神田川笹塚支流(和泉川)(2)最上流部・北側水路
2009年 10月 20日
通称「水道道路」と呼ばれるこの道路は、もともとは「玉川上水新水路」の水路敷だった。
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「玉川上水新水路」は、明治後期、淀橋浄水場の建設に伴って玉川上水の水を導くために現在の和泉給水所付近から上水を分水するかたちで、開削された。従来の玉川上水路は谷筋を迂回して曲がりくねって進んでいたが、新水路は土手を築き谷筋を横切って一直線に流れていた。そのため、関東大震災では土手が崩れて洪水が起こるといった問題も起きた。昭和初期には甲州街道の地下に導水管が作られ、水路は役割を終えた。水路敷はそのまま道路に転用され、「水道道路」となった。
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新水路の敷地跡は泉南交差点より西側にも続いていて、そこを通る道も「都道431号線」となっているのだが、この区間は整備半ばのままで細い道となっていて、道沿いの水路敷には家が立ち並んでいたり、遊び場が帯状に続いている。
水路敷跡の南側は、浅い窪地となっている。ここが神田川笹塚支流(和泉川)の源流地帯だ。一方、北側にも、敷地に沿った水路が残っていて、これも神田川笹塚支流(和泉川)につながっていたと思われる。遊び場96番の一角から、道路沿いにコンクリート蓋の暗渠が出現する。これがその水路だ。
ここから少し西に進むと遊び場の一角にシャッターの閉められた建物がある。最近まで、「釣堀と食事 友蔵園」の看板が掲げられていたこの建物の排水が、もしかしたら北側の水路の最上端だったのかもしれない。
和泉商店街を越えると、水路敷にそって低い家屋が立ち並ぶ一角となる。ここだけが時代から取り残されたかのような風景を醸し出している。
路地に入るとポンプ式の井戸もいくつか見られる。
先ほどの水路は道路の北側に並ぶ家々の裏手をぬって、開渠となって流れている。
環七通りの泉南交差点の西側で、水路は終っている。交差点を越えたところで、神田川笹塚支流(和泉川)の本流に合流していたと思われる。
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神田川笹塚支流(和泉川)の水系地図(googlemap)
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