府中シリーズ第4弾は、立川崖線(府中崖線)に食い込む谷戸を辿ってみよう。東府中駅の南側から南東側にかけ、直線的な府中崖線に大きく曲がりくねった谷戸が食い込んでいる。近年の資料などで、明確にここに川があったと記しているものは見かけないが、80年代前半までの住宅地図には一部の区間に水路が描かれていたりして、これだけはっきりした谷なので何かしら水路の跡があるだろう、と前々から気になっていた。実際に現地を探ってみると、果たして今でも水路の痕跡が残っていた。水路の推定ルートを地図にプロットしたのが下図となる(カシミール3Dより作図。以下の地図も同)。
上流側から紹介していこうと思うが、その前にこの谷戸をめぐるもう一つの水路について記しておきたい。それは「ムダ堀」と呼ばれていた大きな掘割だ。「ムダ堀」は現在では埋まってしまい、全く痕跡はないが、1970年代初めまで一部の痕跡が残っていたという。そして明治時代の地形図まで遡ると、それははっきりと確認できる。地図中、ピンクでマークしたケバの描画となっているところがそれだ。谷戸の西側〜北側を迂回するように断続的に続いている。(今昔マップより、明治42年刊行2万分の1地形図を加工)
「むだ堀」の名は、玉川上水が現在の羽村から取水するルートを取る前に試みられ、失敗した痕跡であるとの伝承による。伝承によれば当初玉川上水は、現在の府中用水のルートを通り、ムダ堀付近で府中崖線を越えて立川段丘上にあげようとしていたという。その存在は、痕跡が消えていくとともに忘れられていたが、1996年の武蔵国府関連の発掘調査の際に偶然ムダ堀の遺構が発見されて、実在したことが再確認された。その後も断続的に遺構が発掘され、古地図の通り、谷戸の北側をかすめるように通り、多磨霊園駅の北東側まで続いていることがわかった(下図)。しかしそれが本当に玉川上水と関連しているのかどうかは今でも議論が分かれるところのようだ。
深澤靖幸「「ムダ堀」に関する覚書」(2012)では、古地図や地籍図の地割から、大國魂神社の南側から府中崖線の中腹を通って標高を維持しつつ、瀧神社の北方で段丘上に割り入るルートを推測している。発掘されたムダ堀の底面は標高43〜44m程度であり、確かにそのルートを取れば、府中用水の流れる低地の標高47m前後からほんの少しずつ標高を下げながら、段丘上に上がることができる(地図中薄黄色の部分が標高46〜48m、黄緑色が48〜50m)。
水路の痕跡は京王線多磨霊園駅からさらに西武玉川線白糸台駅を越え、甲州街道に並行するように調布市境まで断続的に発見されており、伝承では調布の滝坂まで続いていたという(現京王線つつじヶ丘駅北東)。確かに現在の玉川上水も最終的には甲州街道沿いを四谷に向かっている。
しかしこのムダ堀のルートの場合、滝坂の先で国分寺崖線を登らなければならず、その標高差は15m。掘割で横切るにも深すぎる。さらに滝坂の手前で野川と入間川、越えた先で仙川などの谷も横切る。現実的には滝坂より東に水路を通すのは無理だ。
また、深澤論文では多磨霊園付近に「むた堀」の小字があることから、途中で北上していた可能性も指摘している。ただこちらについても国分寺崖線を登るのは不可能だ。
発掘された区間では、ムダ堀には水が溜まった形跡はあるものの恒常的に流れていた痕跡はないという。また、途中で整備を放棄されたような痕跡も見られるという。玉川上水との関連の有無に関わらず、掘削に失敗し放棄された水路の跡なのだろう。
さて、ムダ堀についてはいったんこのくらいにして、谷戸を流れていた水路の跡を追ってみよう。京王線東府中駅から東に数分歩き新小金井街道近くまで来ると、一帯は浅い窪地となっていて、その低いところの未舗装路地に小さなコンクリート蓋の暗渠が続いている。これが現在確認できる水路跡の最上流部だ。水は無い。
暗渠の開始地点から南西を向くと、窪地はさらに続いているが、この窪地こそが発掘により「ムダ堀」が再発見された地だ。1996年、右側に見えるマンションの奥の南西の建物が建て替えられた際の発掘調査で、幅14m、深さ5mもの大規模なV字状の掘割が発見され、大きな話題となった。18世紀初頭には埋まっていたと見られ、明治期の地図で確認できないのもそのためだろう。そして2000年には、このマンションの建て替えに際しての発掘で遺構の続きが見つかっている。江戸後期の古地図では、この付近に池があり、そこから谷戸の流れが始まるように描かれているものもあるという。池はムダ堀の跡と関係はあったのだろうか。
暗渠に並行する道を進むと、新小金井街道に出る。京王線を潜る「清水が丘立体」の南側から、府中崖線を下るための「しみず下トンネル」方向を見ると、右側から左側に、谷筋が横切っているのがわかる。トンネルの向こうには多摩川を挟んで向かいの丘陵の緑が見える。
そして街道を渡ってすぐ東側には、先ほどの暗渠から続く未舗装の水路跡が。奥は崖下で行き止まりになっている。
振り返って南側を見れば、柵に囲まれ、植木鉢に占有された水路跡が南東に続いている。
水路跡の続く先を覗き込むと、埋め立てられた水路の上に、護岸に渡された梁が並んでいる。普通なら埋まっているか、撤去されているのではないか。ちょっと珍しい風景だ。
中に進んでいくことはできないので、谷戸の北側を通る道から回り込んで谷底に降りる。谷底の道から上流側を見ると家々の隙間となって先ほどの続きが見える。
その奥には先ほどの梁の続きがあった。路面は高くなっており、低木にも阻まれてよく見えないが、両岸の擁壁からは水抜きのパイプや排水管の継ぎ手が見える。
谷底の道は少し下流に下るとまた行き止まりとなる。水路跡は数mほど民家の敷地内となっており、その向こうに再び水路跡の道路が続いているのが見えるのだが、通り抜けはできない。
再度、谷戸の上の道から回り込んで谷底に降り少し進むといかにも暗渠らしい路地が分岐している。折れ曲がった下り坂の路面の端や擁壁には苔が生している。
擁壁が二段構えになっているところは、下の方は元は護岸だったのだろうか。
路地は数十mで終わり、谷底の広い道に出る。
これより先、水路跡の道とそれが流れていた谷戸は、大きくS字カーブを描いていく。かつては谷戸の底には水田が続いていたが、今では普通の住宅地となっている。西側(右手)は東郷寺の敷地となっていて、谷戸斜面の緑が残っている。東郷寺は谷戸に削られて岬状になった段丘の高台に立地する日蓮宗の寺院で、東郷平八郎の別宅跡地に1939年に建立された。東京都選定歴史的建造物に指定されている立派な山門は黒澤明の「羅生門」のモデルになったという。
谷戸が北東から南へと大きく向きを変えるあたりから、上流方向を振り返ったところ。右手の民家の植え込みの隙間からは、庭にある池の水面が垣間見られ、流れ込む水の音が聞こえる。実は、1968年版の府中市史掲載の地図には、府中崖線下の代表的な湧水のひとつとして、この付近に湧水のマークが記されている。民家は雨戸が閉じられ人の気配がないので、電動で水を汲み上げて流す必要もなさそうだし、背後は谷戸の斜面となっているから、その湧水が今でも湧いているのかもしれない。
谷戸の底はだんだんと広くなり、やがて府中崖線の下へと開ける。北側の斜面(写真右手)から下ってくるのは「かなしい坂」だ。
こちらも玉川上水開削にまつわる地名だ。設置された銘板には以下のような命名の由来となるエピソードが記されている。
〜八幡下から掘り起こし、瀧神社の上から東方に向かい、多磨霊園駅のところをへて神代まで掘削して導水したが、この付近で水が地中に浸透してしまい、責任を問われて処刑された役人が悲しいと嘆いた云々〜
ここに書かれたルートはまさに最初に記した「むだ堀」で、銘板にもこの時の堀が「ムダ堀」「新堀」「空堀」として残っていると記している。ただ、坂はムダ堀のルートからは随分下った位置にあり、話の整合性がない。これに対して、ムダ堀とは別に通水を試み掘さくされたルートがあったのではないかとの仮説を唱えている方もいる。(新藤静夫「玉川上水 “水喰らい土” の謎を追う(3)」(2018)
http://www.jkeng.co.jp/column.html)
こちらは瀧神社の先も府中崖線中腹で44m〜46mの標高を維持しつつ、谷戸を築堤で越えてかなしい坂の東側を進んでいくルートだ。東郷寺南西側の府中崖線中腹に人工的な段が続いていることや、かつて谷戸を横切る伊奈石の石垣があったこと、またその両岸にも伊奈石の擁壁があったことを推測の根拠にあげている。また地質的にはムダ堀ではなくこちらの方が、水が地中に浸透しやすいという。
何れにしても、どちらのルートも、何とかして立川段丘の上に水を通せたとしても、その先の国分寺崖線を上がることは地形上、不可能だが、もしこの仮説が事実であったならば、この谷戸の上と下を通る、2つのルートが試みられたということになるだろう。下のルートは水が染み込んで断念、そして上のルートも何らかの理由で途中で掘削を断念し、前者は伝承が、後者は遺構が残った。そしてそれらは伝えられていくうちに一つの伝承として混ざっていったのだろうか。
さて、谷戸の流れの痕跡はもう少しだけ、続いている。東郷寺通りを越え小柳町に入り、府中崖線下の家々の裏手を探すと、細い暗渠が続いている。おそらく谷戸を流れていた川の末裔だろう。
暗渠は崖線を離れて南下し、しみず下通りに並行する道に出て終わる。この道沿いにはかつて多摩川から取水し、府中用水の余水をあわせた三か村用水が流れていた。玉川上水に関わる2つの遺構に上下を挟まれた谷戸を流れた水は、最終的には府中崖線下の低地を灌漑する用水路の水に合流していた。
次回はこの三か村用水にまつわる景観を軽く、取り上げてみよう。