仙川に並行する傍流の暗渠(1)地図に描かれた水路を求めて
2011年 06月 10日
いったん気がつくと気になって仕方ない。水路の前後の道路のかたちなどを見ると、おそらく仙川の分流のようではあるが、いったいどうなっているのだろう。多摩方面に所要のあった帰り道、途中下車して現地を確認してみることにした。
仙川駅から東へ向かって歩くこと5分ほど、甲州街道から旧道が分岐し、坂を下って仙川を渡る大川橋に至る。上流方向を見ると、甲州街道の仙川橋越しに、かつての水田を潰して造成された緑ヶ丘団地が並んでいる。夕空に浮かび上がる給水塔が印象的だ。仙川を流れる水は、ここから1kmほど上流の川沿いにある三鷹市東部下水処理場からの再生水を受け、水質はあまり良いとはいえないものの潤沢だ。

大川橋から西に30mほど、仙川の右岸側からやや離れて並行する住宅街の道路沿いに蓋をされた側溝のような水路があった。これが、地図上でみた水路に繋がっているはずだ。ここより北側、上流方向には水路の痕跡はなく、そのすぐ先は仙川なので、やはり水路はこの辺りで仙川から分けられていたのだろう。

はじまりはふつうの側溝と見分けがつかないくらいの幅だったコンクリート蓋暗渠は、下流方向に進んでいくにつれやや幅広となり。

そして、橋の痕跡があったその先には柵に囲まれた幅2、3mの緑地帯が現れた。

緑地帯の中を見ると、中央に蓋のとれた水路が通っていた。これが地図に描かれていた青いラインに相違ない。幅は狭いが、深さは結構あり、底には水が溜まっている。両岸の緑地には緩やかなV字の傾斜がついている。かつてはもっと幅のある流れだったのだろう。

水路は50mほど続いた後、京王線の線路にぶち当たり、その下に潜っていく。はてこの先や如何に。

ぐるっと遠回りをして線路の南側に回りこんで見てみると、そこにはしっかりと、小さな鉄橋が掛っていた。手前には草生したコンクリート護岸の水路がわずかな区間続いた後、暗渠の中へと消えていた。これが本来の川幅なのだろうか。

鉄橋より下流側は、車道沿いの平凡なアスファルト歩道となって、左手(東〜北側)を流れる仙川とは一定の距離を置きながらくねくねと曲がり東へ続いている。

仙川と反対側(西〜南側)は少し路地に入ると段差となっていて、風情のある階段もいくつか見られた。

すでに埋め立てられてしまったのだろうかと思いつつ、くねくねと曲がる歩道をしばらく進んでいくと、突然歩道がコンクリート蓋暗渠に姿を変えた。

そのまましばらくコンクリート蓋暗渠が続いていく。隙間なくしっかり並べられた蓋はそれほど古くはなさそうだ。

途中に設けられた点検孔は通常世田谷区で見られる区の紋章入のものではなく、まだ錆びていない新しそうなもの。

蓋暗渠は100mほど続いたのち、鬱蒼と茂る森に突き当たって途絶えた。

森は「六所神社」の鎮守の森であった。かつての給田村の村社であり、16世紀に、府中の六所宮(現・大国魂神社)を分霊したとの伝承が残っているという。境内は広く、拝殿はあまりみかけない神明造をしている。

神社の敷地の北側を見ると、烏山小学校との間に車止めで区切られた未舗装道が続いていた。水路はどうやらここを流れていたようだ。

200mほど進むと仙川にぶち当たった。護岸には排水口が口を開けており、かつてここで合流していたのだろう。すぐそばには「黒橋」がかかっている。

あとから古地図やgooの航空写真で改めて確認してみると、やはりこの水路は仙川橋のたもとで仙川から分水された、いわゆる上げ堀(川沿いの水田に水を引き込むための水路)だったようだ。かつては水路と仙川の間の低地には水田が広がり、水路の右岸側の丘陵には雑木林の生い茂る長閑な風景が広がっていた。1963年の航空写真を見ると、水田は潰され始めているが、まだ改修前の仙川は複雑に蛇行していて、今回たどった水路もコンクリート梁を渡したはしご状の水路として、はっきり写っている。
そして、今回帰り際に気がついたのだが、仙川の左岸(北〜東)側にもおなじような上げ堀の名残であるコンクリート蓋暗渠があり、その下流は意外なところまで続いていた。数日後にこちらもたどってみたので、記事にしてみようと思う。
かつて南国系の植物を植えるのが流行したようなのですが、シュロなどの他はほぼ消えつつありますね。
それからこの近くで、二羽のニワトリが放し飼いになっているのを目撃しました。
たまたま逃げてきたものなのか、いつもそういう状態なのかはわかりませんでしたが。
バナナですか。あの場所に似合いそうですね。見てみたかったなあ。シュロは実家にも生えてます。子供の頃は、メダカの産卵用にシュロのヒゲをよく洗って入れる、みたいなのが本などに出てましたが、それだかけ普及してたんでしょうかね。
見られてきましたか。


