丸子川に注ぐ「籠谷戸(ろうやと)」の流れをたどる-高校を抜ける湧水暗渠
2011年 06月 30日
護岸を見てみると、右岸側に合流口があって、そこからかなりの量の澄んだ水が音を立てて流れ落ちていた。
合流地点に行き北側を見ると、住宅地の間の細い隙間にコンクリートの水路があり、結構な速さで水が流れていた。水質や川底の様子などから見て、これは湧水に違いない。一体どこから流れてきているのだろう。
川沿いに進むことができないので、"コの字ウォーク"(lotus62@東京peelingさん命名)で上流へと遡っていく。丸子川から1本北東側の道路に行くと、緩やかなV字の谷を描いている。
谷底には水路の続きがあった。まだ先へと辿れるようだ。
再度"コの字ウォーク"でもう一本北東側の道へ行ってみる。先の道よりもV字谷が深くなってきた。この道は両側を田園調布雙葉学園に挟まれていて、上流にあたる側(写真右)は擁壁となっている。谷底に降りて丸子川側(写真左)の学校敷地内を覗き込んでみるが、水路らしき草むらが見えるものの良くわからない。
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このときは、上流側に擁壁があることもあり、敷地内に水源があるのだろうと判断し、追跡をやめた。だが、後から調べてみるとこの谷筋は「籠谷戸(ろうやと)」と呼ばれるすり鉢状の急峻な谷で、水源もどうやらさらに上流にあるようだということが判った。そこで、機を見て再び現地を訪れてみた。
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まずは前回の道よりさらに一本北東側の道に向かう。この道も両側が田園調布雙葉の敷地となっているのだが、上流側の敷地内に、タイルでカモフラージュされた暗渠らしき蓋の列が続いていた。
この地点では谷の本筋は東へと向きを変えていて、北東側には枝谷が刻まれている。そちらの谷底には、あからさまなコンクリート蓋暗渠が残っていた。大き目の柵が設けられているものの、中は真っ暗で見えなかった。こちらは数十mで姿を消してしまうが、かつては枝谷の水を集めて合流していたのだろう。
もとのカモフラージュ蓋に戻る。奥を良く見ると、延長線上に水面が光っているのが見えた。この蓋が暗渠であることは確定だ。さらに背後に山のように見える家々は、谷を囲む崖線の標高差がかなりあることを示している。
通り抜けできそうではあるのだが、不審者と思われても面倒なので、またもや"コの字ウォーク"で、蓋暗渠の上流端側に回りこんでみる。足元の雨水枡からは音を立てて流れる水が見える。
振り返ると、反対側には下流と同じような姿の水路があった。隙間を縫って清冽な水が流れてきている。じっくり見たいが、すぐ隣の家の犬が吠えてくるので落ち着かない。ここもまた水路沿いに進むことができないので、更なる"コの字ウォーク"が要求される。
蓋暗渠の上流端の雨水枡には、この水路からの水のほか、右岸側からも道路脇のL字溝下の雨水用U字溝から、かなりの水が流れ込んできていた。"コの字ウォーク"がてら、こちらの水源を探ってみる。ところどころ設けられている柵から中を流れる水を確認しながら辿っていくと、吹上緑地と名付けられた猫の額ほどの緑地に出た。この緑地の前の雨水枡に、緑地側から湧水が流れ込んでいるのが確認できた。
下の写真は少し下流側の雨水枡の様子。水が綺麗だ。
さて、"コの字ウォーク"でたどり着いた、谷を横切る次の道はこんなに凄いV字坂となっていた。
谷底まで降り、谷の下流方向を見てみると、護岸に沿って暗渠らしき空間があった。
暗渠の柵を覗き込むと、水が勢いよく流れていた。隙間から差し込む陽を受けて湧水で育った植物が花を咲かせている。
暗渠空間の奥は段差をつけながらかなり急な下りとなっている。どこか途中で水路が姿を現すのだろう。
そして上流側はコンクリートで覆われた崖となっていた。坂の傾斜を示す「28%」と記された標識が立っていた。角度に換算すると約16度。
崖の下、V字の谷底には2つの雨水枡が並んでいた。そして奥の枡が、水路を流れる水の水源だった。枡のの中で湧き出した水は、手前の枡に流れ込んでいた。
手前の枡の蓋が簡単に持ち上がったので、隙間をつくって撮影。澄んできれいな水が絶え間なく注ぎ込んでいる。
崖の先はさらに急になっていて、上り切ると台地の上に出た。籠谷戸を振り返ると、丹沢の山々、そして雲の間からはぼんやりと富士山が頭を覗かせていた。
さて、最後に段彩図を見ながら全体像を振り返ってみよう。今回辿った流路の全長は400mほど。丸子川との合流地点は標高13mほどだが、湧水が流れ出す地点は34mと、わずかな区間で20m以上の標高差。そして湧水地点の背後の崖線上は標高45mにもなり、国分寺崖線の段丘上のなかでも一段と高くなっている。この台地は「田園調布台」と呼ばれていて新宿付近の「淀橋台」とならび、往年の多摩川が削り残した古い台地だ。
水源の湧水はその台地の下に湧き出していて、都の湧水台帳にもしっかりと掲載されていた。2006年からは大田区が毎年調査を行っていて、季節により変動するがおよそ毎分30リットル前後の水が湧き出しているという。
台地の上には「玉川浄水場」がある。取水口は東急東横線が多摩川を渡る地点の上流側に見える堰(調布取水施設)だ。水質の悪化により、1970年以降飲用水の供給を停止していて、現在は通常は工業用水を提供している。沈殿池も蓋をされたり埋められたりしているようだ。水源の湧水にここからの漏水が混じっていることも考えられなくはないのだが、水質調査のデータからは、少なくとも地下にある程度滞留した水が湧き出しているように見える。
そして水路の流れる「籠谷戸」。この谷は16世紀中ごろまで、多摩川の入り江だったという。そして、様々な物資がこの入り江を利用して荷揚げされ、現在の九品仏・浄真寺のところにあった「奥沢城」まで運ばれたという。国分寺崖線の下はもともと多摩川の氾濫原で、丸子川は六郷用水の残存水路ではあるのだが、もとを辿れば多摩川の往年の流路の一部でもある。「籠谷戸」が入り江だった頃は、多摩川が現在の丸子川の辺りまで、北に寄って流れていたということだろう。谷戸の底は長い間、水田として利用されていたようで、戦後、1970年代半ば頃までは先のカモフラージュ暗渠の脇、現在学校の敷地となっているところは釣堀となっていたようだ。いずれも谷に湧く湧水を利用していたのだろう。
(数値地図5mメッシュ(国土地理院)をgoogle earth「東京地形地図」からキャプチャ)
丸子川沿いには他にも湧水の流れ込む水路が数多く見られた。その中のいくつかをピックアップして、引き続き紹介していきたい。
てっきり玉川浄水場の余水路の跡だと思っていましたので、もはやつながっていないものだと‥‥。
くあぁ、くやしいっ。
かくなる上は私が女子高潜入してきますっ。
あのとき玉川浄水場との関係の可能性を示唆していただいてなければ、気が付きませんでしたよ。感謝です。女子高はお嬢さん学校でなかなかハードルが高い感じです。
最初に見つけたときはなかなか興奮しました。
・・・そうかぁ、こんな奥まで続いていたのかぁ。。。
(余談ですが)丸子川の方は、世田谷区と大田区とで
護岸の手入れの仕方がくっきり違っていた記憶があります。
2枚目の場所、あの水量はちょっと興奮ものですよね。水路の先は、いったん学校の敷地で完全に姿を消すので、なかなか気が付きにくいかと思います。
上流の湧水地点見つけれられるとこ読んでいると、こちらまで感動します。美しいところですね。
(あ、ところで「コの字…」はどうぞお断りなど不要ですからフツーにお使いくださいw「コの字」という言葉も確かリバーサイドさんがどこかで使われてたものですしwwお気遣い感謝いたします)
雙葉学園!!
あそこが急なV字坂になっていることは気がついてましたが、まさか暗渠を追えるとは思いませんでした!!!
そして、「こんなに凄いV字坂」のあの坂!!!!
まさに私がこのページ(http://ankyoneko.exblog.jp/14345402/)で「高低差がハンパない」として紹介させていただいたV字坂でした!!!!!
もうピックリマークが足りなくなるくらいの驚きです。
まさかこんな風に繋がっているなんて・・・。
改めて、「東京のV字谷はたいてい暗渠として追いかけられる」ということを再確認しました。
せっかくの湧水なので、もう少し整備保全してもいいかとは思いますが、見つかったときはなかなか達成感がありました。
猫またぎさんが喜びそうなV字谷だなあと思っていたのですが、すでに訪問済みだったんですね。見落としてました。さすが!
雙葉のことでしたか!あああ、知り合いのお嬢さんが行っていた・・・けれどもう卒業しちゃったかなあ。学園祭等について調べて、潜入できるものならしたいっすねー。
湧水、やっぱりキレーですねえ~~。
友人からも、知り合いに関係者がいるよとのタレコミがありました(笑)。きれいな湧水なので、もうちょっと存在をアピールしてもよいのではないかと思いました。