東京都内の中小河川や用水路、それらの暗渠、ひっそりと残る湧水や池をつれづれと辿り、東京の原風景の痕跡に想いをよせる。1997年開設の「東京の水」、2005年開設の「東京の水2005Revisited」に続く3度目の正直?


by tokyoriver

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 水で満たされた心休まる風景をひととわかちあいたく、記した。

 水田風景に惹かれてしまう。関東平野ど真ん中のような広大で整然とした水田ではなく、山里の斜面に地形に沿って拓かれた水田や、曲がりくねったあぜ道の残るような水田。
 都区内の暗渠沿いの谷戸とは言い切れないような浅い谷戸にも、1950年代までは生きた川とともにそんな風景が残っていたのだろう。都心部であれば20世紀初頭頃までか。しかし、1970年代に新宿副都心のビルの森の増殖と共に生まれ育った私には、そんな風景は身近にあるはずもなく、とうに失われた昔話の中だけの原風景であり、暗渠の風景を介して幻視するしかない。
 それでも水田の風景に惹かれてしまうのはなぜだろう。母方の田舎は赤城山麓にあり、山の裾野に水田や用水路、鎮守の森の風景は確かにあった。幼少時の夏休み。水が張った水田でアマガエルをたらい一杯に集めた思い出。でもそこは決して私のふるさとではない。はっぴいえんど「夏なんです」で、松本隆が母方の田舎の風景である伊香保の風景の記憶を参照したのと感覚が近いのかと勝手に想像してみたり。

 さて、新宿から電車で3、40分ほどの東京郊外、府中市から国立市にかけて、水の流れを求めて歩くと今でもそんな田園風景をところどころで目にすることができる。比較的有名な、国立市谷保の「谷保田んぼ」の風景に出会ったのは1989年、高校3年の夏であった。大学受験から逃避するようにその風景を8mmフィルム映画の背景として収め、それ以来時折訪れている。以前に比べればだいぶ水田は減ってきたが、今でも夏になるとあちこちで、水が満ち溢れ稲穂が風にそよぐ風景が見られる。これらの水田を潤しているのが府中用水だ。国立市青柳で多摩川から取水し、かつての多摩川の氾濫原であった立川段丘下の低地に、かつての多摩川流路跡の微低地などを利用しながら網の目のように水路を巡らせている。
 そして府中用水給水域の南側一帯を補完するように流れているのが本宿用水・四谷用水だ。二つの用水は西府用水組合が管理し、あわせて「四ツ谷他二ケ村用水」「西府用水」とも呼ばれている。府中用水と同じく、田植え前の5月から稲刈り前の落水期の9月まで、多摩川から水が引かれ無数の水路に水がいきわたる。素朴な素掘りの水路、コンクリートの溝、暗渠、さらには一見道路の側溝にしかみえないようなところまで。一方、秋から春先にかけては水門は閉ざされ、水路から水は消え去る。生きている水路と今は廃止された水路、用水路とただの側溝を見分けるためには通水期に訪れることが必要だ。そしてもちろん美しい水田風景を見るためにも。谷保に見られるような昔ながらの水田風景は、府中用水流域よりもむしろこちらの方に多く残っている。

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 ここ数年、通水期になると府中用水や昭和用水など、多摩川から引かれた灌漑用水の流れを辿って歩き回っていたのだが、今年はこの西府を流れる水路たちに興味が赴き、徒然なるままに水路を辿っている。その中で直近最も気に入っている、四谷用水の水系の一つ「新田堀」の風景をここに綴っておこう。上の地図から新田堀の流域を拡大したのが下の地図だ。
 本宿用水・四谷用水は現在国立市泉2丁目に設けられた本宿圦樋で多摩川から水を取り入れている。かつては別々に多摩川に堰を設けており、四谷用水は上堰と下堰の2ヶ所から水を引いていた。下堰は今でも導水路の跡をたどることができるものの、前者は跡形もない。今では本宿用水の取水堰から200mほど進んだ「三屋上」の暗渠に設けられた水門で本宿用水から分岐して四谷用水の流路は始まる。
 水路は暗渠を500mほど流れてすぐに、古屋敷堀と中新田堀に分岐、中新田堀を1kmほど下って日新小学校前で囲堀を分岐した先が、新田堀と呼ばれる流路となる。
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中新田堀は大部分が暗渠で、歩道や遊歩道、コンクリート蓋暗渠の路地となっている。
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新田堀の始まり、日新小学校前の囲堀分岐点。新田堀は歩道となっていて、右手の柵のところで囲堀が分かれている。水面は茂みに隠れて見えない。
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新田堀の暗渠は整備され「四谷緑道」となっていて、とてもその下を水が流れているようには見えない。
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しかし緑道の終端でその先を見れば、道路を越えた先に新田堀の水路が姿を現す。さっそく左側に細い水路を分けている。
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 横断歩道の少ない野猿街道を大回りして東側に抜けると、見事な田園風景が広がっている。まずは先ほど分かれた分水路。緩やかに弧を描く流れは細いが、水面はすぐそばの水田と連続して広く感じる。
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 野猿街道を少し南下すれば新田堀本流だ。川幅は比較的広い。写真の地点では、右側から小学校前で分かれた囲堀の水の大半が勢いよく流れ込み、そのすぐ先で2本の支流を分けている。
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 そしてこちらは囲堀。水田の中を伸びる水の道の奥には屋敷林も見える。一面水と緑の広がる風景は清々しく、どこか遠くへ旅に出ているかのような錯覚に陥る。
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 すぐそばには中央高速道が通り、国立府中インターチェンジも間近にあるような一角に、このような風景が残っているとはなかなかに感慨深いものがある。
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木陰を滔々と、多摩川からの水が流れていく。吹く風は涼しく、いつまで眺めていても飽きない。
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 囲堀との合流地点で分かれた2つの水路を少し追ってみよう。ひとつは道端に沿って、最初はU字の大き目の側溝を、そしてやがて素掘りの溝を流れていく。道との境目が自然であいまいなのが好ましい。
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その水は小さな水田に注ぎ、住宅密集地に入る直前で暗渠となっている小野宮大堀に合流する。
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 もう一つの水路は屋敷林を抜け、水田の真ん中を緩やかに蛇行しながら流れていく。鮮やかな緑の中に点在する白はシラサギだ。狙っているのはザリガニか、もしくは用水経由で入り込んできた小魚か。
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 下流側から蛇行を望む。うっとりするような土揚敷のカーブ。豊かに流れる水。生命感に満ち溢れている。冬になると水路が干上がるのが信じられない光景だ。
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さて、新田堀の本流に戻ろう。先ほどの木陰の先、流路は中央高速道の下を潜って北側へと抜けていく。
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 高速を抜けた先はしばらく、高速の側道の歩道下を暗渠となって流れる。こちら側にも高速と住宅地に挟まれて、湖のような水田が広がっており、暗渠に設けられた口から田んぼに水が注ぎ込み、また何本か分流がその中を横切っていく。遠くに見えるのはNECの事業所だ。
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 新田堀本流も途中から暗渠を抜け出し、水田を横切っていく。水田エリアの東側は稲作から畑作に転換していて、とうもろこし畑が見られる。水田がなくなれば水路の役割も終わりだ。
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 NEC府中事業場の南側を抜ける道路に突き当たる地点で、新田堀は暗渠となり、道路の北側に沿って流れる本宿用水の暗渠に合流する。ここでも分水が分かれていて、道路南側に沿って側溝のように流れていく。かつては新田堀はここで本宿用水には合流せず、もう少し東へと流れたのちに新府中街道と中央高速の交差する分梅町4丁目で、府中用水新田川に合流していた。ここでの分流の流末は、その流路をなぞっている。
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 NECの前を流れる本宿用水の暗渠。雑草が伸び、やや荒涼としている。ところどころに設けられた柵を覗き込むと、中を水が勢いよく流れている。これらの水は府中用水の水系に注いている。
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 半ば都心に生まれ育った者としての宿命のように、失われた水の流れを追い続けてきているが、こうして今も水の流れる風景の中を歩くと、自分は多分暗渠よりも、小川のせせらぎが好きなのだろうとつくづく思う。暗渠にはどこか内省的な思考や想像力をもたらす効用があるし、見えない風景を幻出させるが、リアルに流れる、都心の川からは失われてしまった水の風景の輝きは直接的に心を洗い、清々しくさせる。

稲穂が頭を垂れ始め、用水路の送水が止まる直前にまた訪れてみよう。





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by tokyoriver | 2018-06-26 22:18 | 府中の用水と川 | Comments(2)
ブログでは3年ぶりの新規記事となります。リハビリがてら、昨日訪問したところを敢えて細かいことを記さずにtweet的にサッと載せてみました。

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多磨霊園のそば、平坦な立川段丘の上にこぶのように盛り上がる浅間山。古の多摩川が削り残した残丘として知られているが、その周囲に、流末のない川の跡が残っている。

普段は涸れていたり、わずかばかりの湧水が流れる程度で、大雨の後には砂漠のワジのように水が流れる。しかしその流末は地面に吸い込まれ、他の川に繋がっていたりということはない。そんな川を武蔵野台地上では「野水」と呼んでいた。かつての仙川の上流部(下流までは繋がっていなかった)や、白子川の上流「シマッポ」などがその代表例だろう。

この浅間山周辺の野水は「野溝」と呼ばれていた。2つあった流れはいずれも現在では埋め立てられたり暗渠になっているが、、北側のものは奇跡的に最上流部が残っており、下流も変化に富んだ暗渠として辿ることができるので、追ってみよう。こちらは主に浅間山山麓に湧き出す水を集めていたらしい、そしてその流れは現・府中市紅葉丘2ー33付近の雑木林の中で自然に消えていたという。
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府中市若松町5丁目、浅間山の南側を切り開いた明治大学のボールパークの南に沿って進む道沿いに怪しい歩道が現れる。

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道は浅いV字に窪んでおり、その一番低いところの南側の公園の下に、柵をされた半円の穴が空いている。

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穴は公園の地下を抜け、反対側に出ている。そこには細長く深い敷地がある。いかにも水路のようだが・・・

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公園の植栽をかき分け南側の畑地を眺めてみると、かなりの規模の窪地が続いていた。これが野溝だ。特にコンクリートの溝や改修水路が設けられているわけではなく、簡易な土どめがあるだけの窪みとなっている。おそらくかつての野水の様子をそのままにとどめている、奇跡的な風景だ。大雨が降ると、先ほどの穴からこの窪地に水が流れ込むという算段だろう。

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右手の丘の上は人見稲荷神社。伝承によれば鎌倉期より続く古い社だ。

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野水は南側の住宅地の脇まで続く。

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その先も道を横切って畑地の脇の窪地となるが、道の下をくぐる水路は側溝程度の幅。おそらく水は先ほどの場所で地面に吸い込まれるのだろう。



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残念ながら水路が残っているのはここまでだが、浅間山通りの東側に渡ると、今度は暗渠として辿ることができる。道端からは雑草が生い茂り、いかにも湿度が高そうだ。


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暗渠沿いをよく見ると玉石を積み上げた護岸が続いていたり、


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欄干跡のようなものも残っている。

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路面からは雨の後もなかなか水が引かないようだ。


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暗渠は府中第10小学校の前でいったん車道の歩道になるが、学校の敷地を左側に回り込むと再び暗渠の路地が始まる。

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路地は途中から下り坂の未舗装の路地になり。。。

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宅地のブロック塀に挟まれた隙間へとなる。通り抜けられそうにないので回り込む。

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回り込んだ先はこんな感じ。奥が前の写真の場所だ。

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下流方向を振り返る。畑との境界が曖昧になっている。これより先を直接辿ることはできないが、住宅地の隙間や、多磨寺の敷地境となっているようだ。

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多磨霊園のすぐ近くまで来ると、このような隙間空間が確認できる。

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そしてこの隙間空間は最終的に、多磨霊園の正面の通り沿いの石材店の勝手口として終わる。かつてはちょうどこの辺りで流れが地中に染み込まれて姿を消しており、それが今でも暗渠(水路跡)の終点となっているのが面白い。

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一説によればここで伏流水となった流れは、水量が多い時には調布飛行場の北側で姿を再び現し、野川へと流れていたという。今でも府中飛行場敷地北側に直線状に、周囲の雨水などを集める排水路がある。(下の地図右側参照)

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浅間山の西側に発するもう一つの野溝についても、いずれ取り上げよう。



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by tokyoriver | 2018-06-17 21:11 | その他のエリア | Comments(2)