、その流路も途中何ヶ所かで分断されており、暗渠というよりは川跡といったほうがよさそうです。

そんな貫井川を、今回から数回にわけ、いくつかある支流や分流もあわせて紹介していきます。まずは上流部分を辿ってみましょう。

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西武新宿線上井草駅から北方へ歩くこと10分ほど。貫井川の痕跡が残る最上流端は、井草通りと新青梅街道の交差点の北東側にある。駐車場の脇に、一段窪んだ細長い空き地が残っている。1960年代の空中写真や1970年代半ばの住宅地図をみると、ここまで水路があったことがわかるが、現在では雑草が生い茂っていて川の痕跡を確認するのは難しい。道路との接点はゴミ集積所になっていて、冴えない上流端だ。ここより西側にも浅い窪地がしばらくのびており、戦前の三千分の1地形図には井草通りの西側の方まで水路が描かれている。ちなみに、この地点から北に1km行くと石神井池・三宝寺池、一方南に1kmほど行くと、妙正寺川上流部である井草川の源流地帯(現在は暗渠となり湧水も枯渇)となっている。
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水路はかつて、新青梅街道に突き当たった後に街道の南側を流れ、再び北側へと戻っていたようだが、現在ではその痕跡は全くない。再び川跡がはっきりするのは下石神井四丁目交差点よりやや東側、新青梅街道から北東へと離れて行くゆるやかな下り坂の道の歩道だ。
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しばらくは、まったく車の通らない道に不自然に幅の広い歩道、というかたちで北東に進んでいく。川の痕跡自体はまったくないが、路上のアスファルトにはあちこちに苔が生えていて、水の気配が濃厚だ。貫井川の上流部は地下水位が浅いという。川はおそらく、明確な湧水地点から流れ出していたというよりは、あちこちの地面から滲み出した水を何となくじわじわと集めて流れていたのだろう。以前とりあげた、白子川上流部の新川(シマッポ)などがまさにそのタイプだ。こちらは地表へ現れる水は枯れてしまったが、土の下にはまだ水がひそんでいるのかもしれない。

川跡は石神井小学校の近くで歩道から離れクランチ状に曲がり、急に川跡らしくなる。
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小学校の南側でいったん歩道になったのち、練馬区の暗渠サイン「水路敷」のペイントとともに暗渠らしい道が始まる。このあたりはかつての字名を「上久保」といったそうで、貫井川の谷に由来する地名だったのだろう。
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暗渠沿いに古そうなコンクリート擁壁が残っていた。護岸の痕跡だろうか。
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進んでいくと遭遇した猫と銭湯。暗渠の定番が2つそろった目出度い(?)風景。貫井川沿いではたくさんの飼い猫や野良猫に遭遇した。暗渠は銭湯のボイラー室の脇を抜けていく。
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貫井川の暗渠はくねくねと蛇行していて、辿っていて決して飽きることはないのだが、しかしなぜか、実際の距離以上に長く感じられる。
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旧早稲田通りを横切ると、川跡は大きく向きを変える。そこにはかつて、川に沿って「喜楽沼」があった。写真の住宅となっているところは、かつて喜楽沼の北端があったところで、土台から水が滲み出し、苔むしている。
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苔は水を吸って生き生きしている。
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暗渠は南ヶ丘中学校に突き当たって南下する。右側の住宅地のところに喜楽沼があった。左側は南ヶ丘中学校で、かつては中学校の校庭となっているところを横切っていたが、学校の建設時に現在の水路敷のところに移されたようだ。
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「喜楽沼」は少し謎めいた存在だ。沼は下の地図のように、4つに分かれ、南北に細長い台形をしていた。ネット上をみると、もともと沼があって、そこが後に釣堀になったとする説が多い。しかし、ざっとみたところ区史や郷土資料などで「喜楽沼」の名をみかけることはなかった。そして、航空写真を時代別に追ってみてみると、1960年代半ばになるまでこの場所に池や沼らしきものは写っていないのだ。地図をみても、同じく1960年代半ばまで、池や沼を記したものはない。
おそらく、「喜楽沼」は1960年代後半に、釣堀として人工的につくられた沼だったのではないだろうか。貫井川上流部は、ちょうどこのあたりまでが地下水位の浅いエリアだという。したがってもともと湿地になっていたのかもしれないし、少し掘れば水が湧き出たのかもしれない。調べてみると、都内では1960年代後半に釣り堀ブームがあったらしい。「喜楽沼」は、その流れにのって作られた釣堀のひとつだったのではないか。ここで連想されるのが、さきほども触れた白子川上流部の新川(シマッポ)の暗渠沿いに一時期存在した「保谷フィッシングセンター」だ。こちらも1960年代後半から70年代にかけて存在していたらしいが、今はあとかたもなく消え去っている。
喜楽沼は1970年代半ばにまず北側が、ついで80年代に真ん中が埋め立てられ、順次宅地となった。最後に残った南側の池は90年代に入ってから埋め立てられた。かつてここに沼があったことを示しているのは旧早稲田通りにあるバス停「喜楽沼」くらいだ(かつての釣堀経営者だった「合名会社喜楽沼」は、現在でも不動産管理業者として残っているようだ)。
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貫井川の暗渠は南ヶ丘中学校の南側で再び向きを東に変え、環八通りと笹目通りの分岐点につきあたる。ここの環八通りは、2006年、最後の区間として開通したばかりだ。トンネルも地下にあり、暗渠は完全に分断されている。通りの東側に渡ると、川跡の道自体は無事に残っていた。右岸は古そうな苔むした大谷石の擁壁、左岸は草の生えた土手と、川が流れていたころの様子を髣髴させる。
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ここから先しばらく、川跡らしい道が続く。護岸から水が滲み出しているところがあった。
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路上のマンホールや雨水枡の柵。コンクリートの隙間から生える雑草。湿気に蝕まれたブロック塀。いかにも暗渠らしい雰囲気が漂っている。
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どこでもドア?
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やがて暗渠は道路沿いに出る。暗渠の上には等間隔に車止めが設けられて、歩道としては歩きにくそうだ。
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石神井東小学校の敷地に沿って、歩道となって北東へ進んでいく。
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暗渠沿いの道路が暗渠の右側から左側に筋を違える地点に、橋の痕跡が残っていた。路面の細長いコンクリートが、ここに確かに川が流れていたことを主張している。
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上流方向に振り返る。欄干の痕跡。
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橋跡のすぐさきで、川跡は西武池袋線の高架に突き当たる。暗渠の歩道の先、建物のあいだがすっぽりと抜けた怪しい空間になっている。
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近づいてみると、コンクリート蓋暗渠が残っていた。貫井川流域で唯一の蓋暗渠だ。脇の酒屋の荷物置き場と化していて中に入ることはできない。
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足下には欄干の痕跡と思しき構造物も残っていた。
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ここから先、西武池袋線より北側の区間以降は次回以降に紹介していきます。
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by tokyoriver | 2010-11-29 23:45 | 石神井川とその支流 | Comments(14)
落合川シリーズひとまずの最後は、支流「立野川」。3回目でとりあげた南沢湧水群のすぐ近く、向山緑地の崖下の湧水から発し、新落合橋で落合川に合流する全長2.4kmほどの小川だ。小さな河川だが、合流地点の人工的な姿から自然のままの源流まで、ひとつの川の姿の変遷がコンパクトに観察できる好例となっているように思える。合流地点から上流に向かって遡って行ってみよう。

下の地図でオレンジ色で囲んだところが立野川。地図右上から中央下まで辿るかたちとなる。(地図はgoogle mapのキャプチャから。画面のはめ込みができないので、実際のプロット図はこちらのリンク先を)。

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落合川との合流地点付近は、コンクリートの護岸に挟まれ、川底にもコンクリートで何やら構造物が敷かれていて、人工的な都市河川の姿をしている。水質も落合川に較べやや劣っているようだ。(合流地点の写真は前回記事を)。
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浅間神社の脇。水量は多いが、水路はコンクリート三面張りに近い姿をしている。落合川のような水草はまったくない。
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流路の西側には住宅地が川沿いぎりぎりまで迫り、東側は崖線となっていて、川沿いの道もなく、「裏側」の雰囲気。これより上流、崖が迫っていて橋を渡す先がないためか、しばらく橋が全くなく、ほとんどの区間で、川の姿を見られるのは沿岸の住民のみとなっている。
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たまたま住宅が途切れ空き地となっているところから川沿いの崖が見えた。垂直なコンクリートの擁壁の下、右から左に向け立野川が流れている。崖の真上の家々の裏側もさらに斜面になっているようで、地形図をみると崖の上の台地との標高差は8m近くにもなる。かつては川に沿ってこの空き地の幅の分が、水田になっていたようだ。
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川沿いの崖の上に張り出している家があった。この家に住んでいるひとは足下が気にならないのだろうか。
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やっと現れた橋「小沢橋」から下流方向を望む。カーブする辺りで、洗剤まじりと思われる排水が流れ込み、水面が泡立っている。はっきりと下水や排水が流れ込むのを確認できたのはここだけだ。かつては相当汚染されていたという立野川の流れ。下水道の整備で水質は劇的に改善されたというが、あと一歩といった感じだ。ちなみに今回立ち寄り忘れたのだが、右側の駐車場の奥の崖下には湧水があるそうだ。
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小沢橋の上流側からは、水質がよくなる。水面に水草が生い茂り、その中を鴨の群れが泳いでいる。奥には西武池袋線の電車が見える。池袋線の向こう側は自由学園。立野川は自由学園の中を一部暗渠で通っている。
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自由学園の西側、南立野橋から、下流方向を望む。自由学園の敷地内を流れる立野川は、下流側の姿とは一変して、自然のままの流路が保たれている。緑が目にまぶしい。自由学園では生徒による川奉行が行われ、川を保全しているそうだ。
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同じく南立野橋から上流方向。2本の土管で潜っているのは、「たての緑道」の築堤。築堤には、戦前、東久留米駅から中島航空金属田無製造所に向かう引込み線が通っていて、戦後には「ひばりが丘団地」造成時の資材運搬線としても使われたという。
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土手の西側から上流方向。梯子状護岸の水路なのだが、木で出来ているのが変わっている。
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下流に較べると水量は少ないが、流れは速い。川はずっと、崖線の下に沿って流れており、おそらく川底や川と土手の境目などからも各地で水が湧き出しているものと思われる。水中になびく水草が水質の良さを伺わせる。護岸もところどころに素朴な土止めがあるのみだ。
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さらに上流にさかのぼって行くと、とうとう申し訳程度の護岸すらなくなり、草が伸び放題の中を流れる水路となった。
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川沿いを進むことはできないので、道路を回り込んで、水源近くまで行ってみると、畑地の向こうに森に囲まれた丘陵が見えた。川はちょうど畑と森の境目を流れている。
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森の西側へと目をやると、ちょっとした谷頭の地形となっていて、、まわりを木々が囲んでいる場所が見えた。おそらくそこが源流地点なのだろう。未舗装の道がそこまで延びていたので、行ってみることにした。
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道の突き当たりの先は窪地になっていた。そして、窪地の底の地面からはひっそりと水が湧き出して、川が流れ出していた。ここがまさに川の始まり、みなもとだ。標高は51m。落合川との合流地点より10mほど高く、下流部の崖上の台地と同じくらいの高さだ。北に200mほど行けば、そこは落合川シリーズ4回目でとりあげた南沢の湧水群だ。背後の斜面の上は「向山緑地公園」。こちらの標高は60mほど。公園といっても、ただ森があるだけの場所だが、ここには縄文時代から平安時代にかけ、集落があって人々が暮らしていたという。彼らはおそらく、立野川の水源に湧く水を利用していたのだろう。
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立野川を辿った時、上流に遡るにつれ時間も遡るようなその姿から、何となく、失われてしまった川たちのことを思い浮かべた。想像するに、関東大震災後の山の手の川や、高度経済成長期前の山手線周縁部の小川はこんな姿をしていたのではないだろうか。水源地は宅地と農地が混在し、緑がまだ残り、水が湧き出て細い流れをつくっていて、中流部では沿岸は宅地化して護岸が造られ、生活排水も流れ込み、下流部では川というよりも排水路の様相を見せる、といったような。それらの川はその後下水化し、暗渠化されてしまったが、立野川は幸いにも湧水が涸れることもなく、下水も別に整備されたことで、清流をほぼ取り戻し、生き残った。ただ、立野川は落合川のように特に保護や環境保全がなされたりしているわけはなさそうで、水源そばの農地が宅地になったり、比較的自然に近い姿が保たれている上流部に改修工事がされ、涸れてしまう、といったことも今後起らないとも限らない。みなもとの水がいつまでもひっそりとそこに湧き続ければよいのだが。そんなことを考えながら帰路についた。




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by tokyoriver | 2010-11-25 00:04 | 黒目川・落合川とその支流 | Comments(4)
「みちくさ学会」「「新宿の秘境・玉川上水余水吐跡の暗渠をたどる」という記事を書きました。みどころの多いルートで掲載しきれなかったスポットも多いので、こちらで補完してみます。流路の全体像や詳しい説明は「みちくさ学会」の方に記しましたので、そちらの記事とあわせてお読みいただけたらと思います。
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まずは流路の段彩図を(段彩図は数値地図5mメッシュをgoogle earth「東京地形地図」からキャプチャ)。画面左上から右下にのびているのが渋谷川源流の谷。現在は新宿御苑内の5つの池となっていて、いちばん東側の池のはじっこから渋谷川が流れ出している。そして、中央右寄りから下にのびているのが玉川上水余水吐。深い谷筋となっているのがわかるだろう。御苑内の玉藻池もこの谷の枝谷だ。玉藻池の反対側で少し台地上にはみ出しているのが水車のための分水路。
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玉川上水の終点、四谷大木戸の水番所跡に立つ、四谷区民センターから余水吐を望む。正面の森が新宿御苑で、余水吐森と住宅地の境界を、画面下から左奥に流れていた。
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その区民センターの敷地内に、怪しげな囲いがある。囲いの前には黒いプレート。玉川上水の説明が書かれている。背後のコンクリート壁は新宿御苑トンネル。
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囲いの中にはこのような水門のバルブが2基。このバルブのある地点は、まさに玉川上水から、余水吐が分岐していた場所だ。現在は雨水路扱いとなっている玉川上水の暗渠が、下水幹線扱いとなっている余水吐の暗渠に接続する地点となっているようだ。
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ここには1991年に新宿御苑トンネルが開通するまで、玉川上水から余水へ水を落とす水門が残されていて、その前後のわずかな区間だけ、玉川上水の水路が開渠となって残っていた。下は「江戸の水 玉川上水と新宿ー新宿歴史博物館企画展図録」(新宿区教育委員会篇 1993年)掲載の写真。右側写真は奥が新宿駅側で、暗渠から顔を出した水路は手前で左側に水路が曲がって余水吐に繋がっていて、そこに水門が設置されている。左側の写真は上からみたところで、左上に行くと余水吐。どうも幅2-3mほどの水路の真ん中にコンクリート板で更に水路をつくり、結果水路が縦に3分割されているようにみえる。
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こちらは、余水吐の暗渠の最上流部。みちくさ学会の記事に掲載した階段地点の少し北側。朽ち始めたコンクリートの護岸が残る。この風化具合からすると、水路が開渠だったころからあったものだろう。
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みちくさ学会の記事にも掲載した、急に斜面となる地点。ここで流路は一気に4m近く標高を下げる。かなりの急流だったのだろう。写真ではわかりにくいが、右岸、御苑側の柵の向こうは土の斜面、左岸はコンクリートの高い擁壁となっていて、深いV字谷の名残がある。
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一気に下って、中央線の土手北側。渋谷川と合流して土手を潜る地点。レンガの壁の真ん中あたりに黒ずんだコンクリートが見えるが、かつてちょうどその下を川が通っていた。
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ここからは、渋谷川を遡ってみる。中央線北側に沿った、ぼろぼろの舗装の私道風の道。これが渋谷川の暗渠だ。今でも水路敷扱いとなっている。
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外苑西通りを挟んで反対側。御苑の敷地に隣接する道の、歩道のところが暗渠。写真は下流方向を見ているが、御覧の通り歩道は突然消える。渋谷川が暗渠となる前、この先はつきあたりの某宗教団体の敷地となっているところを抜けて、外苑西通りを越え、先のボロボロ暗渠へと繋がっていた。
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振り返ると御苑の柵。柵の向こう側を覗きこんでみると・・・
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森の茂みの中、御苑の「下の池」から流れ出した渋谷川が、暗渠へと吸い込まれていた。水の落ちる音が響く。
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御苑の中からその水路を見たところ。渋谷川の最上流部にして、唯一、川らしい姿を見せる区間だ。わずか数十メートルにすぎないが、貴重な流路である。この写真は今年1月のもので、「下の池」の水位が下がっていたため池から水は流れ出ておらず、写真手前のところにある土管から流れ出た水が川を下っていた。この土管からの水は結構な水量があるのだが、湧水なのではないかと思われる。
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そして、こちらは今年11月の写真。手前に「下の池」があって、水が流れ出して橋の下を潜っていく。橋は日本最古の擬木橋(コンクリートで木を模した橋)。1905年(明治38年)にフランスから購入され、3人の技師が来日して組み立てたという。
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「下の池」からの流出地点。渋谷川はここから始まる。
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池から流れ出す水を眺めていると、水面の動きがおかしい場所があることに気づいた。近づいてみると、なんとそれは湧水だった。河床から勢いよく水が流れ出していた。すぐ目の前に池があるわけで、その水がいったん地下を通って流れ出しているだけといえばそうなのかもしれないが、池から流れ出す水よりも綺麗そうで、水温もやや冷たかった。下の写真奥の、川岸の石の間からも水が湧き出していた。
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ちょっと感動してしまったので、動画も撮ってみた。




最後に、外苑西通り沿いに残っているポンプ式井戸を2つ。ひとつは内藤町大京町バス停の前のもの。ちょっと動かすだけで沢山水が出る、現役の井戸。土台まわりの緑がよい雰囲気だ。
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もうひとつは四谷四丁目交差点近くの井戸。隣にゴミ箱が置かれていたりしてやや風情に欠けるが、ポンプ自体は比較的新しく、手入れもよくなされている。こちらも水量は豊富だった。御苑の森に涵養された地下水なのだろうか。
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とりとめないですが、以上、「みちくさ学会」の記事に載せきれなかったスポットをピックアップしてみました。なお、渋谷川上流域については「東京の水 2005 revisited」のほうで詳しくとりあげていますので、そちらもご覧いただければと思います。
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by tokyoriver | 2010-11-17 12:41 | 渋谷川とその支流 | Comments(12)
落合川の第5回目は、竹林公園の湧水からの流れ「こぶし沢」を落合川の合流地点まで辿り、そのまま落合川を終点の黒目川合流地点まで下っていく。下の地図、オレンジ色で囲んだエリアとなる(地図はgoogle mapのキャプチャから。画面のはめ込みができないので、実際のプロット図はこちらのリンク先を)。
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竹林公園はその名の通り、竹林に囲まれた斜面が公園となっている。斜面に設けられた遊歩道を下って行く。
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崖の下の、谷頭になっているところ、露出した石の下から水が湧き出している。標高はおよそ50mと、南沢の湧水と同じだ。距離も700mほどしか離れておらず、同じ水脈なのかもしれない。こちらの湧水も「東京都の名水57選」に選ばれている、著名な湧水だ。
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水量は多く、湧き出してすぐに渓流をかたちづくっている。右岸側は斜面の上と5mほどの標高差がある。
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湧水のすぐ近くには、こんな石祠があった。今でも丁寧に祀られているようだ。
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川に沿って遊歩道が設けられている。途中も何カ所からか水が湧き出しているのが見える。「こぶし沢」の名にふさわしい、渓谷風の風景だ。
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公園の敷地を出ると、一転して住宅地の中のコンクリート護岸の水路となる。
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とはいっても下水などは一切流れ込んでおらず、河床は自然のまま。水も澄んでいて魚が泳いでいる。
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やがて切り立った護岸の水路となり、川沿いを辿ることができなくなる。脚立が気になる。
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最下流はそのまま落合川の旧水路となっているようだ。旧水路の上流部は下の写真のように、空き地として残されていた。下流方向に進めばこぶし沢の流れとなる。
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西武池袋線の橋梁の手前で、落合川に合流する。
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ここからは落合川本流を下って行く。下の写真は西武池袋線を越えて最初の共立橋を過ぎたところで振り返ってみた様子。奥に池袋線の橋脚が見える。川面には柳が覆いかかり、土手の緑も水草も鮮やか。
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この辺りには右岸に、緩やかにカーブを描く旧流路が、そのまま三日月形の湧水池として残されている。湧水池の背後はコンクリートで固められた崖となっている。
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ここまで来るとだいぶ川幅が広くなり、しっかりとしたコンクリート護岸に柵が設けられ、水面に近づくことができなくなる。空が広い。
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新落合橋の下流側で、立野川が合流している。立野川は先の竹林公園や南沢湧水群の近くの湧水を水源とする川だ。こちらについては、次回、落合川シリーズの最終回としてとりあげるが、途中でわずかながら排水が合流しているらしく、水質は落合川よりもやや落ちるようだ。そんなせいか、合流地点には鯉がたむろしていた。ここの左岸(手前)側からは弁天川が合流しているが、現在は全区間暗渠となっていて水もほとんど流れていないようだ。
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ここを過ぎるともうすぐ黒目川との合流点だ。左岸には東久留米市のスポーツセンターがあって、その地下は増水時の遊水池となってるようだ。左岸の植え込みの下には草に隠れて遊水池へ水が流れ込む口がいくつも並んでいる。
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落合川はスポーツセンターの先で、とうとう黒目川に合流する。源流地点からおよそ3.5km、標高は38mなので、20mの標高差を下って来たこととなる。合流地点に架かる神宝大橋より下流側は埼玉県新座市だ。
ここで面白いのは落合川と黒目川で水の色が少し違っていること。これは落合川の方が水質がよいため、落合川の水が薄まるところまで、河床に生える水草が多いからということだ。
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シロサギが獲物を狙っていた。奥側の水が水草の影響で濃く見えるが、そちらに落合川から来た水が流れている。
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落合川の水を合わせた黒目川は、足早に流れて行く。ここから下流でも、暗渠を含めいくつもの支流や湧水があるようなので、いずれそちらも訪れてみたいが、今回はここで引き返すこととした。
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最後に、合流地点付近に残る旧流路をとりあげよう。この辺りでは1970年代まで、落合川も黒目川もかなり蛇行して流れていたようだ。下の写真は二つの川が合流した後の水路だったところ。今の川の姿と較べると水路は細く、しかも川岸ぎりぎりまで家が建っている。ほんとうにここにあの水量が流れていたのか疑ってしまうが、東久留米市で出している写真集を見ると、確かにこのような狭隘な水路をごうごうと流れる黒目川の姿が写っていた。
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少し上流側まで遡ると、下の写真のように水路は半ば埋め立てられ、雑草に埋もれていた。空中写真を見ると、針金をでたらめにねじ曲げたように蛇行する水路跡の敷地が見て取れる。
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次回は落合川シリーズの最後として、途中で合流している立野川を源流から落合川の合流地点まで辿ることとしよう。暗渠からしばらく離れたままで恐縮なのだが、あと1回だけおつきあい願いたい。



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by tokyoriver | 2010-11-11 00:09 | 黒目川・落合川とその支流 | Comments(0)
落合川を辿る第4回目は、南沢湧水群をとりあげる。南沢湧水群は「東京都の名水57選」や「環境省の平成の名水百選」に選定されている都内有数の湧水エリアだ。湧水の標高は50mと、南方にある三宝寺池(石神井川主水源)、妙正寺池(妙正寺川水源)、善福寺池(善福寺川水源)、井の頭池(神田川水源)と同じ標高だが、他の地点の湧水が既に枯渇し汲み上げに頼っているのに対して、ここでは谷の谷頭と斜面の下にある4カ所の湧水源から、あわせて一日1万立方メートルもの水が湧き出ている。一帯は南沢緑地として保全されており、4カ所の湧水のうち2カ所は東京都水道局南沢浄水場の敷地内となっている。

南沢湧水群を集めた小川は「沢頭流(さがしらりゅう)」とも呼ばれ、400メートルほど流れた後、第3回目の記事の最終地点より少し遡った、毘沙門橋の上流側で落合川に合流している。合流直前の区間はコンクリート護岸の味気ない流路なので、それより上流を見てみよう。

氷川神社の南側に架かる「宮前橋」より上流の一帯が南沢緑地となっていて、流路は自然のままの姿を保っている。
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橋の近くに立つ案内板の地図で、緑地内の流路の概要がつかめる。まずは地図最下方、「現在地」のところから右(南)に延びている短い水路を辿ってみよう。
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雑木林の中から流れ出している水路が、道に沿ってしばらく流れ宮前橋のたもとで本流に合流している。
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流れを遡って鬱蒼とした雑木林の中の小径を辿っていくと、竹林に囲まれた直径2、3mほどの湧水池があった。地面にぽっかりとあいた窪地に澄んだ水がたまっている。崖や斜面に囲まれているわけでもなく、なんだか不思議だ。
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池のどこから水が湧き出しているのかはよくわからないが、窪地から土管で導かれ、小川へと流れ出す湧水はかなりの量があった。
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宮前橋へ戻り、今度は橋から西に延びる本流の水路を辿る。鴨が隊列をなして泳いでいた。水の勢いは強く、速い。
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100メートルほど進むと、南側から別の水路が合流し、川幅が広くなっている地点がある。写真右手から本流、正面奥から支流が流れてきてここで合流し、左手の宮前橋方面へと流れている。
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緑地の中に入り、南側の水路を追ってみる。鬱蒼と茂る森の中を清流が下って来ている。
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以前は源流の湧水まで近づけたようだが、現在は保全のためにそばまでは行けないようになっていた。そこで、後背地の丘の上に登り、そこを通る道路から斜面を見下ろすと、斜面の裾に源流が見えた。湧水口自体は見えないが、写真中央下方、水面が波打っている辺りで湧き出しているようだ。ここが4つある湧水点の2つ目だ。
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さきほどの合流地点まで戻り、再び西から流れてくる本流へ。こちらはすぐに柵に囲われた立ち入り禁止エリアへと入ってしまう。
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立ち入り禁止エリアの中は、東京都水道局の南沢浄水所だ。この中に残り2つの湧水地点があって、川は細長い池のようになっているらしい。その池の水門から流れ出した水が堰をごうごうと音をたてて流れ落ちているのが見える。
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浄水所の敷地は「沢頭流」の谷頭を占めている。谷頭を囲む丘をぐるっと廻ってみることにする。北側の丘に登ると、ビニールハウス越しに、立ち入り禁止エリアの緑地と、その奥の配水塔が見える。南沢浄水所は1962年に完成し、現在東久留米市の東半分に給水しているという。南沢湧水群の湧水池の水を直接採っているという訳ではなく、そばに四本の井戸を掘ってそこから1日およそ3500立方メートルの水をくみ上げ、東村山浄水場から送水された水とブレンドしているそうだ。ブレンド比率はおよそ地下水1対送水3となっているという。
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谷頭を囲む丘をぐるっと南側まで廻ってみたが、谷頭へと落ち込む雑木林の斜面は何カ所かで見られたものの、敷地内の湧水池がはっきりと確認できる地点はなかった。配水塔は南側の丘の上に建っていた。高さ23m、直径25mという配水塔の容量は1万立方メートルとのこと。ということは、南沢湧水群の湧水量と同じだ。この配水塔1本分の湧水が毎日湧き出している、と考えるとその水量の凄さがよくわかる。
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次回は南沢湧水群から700メートルほど東にある、竹林公園の湧水と、そこから流れ出す「こぶし沢」の流れを辿り、そのまま落合川を黒目川の合流点まで辿り紹介する。



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by tokyoriver | 2010-11-04 00:33 | 黒目川・落合川とその支流 | Comments(2)