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東京都内の中小河川や用水路、それらの暗渠、ひっそりと残る湧水や池をつれづれと辿り、東京の原風景の痕跡に想いをよせる。1997年開設の「東京の水」、2005年開設の「東京の水2005Revisited」に続く3度目の正直?新刊「東京「暗渠」散歩改訂版」重版出来!


by tokyoriver
 前回の本宿用水新田堀の記事に続き、今回は同じ本宿・四谷用水(西府用水)のうち、四谷用水の下流部を追ってみよう。前回から一転し、今回は暗渠が中心となる。

 前回も記したように、かつての多摩川の氾濫原であった立川段丘下の低地には、かつての多摩川流路跡の微低地などを利用しながら網の目のように水路が巡らされている。国立市南部と府中市中南部を潤す府中用水、そして府中市西南部を流れる本宿・四谷用水(西府用水)。いずれも現在も稲作に利用されている現役の農業用水だ。
 府中市の資料(※)には一帯の用水路のルートが細かく記されている。しかし、それらは主要ルートに過ぎず、実際に現地で確かめるとその数倍もの水路があることがわかる。そして資料は30年以上のものであり、その後の都市化や区画整理、大きな道路の開通などにより記載の流路にも改廃が発生している。(※「府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前」1985年)
 下の地図は資料に掲載されている用水路をオレンジのマーカーで、実際に現地調査で確認した水路(開渠・暗渠)もしくは水路跡を、四谷用水系を緑、府中用水新田川系をオレンジ細線で記している。いかに多くの水路があるかがわかるだろう。

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 そして明るい緑で塗りつぶしてあるところが今年の夏に水が張られていた水田だ(こちらも現地確認した範囲なので、多少漏れがあるかもしれないが)。宅地化の進行や畑作への転換で、水田は年を追うごとに少なくなってきており、西府用水組合でいうと2004年に29haあったのが、2013年のデータには22.4haと、9年間で2割以上の減少となっている。それでも四谷や住吉地区の四谷用水系沿いには今でも水田が点在しているが、新府中街道より東側に抜けるとほとんどないことがわかる。四谷用水でみると、その緑色の系統が収束する地点である南町4-30に唯一、水田が残っている(水色の丸で囲った、地図A及びaの地点)。

 水田は2本の用水路に挟まれ、たっぷりと水が供給されている。傍らには水田を借景にした船のような形の低層マンションが建っている。北側を流れる水路は水面が見え(下の写真)、南側を流れる水路は暗渠だが水田へ水を導く口が設けられている(写真は後に掲載)
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 2つの水路に流れる水は、一体どのような経路を通ってきているのだろうか。周囲には用水路がいくつか流れているが、それらはほとんどの区間で蓋がされ暗渠となっている。中には道路の歩道の下に隠れてよくわからない区間もある。これらの中には現在は用水路として使われておらず水が流されていなかったり、放棄されて空き地となっているだけのところもある。そして、現役の暗渠も稲刈りの後田植えまで、つまり秋から春先までは通水が止められていて、利用されなくなった暗渠と区別がつかない。それを見分けるには夏の間、開渠区間や暗渠の蓋の隙間から、水が流れているかどうかを確認しながら追うことが必要だ。というわけで一つ一つ水路をたどり、暗渠に設けられた柵や隙間から、水が流れているか見て回った。
水路が複雑なので、上の地図画像を別ウィンドウで開いて地点を参照しながら読んでいただくとわかりやすいかもしれない。

◾️北側の水路

 水田エリアの入り口となるB地点より上流は水路は暗渠となっている。写真左側にはここで合流する水路があったが現在は埋め立てられ空き地や道路となっており、暗渠の方から水が来ているのは明らかだ。柵の中を水が流れるのも見える。
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 暗渠の上は通れないので回り込み、C地点へ。ここでは池の川からの流れ(右側)と中河原大堀方面(左側)からの流れが合流している。またかつては府中わかば幼稚園方面への流れが分岐していたが、埋め立てられていた。そして暗渠蓋の隙間を覗き込むと、池の川からの流れは通水がないことがわかった。中河原大堀方面からは水が音を立てて流れている。
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 住宅地の隙間を縫って暗渠は多摩川の水を運ぶ。
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 地図D地点。下河原大堀方面からの流れ(右)と中河原大堀方面からの流れ(左)が合流し、右手前へと流れている。左手前に伸びる柵の間のわずかな隙間は、B地点で合流していた水路の跡だ。さて、水はどうなっているか。近寄れないのでまた迂回し2つの流れを上流側で確認する。
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 E地点の水路。「用水」と記された鉄蓋もありしっかりした暗渠だが、柵となっている部分から水路を覗くと、カラカラに乾いている。つまり、中河原大堀からは水は来ていない。とすると下河原大堀方面からの流れから水が来ていることになる。
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 少し引き返してF地点。水が流れているであろう下河原大堀方面からの暗渠が道路を横切る。E地点の暗渠に比べかなり細いが、本当に流れているのか。
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 迂回しながら暗渠を追っていくと、京王線の北側に出る(G地点)。線路をくぐりぬけて来たところで、たっぷりの水を確認することができる。
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 H地点。どう見ても道路の側溝としか思えないが、隙間から覗くと水が勢いよく流れている。
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 I地点でようやく水路が姿を現す。
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 水路は一旦暗渠になるが、新府中街道を越えた裏手で、再び姿を現す(J地点)。これより上流は下河原大堀と呼ばれる水路となっている。手前に向かって水路敷が扇型に広がっているが、これはかつて左方向に水路が分かれていたからで、現在は塞がれている。そしてそちらが資料では本来の下河原大堀となっている。つまり、下河原大堀はここより下流は廃止され、今ではここまで辿って来たルートにその水の末端を流しているということになる。
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 水田の脇を下河原大堀の水路が抜けていく(K地点)。これより上流、水路は再び暗渠に、そしてさらに開渠へと戻って中河原大堀との分岐地点に至る。それよりさらに上流は「四谷用水大堀」と呼ばれる区間となる。
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 いったん、ここまでで判明した水の経路を地図に記しておこう。水色が水が流れているルート、×印がつけてある水路は今は水が流れていないところだ。参考にしやすいよう、次の章のエリアも含めてある。
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◾️南側の水路 

 次に水田の南側を通っている暗渠の水がどこから来るか遡って探ってみよう。こちらの水路は資料によれば下河原大堀の下流にあたり「南堀」と呼ばれた水路だ。
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 遡っていくと、水田の側と同じ、白い鉄板の蓋や柵のふたがされた状態が続いている。畑の傍の木陰を流れる水路はかつては前回の記事に載せた本宿用水新田堀の分流のように、水田の傍を流れる素掘りの水路だったのだろう(b地点)。
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 c地点で、コンクリートの重そうな蓋がかかる水路を分ける。こちらは北側水路で確認した涸れた水路(E地点)へと続く。ここで分岐地点の蓋の隙間を覗き込んでも、やはりE地点方面には全く水が流れていないことがわかる。
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 さて、鉄蓋の下の流れはc地点よりやや上流で、下河原大堀からの流れと、中河原大堀の分流の流れが合流している。こちらも暗渠上は辿れないので回り込み確認することとなる。北側水路J地点で確認したように、下河原大堀の最下流部は現在水が流されていない。その流れを念のため確認すると、中川原駅南側に、雑草に埋もれた梁のわたされた水路が残っていた(d地点)。
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 では中河原大堀方面から来る流路はどうか。e地点では「用排水路につき通行はご遠慮ください」と看板の立てられた水路が確認できる。しかし暗渠上は雑草に覆われ、とても水が流れているように見えない。
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 しかし、本来の中河原大堀を暗渠化した路地を辿って、分岐地点まで来てみると(f地点)、暗渠は白い鉄板の蓋を露わにし、柵から覗き込むと水がたっぷりと流れている。そして本来の中河原大堀方面(右側)には水は全く流されていないことがわかる。下河原大堀と同じくこちらも流末で水の流れが変えられているということだ。
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 中河原駅駅舎から流れ来る中河原大堀の暗渠(g地点)。大堀というには細い路地だ。そして駅への抜け道となっていて絶え間無く人が行き交う。写真を撮っていると近所に住んでいるというご婦人から声をかけられた。平成に入る頃までは水路が見えていたこと、息子さんが何度もその水路に落ちたこと、周囲は水田だったことなど、貴重なお話を伺えた。
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 中河原駅の北側では、中河原大堀は四谷通りの歩道を暗渠となって流れているという(h地点)。写真右側の歩道のはずだが、一見ただの歩道にしか見え図、本当にここを水が流れているのか、疑心暗鬼になる。
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 しかし路上には2箇所ほど点検用か何かの鉄蓋があって、中を見ると水がしっかり流れていた。(i地点)
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そして暗渠はやがて四谷通りからそれ、中の水路が姿を現す(j地点)。
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 姿を現した中河原大堀。水路沿いには水田が広がる(k地点)。水田の反対側には先ほど遡った下河原大堀の分流(開渠)と本流(暗渠)が並行して流れている。
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 それぞれの水路をもう少し遡りたいところだが、図版の点数がだいぶ多くなってしまったため今回はここまで。最後に今回辿った2つの水の流れを、関連する周辺の水路も含めて図に記してみよう。水色が現在水が流れている区間、ピンクが現在は通水されていなかったり、廃止された区間だ。緑は最初の地図に示した通り、今年水を張っていた水田。こうしてみると、水が流れなくなった区間も多いが、現在水田が残っているところには確実に水が行き渡るように通水されていることがわかる。そして下河原大堀も、中河原大堀もその流末の水の行く末は現在の土地利用状況に対応するように、変えられていることがわかる。
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 都心部と違って、現役の暗渠と引退した暗渠が混在するエリアならではの、ちょっとした水をめぐる探索、如何だったろうか。





# by tokyoriver | 2018-07-04 23:11 | 府中の用水と川 | Comments(0)
 水で満たされた心休まる風景をひととわかちあいたく、記した。

 水田風景に惹かれてしまう。関東平野ど真ん中のような広大で整然とした水田ではなく、山里の斜面に地形に沿って拓かれた水田や、曲がりくねったあぜ道の残るような水田。
 都区内の暗渠沿いの谷戸とは言い切れないような浅い谷戸にも、1950年代までは生きた川とともにそんな風景が残っていたのだろう。都心部であれば20世紀初頭頃までか。しかし、1970年代に新宿副都心のビルの森の増殖と共に生まれ育った私には、そんな風景は身近にあるはずもなく、とうに失われた昔話の中だけの原風景であり、暗渠の風景を介して幻視するしかない。
 それでも水田の風景に惹かれてしまうのはなぜだろう。母方の田舎は赤城山麓にあり、山の裾野に水田や用水路、鎮守の森の風景は確かにあった。幼少時の夏休み。水が張った水田でアマガエルをたらい一杯に集めた思い出。でもそこは決して私のふるさとではない。はっぴいえんど「夏なんです」で、松本隆が母方の田舎の風景である伊香保の風景の記憶を参照したのと感覚が近いのかと勝手に想像してみたり。

 さて、新宿から電車で3、40分ほどの東京郊外、府中市から国立市にかけて、水の流れを求めて歩くと今でもそんな田園風景をところどころで目にすることができる。比較的有名な、国立市谷保の「谷保田んぼ」の風景に出会ったのは1989年、高校3年の夏であった。大学受験から逃避するようにその風景を8mmフィルム映画の背景として収め、それ以来時折訪れている。以前に比べればだいぶ水田は減ってきたが、今でも夏になるとあちこちで、水が満ち溢れ稲穂が風にそよぐ風景が見られる。これらの水田を潤しているのが府中用水だ。国立市青柳で多摩川から取水し、かつての多摩川の氾濫原であった立川段丘下の低地に、かつての多摩川流路跡の微低地などを利用しながら網の目のように水路を巡らせている。
 そして府中用水給水域の南側一帯を補完するように流れているのが本宿用水・四谷用水だ。二つの用水は西府用水組合が管理し、あわせて「四ツ谷他二ケ村用水」「西府用水」とも呼ばれている。府中用水と同じく、田植え前の5月から稲刈り前の落水期の9月まで、多摩川から水が引かれ無数の水路に水がいきわたる。素朴な素掘りの水路、コンクリートの溝、暗渠、さらには一見道路の側溝にしかみえないようなところまで。一方、秋から春先にかけては水門は閉ざされ、水路から水は消え去る。生きている水路と今は廃止された水路、用水路とただの側溝を見分けるためには通水期に訪れることが必要だ。そしてもちろん美しい水田風景を見るためにも。谷保に見られるような昔ながらの水田風景は、府中用水流域よりもむしろこちらの方に多く残っている。

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 ここ数年、通水期になると府中用水や昭和用水など、多摩川から引かれた灌漑用水の流れを辿って歩き回っていたのだが、今年はこの西府を流れる水路たちに興味が赴き、徒然なるままに水路を辿っている。その中で直近最も気に入っている、四谷用水の水系の一つ「新田堀」の風景をここに綴っておこう。上の地図から新田堀の流域を拡大したのが下の地図だ。
 本宿用水・四谷用水は現在国立市泉2丁目に設けられた本宿圦樋で多摩川から水を取り入れている。かつては別々に多摩川に堰を設けており、四谷用水は上堰と下堰の2ヶ所から水を引いていた。下堰は今でも導水路の跡をたどることができるものの、前者は跡形もない。今では本宿用水の取水堰から200mほど進んだ「三屋上」の暗渠に設けられた水門で本宿用水から分岐して四谷用水の流路は始まる。
 水路は暗渠を500mほど流れてすぐに、古屋敷堀と中新田堀に分岐、中新田堀を1kmほど下って日新小学校前で囲堀を分岐した先が、新田堀と呼ばれる流路となる。
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中新田堀は大部分が暗渠で、歩道や遊歩道、コンクリート蓋暗渠の路地となっている。
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新田堀の始まり、日新小学校前の囲堀分岐点。新田堀は歩道となっていて、右手の柵のところで囲堀が分かれている。水面は茂みに隠れて見えない。
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新田堀の暗渠は整備され「四谷緑道」となっていて、とてもその下を水が流れているようには見えない。
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しかし緑道の終端でその先を見れば、道路を越えた先に新田堀の水路が姿を現す。さっそく左側に細い水路を分けている。
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 横断歩道の少ない野猿街道を大回りして東側に抜けると、見事な田園風景が広がっている。まずは先ほど分かれた分水路。緩やかに弧を描く流れは細いが、水面はすぐそばの水田と連続して広く感じる。
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 野猿街道を少し南下すれば新田堀本流だ。川幅は比較的広い。写真の地点では、右側から小学校前で分かれた囲堀の水の大半が勢いよく流れ込み、そのすぐ先で2本の支流を分けている。
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 そしてこちらは囲堀。水田の中を伸びる水の道の奥には屋敷林も見える。一面水と緑の広がる風景は清々しく、どこか遠くへ旅に出ているかのような錯覚に陥る。
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 すぐそばには中央高速道が通り、国立府中インターチェンジも間近にあるような一角に、このような風景が残っているとはなかなかに感慨深いものがある。
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木陰を滔々と、多摩川からの水が流れていく。吹く風は涼しく、いつまで眺めていても飽きない。
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 囲堀との合流地点で分かれた2つの水路を少し追ってみよう。ひとつは道端に沿って、最初はU字の大き目の側溝を、そしてやがて素掘りの溝を流れていく。道との境目が自然であいまいなのが好ましい。
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その水は小さな水田に注ぎ、住宅密集地に入る直前で暗渠となっている小野宮大堀に合流する。
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 もう一つの水路は屋敷林を抜け、水田の真ん中を緩やかに蛇行しながら流れていく。鮮やかな緑の中に点在する白はシラサギだ。狙っているのはザリガニか、もしくは用水経由で入り込んできた小魚か。
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 下流側から蛇行を望む。うっとりするような土揚敷のカーブ。豊かに流れる水。生命感に満ち溢れている。冬になると水路が干上がるのが信じられない光景だ。
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さて、新田堀の本流に戻ろう。先ほどの木陰の先、流路は中央高速道の下を潜って北側へと抜けていく。
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 高速を抜けた先はしばらく、高速の側道の歩道下を暗渠となって流れる。こちら側にも高速と住宅地に挟まれて、湖のような水田が広がっており、暗渠に設けられた口から田んぼに水が注ぎ込み、また何本か分流がその中を横切っていく。遠くに見えるのはNECの事業所だ。
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 新田堀本流も途中から暗渠を抜け出し、水田を横切っていく。水田エリアの東側は稲作から畑作に転換していて、とうもろこし畑が見られる。水田がなくなれば水路の役割も終わりだ。
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 NEC府中事業場の南側を抜ける道路に突き当たる地点で、新田堀は暗渠となり、道路の北側に沿って流れる本宿用水の暗渠に合流する。ここでも分水が分かれていて、道路南側に沿って側溝のように流れていく。かつては新田堀はここで本宿用水には合流せず、もう少し東へと流れたのちに新府中街道と中央高速の交差する分梅町4丁目で、府中用水新田川に合流していた。ここでの分流の流末は、その流路をなぞっている。
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 NECの前を流れる本宿用水の暗渠。雑草が伸び、やや荒涼としている。ところどころに設けられた柵を覗き込むと、中を水が勢いよく流れている。これらの水は府中用水の水系に注いている。
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 半ば都心に生まれ育った者としての宿命のように、失われた水の流れを追い続けてきているが、こうして今も水の流れる風景の中を歩くと、自分は多分暗渠よりも、小川のせせらぎが好きなのだろうとつくづく思う。暗渠にはどこか内省的な思考や想像力をもたらす効用があるし、見えない風景を幻出させるが、リアルに流れる、都心の川からは失われてしまった水の風景の輝きは直接的に心を洗い、清々しくさせる。

稲穂が頭を垂れ始め、用水路の送水が止まる直前にまた訪れてみよう。





# by tokyoriver | 2018-06-26 22:18 | 府中の用水と川 | Comments(2)
ブログでは3年ぶりの新規記事となります。リハビリがてら、昨日訪問したところを敢えて細かいことを記さずにtweet的にサッと載せてみました。

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多磨霊園のそば、平坦な立川段丘の上にこぶのように盛り上がる浅間山。古の多摩川が削り残した残丘として知られているが、その周囲に、流末のない川の跡が残っている。

普段は涸れていたり、わずかばかりの湧水が流れる程度で、大雨の後には砂漠のワジのように水が流れる。しかしその流末は地面に吸い込まれ、他の川に繋がっていたりということはない。そんな川を武蔵野台地上では「野水」と呼んでいた。かつての仙川の上流部(下流までは繋がっていなかった)や、白子川の上流「シマッポ」などがその代表例だろう。

この浅間山周辺の野水は「野溝」と呼ばれていた。2つあった流れはいずれも現在では埋め立てられたり暗渠になっているが、、北側のものは奇跡的に最上流部が残っており、下流も変化に富んだ暗渠として辿ることができるので、追ってみよう。こちらは主に浅間山山麓に湧き出す水を集めていたらしい、そしてその流れは現・府中市紅葉丘2ー33付近の雑木林の中で自然に消えていたという。
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府中市若松町5丁目、浅間山の南側を切り開いた明治大学のボールパークの南に沿って進む道沿いに怪しい歩道が現れる。

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道は浅いV字に窪んでおり、その一番低いところの南側の公園の下に、柵をされた半円の穴が空いている。

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穴は公園の地下を抜け、反対側に出ている。そこには細長く深い敷地がある。いかにも水路のようだが・・・

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公園の植栽をかき分け南側の畑地を眺めてみると、かなりの規模の窪地が続いていた。これが野溝だ。特にコンクリートの溝や改修水路が設けられているわけではなく、簡易な土どめがあるだけの窪みとなっている。おそらくかつての野水の様子をそのままにとどめている、奇跡的な風景だ。大雨が降ると、先ほどの穴からこの窪地に水が流れ込むという算段だろう。

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右手の丘の上は人見稲荷神社。伝承によれば鎌倉期より続く古い社だ。

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野水は南側の住宅地の脇まで続く。

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その先も道を横切って畑地の脇の窪地となるが、道の下をくぐる水路は側溝程度の幅。おそらく水は先ほどの場所で地面に吸い込まれるのだろう。



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残念ながら水路が残っているのはここまでだが、浅間山通りの東側に渡ると、今度は暗渠として辿ることができる。道端からは雑草が生い茂り、いかにも湿度が高そうだ。


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暗渠沿いをよく見ると玉石を積み上げた護岸が続いていたり、


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欄干跡のようなものも残っている。

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路面からは雨の後もなかなか水が引かないようだ。


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暗渠は府中第10小学校の前でいったん車道の歩道になるが、学校の敷地を左側に回り込むと再び暗渠の路地が始まる。

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路地は途中から下り坂の未舗装の路地になり。。。

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宅地のブロック塀に挟まれた隙間へとなる。通り抜けられそうにないので回り込む。

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回り込んだ先はこんな感じ。奥が前の写真の場所だ。

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下流方向を振り返る。畑との境界が曖昧になっている。これより先を直接辿ることはできないが、住宅地の隙間や、多磨寺の敷地境となっているようだ。

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多磨霊園のすぐ近くまで来ると、このような隙間空間が確認できる。

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そしてこの隙間空間は最終的に、多磨霊園の正面の通り沿いの石材店の勝手口として終わる。かつてはちょうどこの辺りで流れが地中に染み込まれて姿を消しており、それが今でも暗渠(水路跡)の終点となっているのが面白い。

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一説によればここで伏流水となった流れは、水量が多い時には調布飛行場の北側で姿を再び現し、野川へと流れていたという。今でも府中飛行場敷地北側に直線状に、周囲の雨水などを集める排水路がある。(下の地図右側参照)

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浅間山の西側に発するもう一つの野溝についても、いずれ取り上げよう。



# by tokyoriver | 2018-06-17 21:11 | その他のエリア | Comments(7)
12月1日発売の「東京人」2018年1月号の特集「聖地を歩く」にて、6頁ほど記事を書かせていただきました。今回は暗渠ではなく、都内の湧水を5ヶ所ほど紹介しています。
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 ここでは記事の補足として、文中で取り上げた小平霊園内の幻の湧水「さいかち窪」、出水直後10月26日のさいかち窪湧水池と12月3日時点の状況比較をいくつか。

 まずはさいかち窪最大の出水源。10/26時点では恐ろしいくらい勢いよく流れており、山間部の渓流のようだった。2008年以降では最大の水量だったと思われる。しかし、12/3時点では水は跡形もなく消え去り、水路には落ち葉が積もっている。11月下旬までは流れていたらしい。
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 さいかち窪に現れる湧水池。10/26時点では、水はなみなみと。水没した雑草、周囲の木々、水面に映る空と、境界線が曖昧になるような風景だった。12/3時点では最大の出水源が止まりだいぶ水は減っているが、まだ池の底から水が湧き出している。周囲の地面もスポンジのように水をたっぷり含んでいる。落葉が進み、池の周囲はだいぶ明るくなった。
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さいかち窪から流れ出す黒目川源流部。10月は今まで見たこともない水量で、氾濫状態だった。12/3時点では水量は少なくなり、流路も細くなった。ただこれでも、去年の出水時と同じくらいで、もうしばらくは流れる様子が見られるだろう。

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【お知らせ】東京人2018年1月号に寄稿しましたandさいかち窪湧水_c0163001_21121627.jpg


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数年おき、秋の間の1ヶ月ほどしか現れない「さいかち窪」の湧水。今年も年末までには水は消えてしまうでしょう。2015年からは奇跡的に3年連続して湧きましたが、果たして来年も出水するでしょうか。湧水について詳しいことはぜひ記事をお読みください。また、取り上げた5箇所のうち2箇所については、関連する暗渠にも触れています。


# by tokyoriver | 2017-12-07 21:00 | お知らせ | Comments(3)
【11/7更新】
末尾に書店でのお買い上げ特典情報を追記しました。お近くの方はよろしくお願いします
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 8月に「東京暗渠学」を上梓したばかりではありますが、11月10日に今度はちくま文庫より「はじめての暗渠散歩ー水のない水辺をあるく」を刊行します。こちらは高山英男さん、吉村生さん、三土たつおさんとの共著となります。

11/7更新【お知らせ】「はじめての暗渠散歩ー水のない水辺をあるく」を刊行します。_c0163001_21280564.jpg
 お話をいただいた当初は「東京「暗渠」散歩」の文庫化案もあったのですが、カラー写真が多く文庫に向かないとのことから、新たに文庫オリジナルの形で、サイト「みちくさ学会」に私がかつて連載していた記事、そして高山さんのコーディネートにより高山さん、吉村さん、三土さん、本田の4名で連載していたサイト「ミズベリング」の記事を核に刊行することとなりました。もちろんそれらの記事はいずれも大幅にアップデートされていますし、新たな書き下ろしの記事も多数収録されています。

 企画構成にあたっては、本著が
 (1)サイズの小さい文庫での刊行となること
 (2)全国に文庫新刊としてあまねく流通し、(支持をいただければ)文庫の棚に長く残ること
 (3)「東京暗渠学」と連続してのリリースになること(当初は9月刊行で2ヶ月連続となる予定でした)

となることから、以下を念頭に置きながら、執筆者4名の間で記事テーマの取捨選択や分担を行い、執筆しました。
 (1)入門者向けのコンテンツを多くする
 (2)図版や写真に頼りすぎず、文章そのもので読ませる記事を中心とする
 (3)土地鑑があまりなくとも読めるよう、土地の固有名詞よりも切り口で読ませる工夫をする
 (4)エリアを扱う記事については、なるべく日本各地に広がりを持たせる
 (5)「東京暗渠学」とはコンセプトや内容がなるべく重複しないようにする

結果、4名の筆者がそれぞれの持ち味を生かし、腕をふるって書き上げた23本の記事からなる本著は、自信を持って人にお薦めできる仕上がりとなりました。また、さくらいようへいさんの手による表紙イラストも、従来の散歩本とは一味違うテイストになっています。さらに、帯文には泉麻人さんのコメントをいただきました。

 私の担当記事は次の8本です。

「暗渠散歩へのいざない」
「蛇行する暗渠」
「排水管の継手と暗渠」
「夜の暗渠歩き」
「暗渠に架かる橋ー大正13年に架けられた四つの橋跡を巡る」
「生きている暗渠ー水路橋や水門へと続く、かつての上水路をたどる」
「玉の井 永井荷風と滝田ゆうー綺譚と奇譚を結ぶ、あるドブ川」
「新宿の秘境・玉川上水余水吐跡の暗渠をたどる」

他のメンバーが書いた記事については、ぜひ本をお手にとって確かめていただければと思います。「東京暗渠学」が対象を東京に限定し、敢えてソリッドで密度を濃くした文体で、東京の暗渠を体系的に捉えることに重きを置いていたのに対し、本著では景観や事物起点の切り口で、文体も軽めだったり叙情的なものを多く掲載しました。「東京暗渠学」の文章とはまた違った印象を持っていただけるのではないかと思います。

 ちくま文庫はいわゆるサブカルチャー系に強いという特徴があり、路上観察、トマソン、飲み歩き、赤線・遊郭、ガロ系といったテーマの本が創刊時より数多く刊行されています。今回それらのラインアップの一冊として加わらせていただくことができ、ちくま文庫創刊時より愛読し、ちくま文庫手帳を四半世紀愛用してる身として感慨深い限りです。
 暗渠になんとなく興味を持った方から、暗渠ならよく知ってるよという方まで、幅広くお楽しみいただけると思いますので、宜しくお願いします。

ちくま文庫「はじめての暗渠散歩ー水のない水辺をあるく」
11月10日発売
税込821円 256ページ 筑摩書房

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【書店でのお買い上げ特典】

あゆみBOOKS瑞江店:お買い上げの方に著者特製しおり配布
東京都江戸川区瑞江 2-5-1

文禄堂荻窪店:お買い上げの方に著者特製しおり配布
東京都杉並区荻窪 5-30-6

SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS(SPBS):お買い上げの方に著者特製しおり配布
東京都渋谷区神山町17-3

文禄堂高円寺店:お買い上げの方対象に著者トークショー(11/10 19:00〜20:00 予約不要)
東京都杉並区高円寺北 2-6-1

往来堂書店:お買い上げの方に藍染川下りさんぽ会(11/26 午後)参加券(先着10名様)
東京都文京区千駄木2-47-11






# by tokyoriver | 2017-11-01 00:00 | お知らせ | Comments(0)