森厳寺川(北沢川下北沢東支流)(2)二つの源流
2009年 11月 07日

もうひとつの源流は大原1-12付近から北上~東新する暗渠だ。住宅街の家と家の隙間に、細い暗渠がある。ここが確認できる最上流端だ。

暗渠はここから北上していくが、次に確認できるポイントでは、暗渠は蓋付となっていて、道路を横切るところには見事な痕跡が残っている。

流路は更に北上して、井の頭通りの北側で向きを東に変える。駐車場の片隅に暗渠の痕跡が埋もれている。ある時期までは、写真中央部は開渠で、右の穴が見え、蓋掛けがしてあるところから先が暗渠となっていたようだ。

近づいてみると、中にヒューム管が見える。

こちらの流れも、この先北沢中学校の敷地に入って行く。かつては中学校の校庭となっているところで2本の流れが合流していて、大きな池となっていた時期もあったという。
川は井の頭通りを南に越えたあと、2本の並行する流れとなって南東に下る。写真は東側の流路。かなり川跡らしさを残した暗渠となっている。なお、西側の流路は下水道幹線に姿を変えている。


※次回はいったん森厳寺川から離れて、荏原台を刻む大森・鹿島谷の湧水と暗渠を取り上げる予定です。
インタビュウさせていただいたことがございました。
「今は流れが逆になったけどね」
ということは、土管の中で流路が変わっているのでしょうか。
開渠だったころは建設中の東京タワーを望めたりという風景だったそうです。
「これが北沢川に流れて目黒川で東京湾」という言葉に鳥肌たちました。
”ヒューム管”とか”ボックスカルバート”って、何だか格好良い響きですよね(笑)ヒューム管はオーストラリア人のヒューム兄弟が発明したそうです。
北沢中学校の構内を抜けられないためか、この砂利道の区間だけは本来とは逆向きに流れて迂回しているようですね。かつて川が生きていた頃は、そこで降った雨の一滴、湧き水の一滴が東京湾まで流れていたことを考えると不思議な気持ちになります(もちろん下水になっても、最終的には東京湾に辿り着く訳ですが)。


