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東京都内の中小河川や用水路、それらの暗渠、ひっそりと残る湧水や池をつれづれと辿り、東京の原風景の痕跡に想いをよせる。1997年開設の「東京の水」、2005年開設の「東京の水2005Revisited」に続く3度目の正直?新刊「東京「暗渠」散歩改訂版」重版出来!


by tokyoriver

杉並区荻窪・高野ヶ谷戸の善福寺川支流


本年7月に「2009 fragments」として再開した「東京の水 」、何とか更新を続けることができました。記事を読んでいた皆様、ありがとうございました。特に各記事にコメントをお寄せ下さった皆様には深く感謝します。来年も引き続きよろしくお願いします。2009年最後の記事は地味ですが、荻窪駅南東の小さな谷「高野ヶ谷戸(こやがいど)」の暗渠。下流から遡って追ってみます。
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暗渠は荻窪3丁目、荻窪団地の北側から始まる。荻窪団地の北〜東に沿った曲がりくねった道は善福寺川の分流(あげ堀)の暗渠で、高野ヶ谷戸はこのあげ堀に合流していた。
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合流地点の向かいには荻窪団地の中でも異彩を放つ1~3号棟が聳え立つ。荻窪団地一帯はもともとは西田たんぼと呼ばれた水田で、高野が谷戸からの流れの水はこの水田の灌漑にも利用されていたそうだ。団地は現在立替が進められていて、この建物もそのうちなくなるのだろう。
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暗渠を遡っていくと、以前も紹介した大径マンホールに。ここで東側から流路が合流している。
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まずはこの合流してきた暗渠を辿る。こちらの暗渠は谷底の東縁に沿って流れている。道路沿いに車止めが並び、道路と暗渠の空間をはっきりとわけている。
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やがて暗渠はコンクリート蓋付暗渠に変わる。真っ赤な車止めが眩しい。
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住宅地の裏を北上していくと、草に埋もれた通行止めの標識。暗渠は更に続いているがこれより先には入れない。
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杉並区立中央図書館の脇からまわりこむと、暗渠が見える。ここのすぐ北側(写真手前)で暗渠は途切れている。
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そして、暗渠の行き着く先はビオトープの池になっていた。この場所は数年前までは空き地だったが、綺麗に整備されている。写真は上流(北)側から暗渠方面を望む。池があたかも暗渠の水源のような配置になっている。これより北、暗渠は更に荻窪体育館の西側へと続いている。かつて青梅街道沿いを流れていた千川上水の分水(六か村分水)から、水をひいていたという。
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再び本流に戻って、遡っていく。暗渠は大田黒公園の東側~北側に沿って北西へと伸びている。
公園内は谷戸の斜面を利用した庭園になっていて、流れや池がつくられている。かつては湧水を利用していたそうだが、今はどうなのだろうか。
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公園の北東でも、支流が合流している。こちらは住宅街の中を縫いつつ先ほどの東側の暗渠に接近し、先ほどの暗渠と同じ谷の西縁を北上。ビオトープの池のあった公園の西縁に出る。以前は暗渠の痕跡があったように思うが、公園の工事で消滅していた。二つの水路に挟まれた細長い低地は水田だったそうで、こちらの水路は水田からの排水を流すためのものだったのではないかと思われる。
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最後は北西へ向かう暗渠を辿る。大田黒公園の北側に沿った道が川跡だ。公園を越えると遊歩道となった暗渠が現れる。
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更にその先は、通るのがやっとの細さの暗渠に。
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暗渠は50mほど進んだ後北東に折れ曲がって、車道に出たところで消滅している。これより先にもしばらくいったところに怪しい未舗装の路地があったりするが、資料によるとこの細い暗渠のあるあたりと、先ほどの遊歩道暗渠のあたりの2箇所に、直径5mほどの湧水池が2つあって、川はそれらを水源としていたそうだ。池は谷筋の水田や西田たんぼへの給水を目的として人工的に掘られたもので、この近辺は地下水位が浅く掘り下げると水が湧き出るような土地だったという。浅い谷戸の谷頭なので、もともと水の湧いていた場所だったのだろう。

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Commented by リバーサイド at 2009-12-30 13:51 x
善福寺川で思わず反応してしまいましたw。
この暗渠、大田黒公園の辺りはよく通るので、わかっていたのですが、奥にいくとディープな世界になるのですね。
あげ堀ってどこで善福寺川に合流するのでしょうか。荻窪団地横の道を辿っていくと、新堀天保用水と交錯していますよね。その先、阿佐ヶ谷団地の北の方まで行くのでしょうか?地図を見ながら疑問にぶち当たっています。
Commented by orangepeel at 2009-12-31 00:19 x
丹念な取材記事の数々、たのしませていたたいております!
2010年も、どうぞよろしくおねがいいたします☆
Commented by tokyoriver at 2009-12-31 00:35
リバーサイドさん。
このあたりの水路、かつては複雑に絡み合っていてどこで区切っていいのかわかりにくいんですが、荻窪団地北側のあげ堀は、大きく蛇行しながら善福寺川緑地の北縁、杉並高校〜阿佐ヶ谷住宅の北〜東縁を経て、東田中学校の南でいったん善福寺川に合流していたようです。新堀天保用水はあげ堀の下を潜っていたといわれているようです。
Commented by tokyoriver at 2009-12-31 00:39
orangepeel さん。
ありがとうございます!ひきつづきよろしくお願いします。
Commented by AH at 2010-02-25 00:15 x
はじめまして
まさにこの地元に住んでいて、これらの暗渠を探検しているものです。「東京ぶらり暗渠探検」を見てここに辿り着きました。

荻窪1丁目から3丁目の松庵川及び善福寺川の北側は、古くは田端村と下荻窪村の村境で、その後杉並町と井荻町の境界に引き継がれ、杉並区になったあとは、杉並警察署と荻窪警察署の管轄の境界線になっているようで、そういう意味では、結構昔から村境となるような何かがあったのでしょう。興味は尽きません。これからも取材よろしくお願いいたします。
Commented by tokyoriver at 2010-02-26 00:02
AHさん。
はじめまして。御覧頂きありがとうございます。村境が警察の管轄の境界となって残っているとは知りませんでした。興味深いですね。今後ともよろしくお願いします。
by tokyoriver | 2009-12-29 23:41 | 善福寺川とその支流 | Comments(6)