東京都内の中小河川や用水路、それらの暗渠、ひっそりと残る湧水や池をつれづれと辿り、東京の原風景の痕跡に想いをよせる。1997年開設の「東京の水」、2005年開設の「東京の水2005Revisited」に続く3度目の正直?


by tokyoriver

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「みちくさ学会」に記事を書きました。3月はお休みさせていただきましたので、2ヶ月ぶりの記事となります。

内容については、以前にこちらで掲載した3つの記事

・六本木、麻布十番、元麻布の川跡(1)がま池からの流れ
・六本木、麻布十番、元麻布の川跡(2)旧麻布宮村町の湧水の流れ
・六本木、麻布十番、元麻布の川跡(3)六本木ヒルズ~麻布十番の流れ

の、ダイジェスト版ですが、写真は大部分が最近撮り直したものです。
段彩図を見てみると、見事な谷筋が判るかとおもいます。
(数値地図5mメッシュ(国土地理院)をgoogle earth「東京地形地図」からキャプチャ)
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あちらにはちょっと載せるのをやめた写真を2枚ほど。

まずはがま池を、例の場所から。特に様子に変化はないようです。ブラタモリではガマ池を庭としているあのマンションの一室からの映像が出ていました。マンションの脇にたつほとんど消えかかった説明板には、見学できるので管理室に申し出て下さいとの旨が書かれていますが、実際には長らく見学の許可がでない状態が続いています。いつの日か、普通に見学できるようになるのでしょうか。
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そして、旧麻布宮村町の湧水の流れる小川。
某公有地から。郊外のどこかの、のどかな風景のように見えます。?ここは(ここも)自己責任で・・・
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また、5月7日(土)の夜にお台場の東京カルチャーカルチャーにて開催される『みちくさ学会の発表会』にて、短い時間ではありますが、発表をすることとなりましたので、一応お知らせします。詳細はリンク先をご参照下さい。

『みちくさ学会の発表会』

では皆様良い連休を。
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by tokyoriver | 2011-04-28 11:00 | お知らせ | Comments(4)
北沢川桜上水支流(仮称)について、今まで桜上水駅の東側の支流と西側の支流を辿り、いちばん最初の北沢分水(上北沢分水)のルートとの関係を探って来たが、最後にふたつの支流があわさってから北沢川に合流するまでを辿って終わりにしよう。

桜上水駅の東側と西側から来た2つの流れ(の暗渠)は、区立松沢中学校の南西角で合流し、日大文理学部グラウンドの北側にそって歩道となりしばらく東進する。写真手前から横断歩道のところを渡り左へと続く歩道が流路跡。
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歩道はすぐに無くなり、暗渠は南に折れて、日大グラウンドと都立松原高校の間を南下する。
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左側が松原高校の敷地、右の緑の塀の向こうが日大グラウンドだ。暗渠は微妙にジグザグに曲がっている。
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途中で向きを南東に変え、下高井戸駅前からの道へ至る。この辺りは学校敷地の増設で流路を改変されている。
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暗渠は下高井戸駅前からの道に出ると、道沿いにコンクリート蓋暗渠となって南西に流れていく。暗渠沿いは桜並木となっていて、春には花吹雪のトンネルとなる。
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見かけは隙間なくぴったりと蓋が並べられているが、歩くとゴトゴトと音がする。ところどころに、世田谷区の暗渠でお馴染みの四角い点検口が設けられている。
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しばらく進んで上流方向を振り返ってみたところ。うさぎねこさんのブログ「ここには昔、川があった」では、この辺りが開渠だったころ貴重な写真が紹介されている。そこに写っている護岸と下の写真にうつる護岸は同じものだろうか。
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画面右奥から下って来たコンクリート蓋暗渠の区間は、日大グラウンドの南端の角で終る。ここで左側(北西側)から北沢分水上堀が合流していた時期があったようだ。グラウンドの辺りはかつて広大な水田地帯で、北沢川/北沢分水の流れはその中を幾筋にも分かれて流れていたようだ。
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川跡は普通のアスファルト舗装の歩道となり、曲がりくねりながら南西へと下っていく。右は日大櫻丘高校、左は日大文理学部の敷地だ。左岸側の段差は、谷戸の谷底に面した斜面の名残だろう。
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流路は日大櫻丘高校の敷地を南側に回り込んだ後、直角に曲がる。左の車止めのある歩道が暗渠の道。
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南に向う下流の方向を眺めてみる。まっすぐ一直線。
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振り返ると、柵で閉ざされた空間が見える。さきほどからの流れは写真右手からきているのだが、ここで北沢分水の分流が合流していたようだ。ちなみに十数メートル西には北沢川本流の暗渠が並行している。
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まっすぐの暗渠を進むと、弁天橋と書かれた石柱に出くわす。その先は遊歩道となっている。
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弁天橋から振り返ってみたところ。奥の柵が2枚前の写真の場所だ。北沢川はこ左手から流れて来て、ここで桜上水支流を合わせている。ここの少し手前では北沢分水水車堀が合流していて、かつては水路の集積する場所だったようだ。
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弁天橋の石柱の傍らには、北沢川左内弁財天の祠が祀られている。背後の木立のあたりにはかつて「弁天池」があり、そそのほとりにあった弁財天は鈴木佐内家の屋敷神だったという。鈴木家は16世紀後半に上北沢に居を構え、北沢分水の開設にあたっても尽力を尽くすなど、地域の有力者として活躍したようだ。当主は代々左内を名乗った。弁天橋の北西にある早苗保育園、緑丘中学校のあたりにその屋敷があったという。そして何度か記したように、この辺りから西側の微高地にかけてが、上北沢村の中心地だった。
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そして、この左内弁財天にはいくつかのバリエーションのある縁起が伝承されている。傍らの解説板に記されているのは以下のとおり。

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井の頭池に遊びにいったところ池の龍神に見初められた。龍神は若者に姿を変え、娘の前に現れた。2人は逢瀬を重ねたが、ある日若者が、自分は龍神であることを告げる。娘は龍神に嫁ぐことを決心するが、病に伏せる。日増しに容態の悪化する娘を心配した父母は娘を井の頭池に連れて行くと、娘は池に身を投げてしまう。すると水面に巨大な蛇が現れて水の中に消えていった。それ以来鈴木家は弁財天を祀るようになった。
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白蛇に姿を変えた娘がこの場所にあった池に戻って来たため弁財天を祀ったというバリエーションもある。また、以下のような伝承もあるという。

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鈴木家の娘が突然姿を消したのち、ある晩家の外から、鈴木家と村を守るために井の頭池の主に嫁いだとの声が聞こえる。戸を開けると草木をなぎ倒す一筋の道ができていた。辿っていくと井の頭池まで続いていたため、弁財天を祀った。
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この伝承の背景には、井の頭池の南側から久我山にかけての土地の有力者であった秦氏と鈴木家との密接な関係があるようだ。大陸からの渡来人であった秦氏は北沢分水の上流域の管理も担ってたといわれ、また、実際に鈴木家の娘が2代に渡って嫁いでいるという。とある地域史家は、そもそも玉川上水が開通する以前、秦氏と鈴木家の手により、井の頭池から現在の玉川上水〜北沢分水上堀〜江下山堀を通る用水路が開削されていて、玉川上水の井の頭から高井戸の区間はその流路を流用したという説を唱えている。井の頭池と、玉川上水の通る台地の上との標高差を考えると俄には信じがたい説だが、いずれにせよ北沢分水の上流と下流に位置する久我山と上北沢とはただならぬ関係にあったようだ。

(段彩図は、数値地図5mメッシュ(国土地理院)をgoogle earth「東京地形地図」からキャプチャ)
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かつての弁財天は戦災で焼失し、弁天池も1979年には完全に埋め立てられたが、その際にかつての周囲の風景を偲んで再建されたのが、この弁財天の祠だ。現在祠の中には井の頭の弁財天の他、厳島神社、銭洗弁天のお札が祀られているという。

幾筋もの流れを合わせた北沢川は、ここから南東の経堂方向へと流れていた。かつて川沿いに一面に続いていた水田は埋め立てられて経堂赤堤通り団地となり、暗渠化された北沢川は緑道となって、親水施設のせせらぎがさらさらと流れていた。
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以上で、北沢川桜上水支流のシリーズは終わり。次回は、前回にふれたように、上北沢駅付近を流れる「上北沢分水」ルートのもうひとつの候補と目される支流をとりあげてみよう。
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by tokyoriver | 2011-04-18 23:17 | 北沢川とその支流 | Comments(4)
北沢川桜上水支流(仮称)について、前回、前々回と東側の流れを追ってみたが、今回は西側の流れの暗渠を辿ってみよう。前々回の冒頭、松沢中学校南西の角に戻り、上流方向(北西)に遡っていく。
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暗渠沿いには植え込みや隣接する住宅の庭の緑があって、雰囲気は悪くない。
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下流方向を振り返ってみるとこんな感じ。S字カーブを描いている。
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数百mほど進むと桜上水駅前からの道に交差する。先の僅かな区間は遊歩道風の舗装になっている。
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ここでも振り返ってみる。暗渠が緩やかに下りになっている事がわかる。かつて入谷と呼ばれた細長い谷筋だ。右岸側は並山と呼ばれた丘になっていて、戦前から戦後にかけては、牧場となっていた。
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遊歩道は荒玉水道道路を越える地点で終わり、その先は通行止めの区間となる。その延長線上には京王線桜上水駅のホームがある。
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通行止め区間の中をのぞいてみる。暗渠の上に植木鉢が並べられていた。高床式?になっていて、何だか変な置き方だ。
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上流側に回り込み、下流方向に向かってみたところ。新しそうな立派な柵が設けられている。後ろを振り返るとそこは京王線桜上水駅のホームと線路。
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川跡は線路にぶつかりいったんここで切れているのだが、地形図を見ると、駅の北側まで谷筋がのびている。そこで、線路を越えて反対側に行ってみた。かつての京王線の車庫は規模を縮小し、空いた敷地は住宅展示場となっている。敷地の北側の擁壁を見ると窪地になっていることがわかる。これが南側の谷筋の続きだ。
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辺りを探しまわってみると、谷底から少し西にずれた位置に北へと伸びるコンクリート蓋の暗渠が残っていた。
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奥は隣接する家の工事中で入れない。
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引き返して、暗渠に並行する道を甲州街道まで北上、続きを探してみると、甲州街道の南側に面する駐車場の脇にコンクリート蓋暗渠の続きがあった。手前の石は何か由緒がありそうだが、特に文字などは見受けられない。これより手前は土が盛られていて、暗渠は途絶えている。
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甲州街道の北側を見てみる。のしかかる高速道路の向こうには宗源寺の敷地が見える。
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資料に見られる、甲州街道に架かる「用水抜石橋」は、ここよりももう少し西側を通っている。その地点の辺りには甲州街道からジョナサンの下を通り玉川上水まで貫通する、細長い駐車場があった。写真は玉川上水沿いから甲州街道に向って見たところ。
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ただし、この駐車場や周囲は微高地となっていて、玉川上水から甲州街道に抜けるにはいったん上ってから下るかたちとなり、そのままでは水は流れる事ができない(下の段彩図で丸くかこってあるエリア)。かなり2、3mは掘り下げた掘割にするか、トンネルを掘るかしないと、玉川上水から先の暗渠の水路に水を通すことはできない。
この微高地は地形図ではあまり目立たないが、実際に現地を歩くとそれなりの丘になってることが実感できる。玉川上水もこの丘を避けるために、この区間は北側に飛び出して迂回するかたちとなっている。
(段彩図は、数値地図5mメッシュ(国土地理院)をgoogle earth「東京地形地図」からキャプチャ)
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ということで、このルートも北沢分水の最初の経路の候補ではあるが、この丘の存在を考えると、東側の水路に較べてその可能性は低いのではないだろうか。

さて、北沢分水最初のルートについて、ここまで2つの候補を見て来たが、今回のルートの西側にもうひとつ、候補がある。第1回目で触れたが「世田谷の河川と用水」では、こちらを最初のルートとして想定している。こちらは痕跡は少ないのだが、文献の記述だけから判断すると、ある意味桜上水支流よりも可能性があるルートといえる。次回は東側と西側の水路が合流してから北沢川本流に合流するまでを紹介し、次々回に、このもうひとつの北沢分水ルート候補を辿ることにしたい。

(つづく)
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by tokyoriver | 2011-04-09 00:06 | 北沢川とその支流 | Comments(2)