河骨川の傍流と、かつての宇田川の流れたち
2010年 05月 26日
※河骨川など宇田川水系については、詳しくは東京の水2005 Revisitedの記事をご参照下さい。
谷底を横切る道を、南東から北西に向けて谷底を望む。河骨川の暗渠(川跡)は、右側の電信柱、道路が一番低くなっているところを左から右に横切っている。
暗渠は最近では「春の小川」の標識も設けられ、すっかり有名になっている。何年か前に廃業になってしまった銭湯「第五良の湯」の脇は、川の面影を残していて、風情のある一角だ。銭湯は井戸水を利用していたという。そしてその排水は川にながされていたのだろうか。
かつては、このいわば本流の暗渠に平行して、両側に2本の川が流れていた。先の谷を横断する写真でみると、手前(下)のちょうど写真が切れるあたりと、真ん中の横断歩道があるあたりになる。
もともと、河骨川の流れる谷底には細長く水田が拓かれていた。そして、谷の両斜面の直下に水路が設けられて水田に水を引き込み、中央の流れは、水田からの余水・排水を受ける役割を担っていた。流域の宅地化に伴って、導水路は不要となり、排水路であった中央の流れが最後まで残って暗渠化されたというわけだ。それらの流れをプロットしたのが下の地図となる。
(google earth経由「東京地形地図」の段彩図をキャプチャ)
これら2本の傍流の痕跡も、断片的ではあるが、本流の影に隠れてひっそりとその姿をとどめている。まずは西側の流路。河骨川本流の暗渠の隣の路地が、その痕跡だ。川の流れていたときのままに蛇行している(上の図のポイント「西側の流路」付近)。
川跡はいったん車の通れる程度の道に出るが、しばらく進むと再び、道から分かれる未舗装の細い路地として現れる(上の図のポイント「西側の流路2」付近)。
次に東側の流路。住宅街の中をクランク状に抜ける未舗装の路地の脇に、U字溝のような水路が残っている。これが東側の水路の痕跡だ(上の図のポイント「東側の流路」付近)。
小田急線参宮橋駅の南西側には、この水路とつながっていた別の水路の、はっきりとした暗渠が残っている。この場所は10年位前までは、今よりも放置された感が漂っていた(上の図のポイント「東側の流路2」付近)。
奥まで入っていくと参宮橋駅のホームに突き当たって終わってしまう。ホームの脇には小さな区民菜園がある。擁壁の下部には大谷石の石積みが残り、川跡の雰囲気を色濃く残している。
大谷石の上で、ニホントカゲが日向ぼっこをしていた。
河骨川に限らず、宇田川流域はかつて水田だったこともあり、その流路は幾筋にも分かれ、網の目のように絡み合っていた。関東大震災後の宅地化に伴う区画整理などにより、流路は次第に改廃整理され、東京オリンピック前後の暗渠化直前には、現在暗渠として辿れるような各支流1本の流路にまとめられた状態となっていた。流路がまとめられる前は、それぞれの流路はもしかしたら今の川の呼び名とは異なる様々な名前で呼ばれていたかもしれないし、逆に、当たり前にそこにあるものとして、特に呼び名などなかったのかもしれない。
これらの流路を、1935年(昭和10年)に刊行された地籍図をもとにプロットして、段彩図に重ねてみた。初台川流域はすでに区画整理が済んでおり川筋が1本にまとめられているが、河骨川や宇田川の上流部など、谷幅いっぱいに水路が錯綜していたことがわかる。
google mapにプロットしたものはこちらを(目視プロットで、元の図が縮尺や方位がバラバラで断片化されているため、必ずしも正確ではない部分があることにご留意を)。
宇田川水系の暗渠を辿っていると、本流以外にもあちこちに怪しげな路地が見つかるのだが、それらはかつての網の目に分かれていた流路の痕跡なのだろう。いずれそういった痕跡も紹介していきたい。
なお、この地籍図では初台川に架かる「初台橋」が「金冠橋」と記されていた。新たな謎がまたひとつ・・・
商店街にある中華料理店の隣に約一軒ぶん欠けて妙なスロープになった場所がありますが、以前はここを下ると川跡(コンクリートの蓋掛け)まで行くことができました。
最近ではとても入っていけない雰囲気になっていますよねえ。
奇しくも今日午前中、NHKそば(深町)の宇田川傍流を歩いてきました。
工事が進んでいて、立ち寄った先のビルから見下ろしたらちょっとした発見をしました。(個人宅なのでちょっと公開しにくいネタですが)
和泉川、代々木川など同様、ココも並行する水路などが交錯していたのですね。確かにそれっぽい雰囲気、感じてました。その頃の光景を想像すると…スゴイですね。
スロープは、近くにあるAmPmの向かいにあります。
ヒマラヤカリーの脇に入っていくとこのスロープの底につながっているという、まあ抜けてみればごく当たり前のルートです。
ただ、スロープ側からは昔からちょっと入りにくかった(なんせ店の裏側のさらに奥ですから)ので、始めて踏破したときは妙な達成感がありました。どっちから入っても不法侵入ですが‥‥もう時効でしょう(早っ)。
少し場所は離れますが、この谷の最上部には牧場があったようです。(代々木3-43、同59が形成する四角)
空港なんかでもそうですけど、広大な平坦地にはそれなりの排水路が必要なわけで、この谷筋を利用していたというか、そもそも平坦地のそばには谷がつきものというべきか。いずれにしてもここに切通しで小田急が開通したことで、その地形はだいぶわかりにくくなってしまったことになります。
http://maps.google.co.jp/maps?q=%E5%8F%82%E5%AE%AE%E6%A9%8B&oe=UTF-8&ie=UTF8&hl=ja&hq=&hnear=%E5%8F%82%E5%AE%AE%E6%A9%8B%E9%A7%85%EF%BC%88%E6%9D%B1%E4%BA%AC%EF%BC%89&ll=35.678468,139.693083&spn=0,0.007221&z=17&brcurrent=3,0x60188ccc59018bad:0x501ad46a878e4cb0,0&layer=c&cbll=35.678513,139.693177&panoid=HG33DhHu42Xv7wTV5tnhMg&cbp=12,156.7,,0,16.5